エピソード7【ヒトコレ】①
青山さんにヒトミのことを話しているうちに、俺はあの日のことを思い返していた。
そう。
あれは、ヒトミが高校に入学する少し前のこと。
今から、2年9ヶ月ほど前。
肌に触れる空気の感触が、少し暖かくなってきた3月のある日。
多分、金曜日だったと思う。
俺は、その日のことを思い返していた。
その日は非番だったので、ヒトミとある約束をしていた。
そう。
ちょっと奮発して、しゃぶしゃぶを食べに行こうと約束していたんだ。
ヒトミは、しゃぶしゃぶが大好きだった。
焼肉に比べて、ヘルシーに食べられるのが理由だそうだ。
店の予約時間は19時。
現在時刻は、18時42分。
店までは、約20分。
まずい。
このままじゃ、間に合わない。
というか、この時点ですでに遅刻が決定している。
早く来い。
早く帰って来い。
俺はそわそわしながら、壁に掛けている時計とにらめっこをしていた。
――そして、5分後。
18時47分。
ガチャ――
「お兄ちゃん、ただいま~!」
勢いよく玄関のドアを開け、ヒトミが帰ってきた。
息をハァハァと切らしている姿を見ると、かなり急いで帰ってきたようだ。
そうか。
一応、悪いという気持ちがあったんだな。
俺は、考える。
約束よりも遅すぎる帰宅に対して、怒るかどうかを。
う~ん。
どうしようかな。
俺に申し訳ないという気持ちも見えるし……怒るのも可哀想かな。
いや、ダメだ。
約束は約束。
そこは、しっかりケジメをつけないと。
しょうがない。
ちょっとだけ、軽く怒っとくか。
「こら、ヒトミ~」
俺は軽くため息を吐きながら、呆れたように言った。
「いったい何時だと思ってるんだ。今日は、早く帰って来いって言っただろう」
すると、ヒトミは、
「ごめ~ん」
と舌をペロッと出しておどけて謝った。
「ちょっと寄るとこがあって、それで遅れたんだ」
こらこら。
言い訳なんかするんじゃない。
全く。
やっぱりこいつの頭の中には、誠心誠意謝るっていう思考回路はないようだ。
あ~あ。
やはり、きちんと怒るべきだったかな。
俺は、そう思わずにはいられなかった。
そして俺は、変わらず呆れた口調で聞き返す。
「で、どこに寄り道してたんだ?」
「実は……」
ヒトミは、着ていたダッフルコートをバッと脱ぎ始めた。
そして、コートが無造作に床に横たわると、
「どう? 似合う?」
と笑みを浮かべ、俺に尋ねてくる。
「あっ……」
その姿を見た俺の目は釘付けになった。
そう。
ヒトミがコートの中に着ていた服は、これから入学する高校の制服だった。
「おまえ、それって……新しい制服だよな?」
「うん!」
ヒトミは、嬉しそうに言った。
「ついに出来たんだ。商店街の服屋さんに取りに行ってたから遅くなっちゃった。お兄ちゃんに早く見せたくって、試着した時のまんまで帰ってきたんだ」
ヒトミは、本当に楽しそうだった。
まるで、新しいおもちゃを手に入れたように、はしゃいでいた。
右にクルクル。
左にクルクル。
ファッションショーのように、スカートをなびかせながら回転していた。
クルクル。
クルクル。
あぁ。
いい。
すごくいい。
彼女は、高貴なお姫様。
彼女は、麗しのメリーゴーランド。
そう思わせるかのごとく、何回も何回も、華麗に回転していた。
『どう?』
『似合ってる?』
ヒマワリのような笑顔を振るまきクルクル回るその表情は、そう問いかけてくるようだった。
「いいじゃん。似合ってるよ」
俺はその問いかけに、笑顔で答える。
愛しの妹に対し、俺ができうる限りの最高の笑顔をプレゼント。
あぁ。
父さん。
母さん。
ヒトミは、こんなに大きくなったよ。
もう、高校に入学するんだよ。
俺は、心の中で3回もそうつぶやいていた。
そしてヒトミは、腕時計をチラッと見ると、
「あっ、急がなきゃ」
と急に慌て始める。
「しゃぶしゃぶ屋さん、7時に予約してたんだよね。すぐに着替えてくるから」
ダッフルコートを手に取り、急いで部屋に戻ろうとし始めた。
だが、
「え~、まだいいじゃん!」
俺は、めいいっぱい手を広げ、ヒトミの前に立ちはだかる。
「もうちょっとだけ、そのままでいてくれよ~!」
俺の姿は、まるで子供がダダをこねているようだ。
そう。
俺は、かなりテンションが上がっていた。
「もっとクルクル回ってくれよ。ほら、回ってくれよ」
俺は、さらにさっきのようなファッションショーを要求した。
『ヒトミ・コレクション』略して『ヒトコレ』のアンコールを願った。
ほら、もっと回ってくれよ、クルクルしてくれよ。
そういう言葉を、何度も何度も繰り返していた。
満面の笑みで、何度も何度も繰り返していた。
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