エピソード6【恋をする資格】②


「いえ……」


青山さんは、ゆっくりと首を横に振った。


「彼氏はいません」


え?


「今は、いないです」

「ほ、本当ですか?」

「はい」


よし!

よし! よし!

俺は、ホッと胸をなでおろした。

まるで、パンパンに膨らんだ風船の空気がシューッと抜けていくように、俺の緊張感はゆっくりと和らいでいった。

あぁ、良かった。

良かった、良かった。

いくらトュルーチェアーで、俺に好意を抱いていることが分かっていても、彼氏がいないという言葉を聞くとホッとする。

よし。

さあ、次は告白だ。

自分の大好きな思いを、青山さんに伝えるんだ。

俺の心の奥底にある緊張感という名の風船が、再び膨らみ始めた。


チャンスの神様、見ていてください。

このチャンスをものにします。

彼女に、好きだと伝えます。


――だが俺がそう思った、まさにその時。


「私は……」


青山さんが、小さな声で喋り始めた。


「もう、恋はしないと決めたんです」


え……?


「もう、恋愛はいいかなって……ちょっと疲れたかなって思ってしまって……」


え? え??



「私に、恋をする資格なんてないんですよ」



青山さんは、にっこり微笑んだ。


え?

どういうことなんだ?

俺は、少しの時間考える。

そして数秒後、 1つの答えが浮かんだ。

あぁ、そうか。

俺は、断られたんだ。

やんわりと断られたんだ。

あぁ、そうか。

俺は、振られたんだ。

やんわりと振られたんだ。

ひょっとしたら、趣味や性格が合うと思っていたのは俺だけかもしれない。

いや、きっとそうだ。

そうに違いない。


ポキッ――


そう。

さっきまでの俺の勢いは『ポキッ』と乾いた音を響かせ、いとも簡単に折られてしまった。


ポキッ。

ポキッ。


あぁ。

チャンスの神様。

俺は、あなたが与えてくれた機会を生かすことができないかもしれません。


ポキッ。

ポキッ、ポキッ。


不思議だな。

さっきまでの俺の意気込みは、いったいどこへ消えてしまったんだろう。

全く。

自分自身の気持ちがよく分からないよ。

燃え上がったり、意気消沈したり。

気持ちって、本当に分からないものだな。


あぁ。

自分自身がよく分からない。

本当に何もかも全く分からない。

俺は、そう思わずにはいられなかった。


だが、俺は考える。

どうしても逃げたくない。

そういう気持ちがまだ残っているからだ。

考える。

考える。

本心では、それでもやはり気持ちを伝えたい。

しかし、それと同時に、躊躇してしまう自分もいる。

どうしよう。

どうしよう、どうしよう。

あぁ。

どうしたらいいんだ。


俺の心の中は、1人でパニック状態に陥っていた。

だから、今何をすべきか考えた。

その結果、とにかく彼女に違和感を持たれないために、平静を保つことに全神経を集中させ始めた。

しょうがない。

今の優先順位は、折れた心の回復だ。

すると、俺がそんな状態とは何も気づかない青山さんは、穏やかな笑顔のまま、続けて喋り始めた。


「私は1人のままでいいんです……誰かを幸せにする自信もないし、私と一緒にいてその人が不幸になっても嫌だし……」


さらに、天使のようににっこり笑う。


「私は、恋をする資格を捨てたんですよ」


青山さんの顔に、いっぺんの迷いもなかった。

『私は、恋愛はしません』

そう言い切っていた。

いったい、なぜだろう。

考えられることは、ただ1つ。


過去に、辛い恋を経験した――――


それしか考えられなかった。

もしかしたら、過去に付き合った人と何かあったのかもしれない。

もしかしたら、激しく悲しい恋愛を経験していたのかもしれない。

それしか考えられない。


でも、俺はそれ以上聞けなかった。

青山さんの過去に土足で踏み込むような気がして、何も聞けなかった。

だから、俺は何も言葉が出なかった。

この場で使用するベストな会話が何も浮かばなかった。


すると今度は逆に、青山さんからの質問が始まった。


「斉藤さんは、彼女はいるんですか?」

「いえ……」


俺は伏目がちのまま、軽く首を横に振る。


「今は……いません」

「そうですか」


青山さんはソファーに腰をおろすと、さらに尋ねてきた。


「最後に付き合ったのはいつなんですか?」

「確か……」


俺は、やはり伏目がちだが素直に答える。


「最後に付き合ったのは3年前です」

「へ~、けっこう前なんですね」

「ええ……」


俺は軽く頷くと、わずかな空白のあと、


「その……」


再び口を開いた。


「なんていうか……1年前からは、恋をしようとする努力すらしていませんでした」

「どういうことですか?」

「実は……」


俺は、オーナーにも言っていない自分の過去を話し始めた。


「僕、妹がいるんですけど、そいつのことばかり考えていて、自分の恋をほったらかしにしていたんですよ」

「妹さん?」

「ええ」

「へ~、妹思いですね。仲良いですね」

「ええ」


なぜだろう。

なんだか俺は、さらに口が軽快になってきた。


「名前はヒトミっていうんですけど、年頃なのにスカートなんかはいたことなくて、部活なんかお手玉クラブ『タマタマクルリン』ですよ」

「フフフ。かわいらしい妹さんですね」

「ええ」


俺は、なぜか青山さんにヒトミのことを饒舌に喋り始めていた。

なぜだろう。

なぜか、青山さんにはヒトミのことを色々と話したい。

俺の心は、徐々にそういう気持ちに覆われていた。






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