エピソード4【恋は、突然始まるもの】③
そして俺は、彼女に惹かれていく要因を他にも見つけた。
笑うと小さなエクボができる。
心に安心感を与えるようなやわらかさをかもしだす声。
絹の糸のようにサラサラな栗色の髪。
この3つも彼女のチャームポイントだ。
素晴らしい。
こんな短時間で、さらに3つも彼女の魅力を見つけてしまった。
あぁ。
これが恋か。
うん、悪くない。
突然始まる恋というのも悪くない。
むしろ、いいものだ。
俺は、そう思わずにはいられなかった。
「さっ、お部屋にご案内いたします」
俺は、女性向きの内装に仕立ててある203号室に、青山さんをエスコートしようとした。
おそらく青山さんは、明日にはこのペンションを出発するだろう。
そうすれば、もう2度と会えないかもしれない。
でも、今は深く考えない。
明日には、気持ちがどちらかに転んでいるだろう。
一晩寝て、朝起きたら、
『あぁ、昨日はなんであんなに舞い上がっていたんだろう』
と思うか、もしくは、
『あぁ、やはり好きだ。大好きだ』
と思うかのどちらかである。
今までの俺の性格からすると、おそらく前者の可能性が高い。
だが、今回はいつもとは違う。
この燃え上がる気持ちが、明日にはさらに加熱している可能性も考えられる。
まあ、いいか。
その時はその時だ。
また明日考えよう。
とにかく今は、仕事だ、仕事。
青山さんを部屋に案内しなくては。
俺は彼女のボストンバッグを手に持ち、一緒に階段に向かった。
すると、
「ちょ~~っと、待った~~~~~~!!」
え?
何だ、何だ??
俺が驚くのも無理はない。
なぜなら、階段の上から、岡本さんが両手を広げて駆け下りてきたのだ。
「ちょ、待って待って、なんやの? なんやの?」
岡本さんは、嬉しそうに尋ねてきた。
「新しいお客さんかいな?」
「は、はい」
なっ、何なんだ??
何で、そんなにテンションが上がってるんだ??
俺は、少しその勢いに圧倒されていた。
いや、かなり圧倒されていた。
さらに岡本さんは、俺の耳元で、
「なあ、なあ」
と小声で喋り始める。
「えらいベッピンさんやないか」
「え、ええ、そうですね」
俺は少しドキッとした。
「確かに綺麗な人ですね」
「ほほう~……」
岡本さんは、少しニヤッとした。
「ひょっとしたら斉藤くん……あの子のことが好きなんちゃうか?」
「え?」
俺は、かなりドキッとした。
いや、尋常じゃないぐらいドキッとした。
やばい。
やばいぞ。
ひょっとしたら、俺の『好き好き大好きオーラ』が顔から出ているのか?
やばい。
やばいぞ。
俺は今、どんな顔をしているんだ?
そういえば、俺は刑事時代を含め、学生時代からずっと言われていた。
『斉藤が恋をしている時は分かりやすい』……と。
どうも、俺は恋愛ごとになると、隠すという行為が下手なようだ。
さらに岡本さんは俺の肩に手を回して、いやらしい笑みを浮かべ始めた。
「なあ、なあ、斉藤くん……あの子に一目ぼれしたんやろ?」
「い、いや、その……」
ダメだ。
完璧にバレている。
どうしよう。
どうしよう。
あぁ、そうだ。
とりあえず、黙秘権だ。
俺は、その質問には答えず、
「そ、それよりどうしたんですか? お食事までは、もうちょっと時間がありますよ」
話の流れを、違う方向に持っていこうと試みる。
頼む。
うまくいってくれ。
これ以上、俺の恋心に踏み込まないでくれ。
すると岡本さんは、俺の背中を叩きながら声を殺して軽く笑った。
おそらく、こう思っているのだろう。
『しょうがない奴だ』
『これ以上いじめてもかわいそうだから、このへんで勘弁してやるか』
と、まあ、こんな感じだろう。
まあ、いい。
なにはともあれ、俺は事なきを得た。
そして『なんで、ロビーに来たんですか?』という俺の質問に対して岡本さんは、
「ちょっとな」
と答え始めた。
「暇やったから、ロビーに新聞でも読みにいこうと思ってな」
そしたら、と岡本さんは言った。
「階段の上から、きみらの話し声が聞こえてきて、さらにこんなベッピンの客がおったっちゅうことや」
「そうだったんですか」
「ほんじゃ、とりあえず」
岡本さんは言った。
「斉藤くん、さっそく始めよか」
「え?」
始める?
いったい何をだ?
俺は、チンプンカンプンな表情で尋ねる。
「あの、岡本さん、何をするんですか?」
すると、岡本さんは、
「決まっとるやないか」
と満面の笑みで話し始めた。
「この椅子に座ってもらうんや」
「え?」
岡本さんが指さす先には、トュルーチェアーがあった。
「この椅子って……例の椅子ですよ」
「その通り!」
「え?」
「ええか! よう聞けよ!」
岡本さんは、あからさまに大声で言った。
「このペンションに来た人間は、必ずこの椅子に座らなければならな~~い!! それが、このペンションさくらの掟であ~~~~る!!!!」
岡本さんは、胸を張って右手を天に突き刺し大げさに説明をした。
もちろん、青山さんにも聞こえている。
だが、青山さんにとっては、全く意味が分からないだろう。
それこそ、チンプンカンプン。
2つの瞳と頭の上には、クエッションマークがふわふわと漂っていた。
というよりも、ちょっと待てよ。
そんな掟、いつのまに出来たんだ?
そもそも、岡本さんはお客であって、ここの従業員でも何でもない。
オーナーがその掟を決めるならまだしも、なぜ、客のあなたが決めるんだ?
全く。
この岡本さんという人は、つかみどころがないというか、何を考えているのか分からないというか。
本当に困った人だ。
しかし、そういう俺の気持ちはお構いなしに、岡本さんは青山さんに向かって、
「さあ、お嬢さん」
と低姿勢でゴマをするように続けて喋りかけた。
「この椅子に座ってみてください。ほんま気持ちよくなりますよ」
「そうなんですか」
え?
「分かりました。じゃあ、座ってみます」
え?
え??
青山さんは何の警戒心も持たずに、サッと椅子に座った。
それは、一瞬の流れだった。
おそらく青山さんは、この椅子が新型のマッサージチェアーか何かと思っているのだろう。
だからだろう。
俺が、トュルーチェアーに関する詳しい説明をする暇もなく、すでに青山さんは椅子に深く腰をかけていた。
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