エピソード5【チャンスの神様】⑤
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉーーー!!」
俺はいきなり勢いよく立ち上がり、まるで追い詰められて殺されるかのような大声で叫んでいた。
しかも、1度だけではない。
『やめろ! やめろ!』と何度も声を荒げて叫んでいた。
やめてくれ!
もう、俺の悲しい過去を思い出させるようなことを言わないでくれ!
そういう気持ちから、何度も何度も叫んでいた。
いったい、何度叫んだんだろう。
それは、自分でもよく覚えていない。
もちろん、その場にいた全員が呆気にとられていた。
当然だ。
怪談話の最中に、いきなり発狂しだしたんだから。
驚くなというほうが無理だ。
そして1番驚いたのは、話を切り出した岡本さん本人なのは間違いない。
「なんや!? どうしたんや!?」
すぐさま心配そうな顔で、俺に尋ねてきた。
「どうしたんや!? 斉藤くん!?」
岡本さんは、俺の肩をユッサユッサと揺らしてきた。
俺の肩が揺れる。
揺れる。
揺れる。
バチバチ!
バチバチ!
バチ……バチ……
バ……チ……
…………
そう。
その揺れが、俺を正気に戻してくれるきっかけになってくれた。
雷に打たれたような感覚も、その揺れと共に消失。
スーッと無くなっていった。
「あっ……」
俺の意識が、完全に現実に引き戻された。
そして、目の前に広がるのは、呆然と佇むオーナーたち。
あぁ。
まいった。
俺は今の怪談話で、ヒトミのことが頭に浮かんでしまった。
あの時の悲惨な事件が、まさに目の前で起こっているかのように、はっきりと脳裏に浮かび上がってきてしまった。
しかし、どういうことだろう。
さっきの話は、いったい何なんだろう。
岡本さんは、あの時の事件を知っていたのだろうか?
それを、怪談話に応用したのだろうか?
それとも、たまたまあの事件に似たような話だったのだろうか?
でも、まあ、いい。
今の俺にとって、そんなことはどうでもいい。
もう、思い出したくない。
あの時の事件は思い出したくない。
そういう思いが強すぎるからだ。
俺は、もう刑事を辞めている。
事件のことは、赤川さんに任せている。
赤川さんが、きっと犯人を捕まえてくれる。
俺は、心からそう思っていた。
だが、そう思う反面、きっと犯人は捕まらないだろうとも思ってしまう。
なぜなら、今の岡本さんの話にも出てきたように、その事件の日は……
雨だったから――――
雨が降ると、現場の痕跡は消えてしまう。
事件の目撃者はいない。
さらに、現場に残された遺留品はゼロ。物的証拠も一切なし。
そう。
迷宮入りの可能性は、日を追うごとに高くなる一方。
あぁ。
犯人検挙の確立は、いったい何パーセントなのだろう。
その確立がほぼ0に近いことが、なまじ刑事をやっていただけに、痛いほど分かってしまう。
そんな中、俺が思うことはただ1つ。
犯人の自首――――
それしか、事件が解決する方法は浮かばなかった。
自首してくれ。
自首してくれ。
今からでも遅くない。
自分の罪を悔やんでくれ。
罪を償ってくれ。
あぁ、お願いだ。
自首してくれ。
自首してくれ。
俺は毎日、毎日、そのことだけを祈って過ごしてきた。
「みなさん……すみませんでした……」
そして、恐い話大会はというと、俺がしらけさせてしまったおかげでこれにて終了となった。
「何か、変な感じになってしまって……本当にすみませんでした」
俺は、深々と頭を下げた。
あぁ。
みんなに悪いことをした。
せっかくの楽しい一時を、ぶっ壊してしまった。
俺は、自分の心をコントロールできない自分がいることに大きく落ち込んでしまった。
「斉藤くん、大丈夫か?」
すると、そんな俺を気遣い、岡本さんがやさしく声をかけてきた。
「なんか気にさわるようなこと言うてもうたかな?」
「あっ、いえ……」
あぁ。
岡本さんには、本当に悪いことをしてしまった。
余計な心配をかけさせてしまった。
ごめんなさい。
岡本さん、本当にごめんなさい。
俺は、どうしていいか分からなかったが、とにかく必死でごまかし始めた。
「い、いえ、岡本さんは、何も悪くないですよ」
「せやかて、さっき……」
「あっ、あれは……」
俺は、ニカッと笑って見せる。
「岡本さんの話がすごく恐そうだったので、最後まで聞けなかったんですよ」
『アハハ』と笑いもプラスする。
「もう~、岡本さん、怪談話うますぎですよ~」
「なんや、そうやったんか~。褒めすぎやで、自分」
俺の言葉を聞いて、岡本さんもホッとしたようだ。
「ほんま、びっくりしたわ~、ハハハ」
緊張が解け、声を出して笑い始めた。
「まあ、褒められて悪い気はせえへんから嬉しいわ。最後はもっと恐かったんやで~」
岡本さんは、誰の目から見ても上機嫌に変わっていた。
そして、そんな岡本さんにつられて、まわりのみんなも楽しそうに笑い始めた。
ふう。
良かった。
良かった、良かった。
なんとか、和やかなムードのまま解散できそうだ。
本日はこれで終わり。
俺が胸をなでおろし、テーブルに置いてある水を飲もうとした時、
「みなさん」
ひろこちゃんが『パンパン!』と手を叩き、楽しそうに喋り始めた。
「実は、このペンションの奥の部屋に『開かずの間』があります。その部屋から夜な夜な、絶世の美女のすすり泣く声が聞こえるんですよ」
え?
このペンションに、そんな部屋が?
「ということで、これからみんなで行ってみましょう」
ひろこちゃんは、まるでツアーコンダクターのように振る舞っていた。
オーナーも『へえ~、そうなんだ~』というような表情を浮かべている。
ということは、これはひろこちゃんだけが知っている情報なのか。
知らなかった。
そんなミステリアスな部屋があるのか。
しかも、絶世の美女のすすり泣く声。
「おお! そりゃ、ええやないか!! はよ行こうや!」
その部分が、魅力的だったのだろう。
岡本さんは、人一倍乗り気だった。
しかし、それに反して、オーナーと武藤谷さんは乗り気ではない。
なぜだろう?
あぁ、そうか。
絶世の美女のすすり泣く声――
オカマちゃんな2人には、興味がないってことか。
「みなさん、それともう1つ!」
だが次の瞬間、ひろこちゃんの言葉によって、その2人もおおはしゃぎになる。
「加えて、その部屋からは、たくましい男性のうめき声も運が良ければ聞こえてきますよ」
この一言で、2人のテンションは即マックス。
「それは、すぐに行かないと~~!」
「あ~~、体がうずくわ~~!」
我先にと、奥の部屋へ駆け出していった。
「お~い! 待ってくれや~!」
そして、そのあとを岡本さんも追いかけていく。
しかし、もちろん青山さんは、
「私は、ここに残ってテレビでも見ています。あとで、どんな感じだったか教えてくださいね」
と、奥の部屋には行かないことを選択した。
まあ、当然といえば当然だ。
さっきのを見る限り、青山さんが恐がりなのは一目瞭然。
まあ、これが普通の選択だろう。
そして、俺もとりあえず奥の部屋へ向かおうとした時、
「斉藤さんは、ここでお皿の後片付けをお願いします」
と、ひろこちゃんにストップをかけられ、仕事を命じられた。
う~ん、まいったな。
俺だって、ちょっとその部屋に興味があったのに。
う~ん……でも、まあいいか。
従業員として、仕事をするのは当たり前。
しかもひろこちゃんは、ここでは先輩。
まあ、しょうがないか。
素直に、お皿を片付けよう。
そう思い、テーブルに置いている食器に手をかけた時、
「斉藤さん」
ひろこちゃんが、俺の耳元でボソボソッと喋り始めた。
「頑張って」
「え?」
「チャンスの神様は、きっとここに来ますよ」
え?
「ファイトですよ」
ひろこちゃんはそれだけを言い残し、俺の背中をポンと叩いたあと、奥の部屋へと消えて行った。
何だ?
今のは何なんだ?
俺は、脳をフル回転させて考えた。
まずは『頑張って』という言葉。
これは『お皿の片づけをちゃんとしろよ』ってことなのだろうか?
次に『チャンスの神様』という言葉。
これは聞いたことがある。
確か、イギリスのことわざだ。
チャンスの神様は、特殊な髪形をしているらしい。
前髪は、フサフサと長い。
だが、それ以外には髪がない。
そういう神様が、向こうから走ってくるのだ。
しかも、なぜか裸で走ってくるらしい。
こちらは、待ちかまえていて『えいっ!』とばかりに、その前髪を捕まえなければならない。うっかり逃げられてしまい『お~い! 待ってくれ!』と、追いかけて後ろから捕まえようとしても捕まえられない。
なぜ?
そう。
後ろ髪が無くてつるつるだから、手が滑って捕らえることができない。
『好運は一瞬』という教訓である。
ん?
ということは、ひろこちゃんは何を言いたかったんだ?
お皿の片づけを頑張ることが、俺にとってチャンス?
いやいや、それは、あまり意味が分からない。
じゃあ、考えられることは1つしかない。
青山さんに気持ちを伝えろ――
ひろこちゃんは、そう言いたかったのかもしれない。
おそらく、ひろこちゃんは、青山さんに対する俺の気持ちに気づいていたのだろう。
だから、俺と彼女を2人きりにするシチュエーションを作ってくれた。
あぁ、そうか。
そうに違いない。
確かに、このペンションには、めったにドアを開けない部屋がある。
でもそれは、ただ単に物置として使っているだけ。
『開かずの間から絶世の美女の声』
これは、俺と青山さんを2人きりにするために、ひろこちゃんが嘘をついてくれたんだ。
きっと、いや、確実に。
全く。
これは、ひろこちゃんに1本取られたな。
俺より年が下なくせに、なんて人の恋に敏感なんだ。
ひょっとしたらひろこちゃんは、かなりの恋愛マスターなのかもしれない。
俺は、そう思わずにはいられなかった。
とにもかくにも、そういういきさつで、俺は青山さんと2人きりの空間を手に入れた。
チャンスの神様……か。
確かに明日になると、青山さんはこのペンションを出発していくだろう。
チャンスは今しかない。
明日の朝になってから考えようなんて後回しにしていたら、好運を逃してしまう。
今しかない。
神様。
チャンスの神様。
俺は、あなたの前髪をつかみに行きます。
前髪をつかみに行きます。
チャンスをつかみに行きます――――
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