エピソード4【恋は、突然始まるもの】②


「ど、どうぞ、中にお入りください」


俺は、平静を装い彼女を迎え入れる。

ドアの外では、最高級のマシュマロのように美しいまっ白な雪が、変わらずしんしんと降り続いていた。

あぁ、すごい。

いや、別にすごくないか。

そう。

俺がそう思ったのは、とても些細な事に関して。

部屋が暖かいからだろう。

彼女の肩や髪の毛にうっすらと乗っかった雪が、見る見るうちに溶けていく。

俺は、その何気ない自然現象にさえ、目を奪われていた。


まいった。

まいった、まいった。

やはり、この女性が気になっているのは確かなようだ。

でも、今は仕事中。

とりあえず、しっかりと仕事をこなさなくては。


「では、こちらにご記入をお願いします」


俺は、お客の対応が今日3人目というのもあり、慣れた手つきで宿泊名簿を手渡した。


「分かりました」


彼女はボストンバッグを床に置くと、さっそく記入をし始める。

俺の目に、ペンを持つ彼女の右手が飛び込んできた。

あぁ。

綺麗な手だ。

外の雪に負けないぐらい、真っ白でしなやかな手だ。


「これでいいでしょうか?」

「はい」


俺は、さらに『ありがとうございます』と言い、名簿を受け取った。

そして、すぐさまそこに書かれている情報をチェックした。

名前は……青山さん……青山奈々美さんか。

職業は……保母さん。

年齢は……23歳。

俺の3つ下か。

あぁ。

年齢的にもちょうどいい。

やはり、この青山さんは、俺の運命の人じゃないのだろうか。

俺が勝手に妄想を膨らませていたその時、


「そういえば……」


彼女が思い出したように言った。


「来る途中に、真っ白い野うさぎを見かけました。すごくかわいかったですよ」

「へ~、そうなんですか。そういえば、他のお客様も、タヌキやキツネを見たと言ってましたね」


あっ、とさらに口を開く。


「他には、鹿も見ることができますよ」

「鹿ですか……」


彼女は、首をかしげながら言った。


「あまり、鹿は好きじゃないんで……出会えたのが、うさぎで良かったです」

「そうですか。だったら、運が良かったですね」

「ええ」

「でも、今日は本当に皆さん、色んな動物に遭遇しているみたいですね」


俺は少し体を横に揺らし、おどけながら言った。


「かわいい、かわいい、野生動物大集合ってとこですね」

「フフ、本当ですね」


彼女は口元に手を当てて、クスクスと笑い始めた。

あぁ。

なんて、なんて、素晴らしい笑顔なんだ。

パッチリとした二重の大きな瞳が三日月のように変化して、さらに魅力が倍増している。

俺は少しでも気を抜くと、その笑顔に吸い込まれそうになっていた。


そして、青山さんをいったんソファーに座らせ、温かいハーブティーを差し出した。

本日2回の接客で学んだ末、俺なりに考えたウェルカムドリンクだ。

青山さんは冷えた体を温めるように、とても美味しそうに飲んでいた。

俺はその姿を見ながら、


「ところで……」


とカウンター越しに尋ねた。


「今日は、ご旅行ですか?」

「ええ]


青山さんは、にっこり微笑んだ。


「有給が結構残っていたので、ふらっと1人旅に来ちゃいました。お目当ては、この町にある世界遺産です」

「そうなんですか」


あぁ。

なるほど。そういうことか。

実は、この町は山と川に囲まれた田舎だが、その山あいを流れる川が世界遺産に認定されている。

川のすぐ側には、巨大な岩がずらり。

獅子の顔を持つ岩。

龍の形をした岩。

仲むつまじい男女のような夫婦岩。

数え上げればキリがない。

それぞれに神秘的な言い伝えがあり、まさに自然が作り上げた最高の芸術品。

その川を遊覧船で下りながら、ゆっくり見物するのが観光客に人気だった。


でも、なぜこのペンションを選んだんだろう?

その観光名所の近くには、もっと立派な旅館があるのに。

なぜ、この『毛ガニ山』の上にある、この『ペンションさくら』に?

そりゃ、近くまで来れば、このペンションの看板があるから分かると思うが。

不思議だ。

実に不思議だ。


「あの……」


俺は再び尋ねた。


「このペンションを、どこで知ったんですか?」

「えっとですね、実は」


青山さんは言った。


「この毛ガニ山のふもとのコンビニで聞いたんです。どこかに、人が少なくて落ち着いてゆっくり泊まれる所はないかと」

「そうだったんですか」

「ええ。せっかくの旅行ですから、ちょっと隠れ家的な旅館がいいかなと思って。私だけが知っている穴場みたいな所を発見するのって楽しいじゃないですか」

「なるほど。その気持ち分かりますよ」


あぁ。

良かった。

本当に良かった。

看板の威力と同様に、地元の人の情報力というのも、なかなかすさまじいものだ。

ありがとう。

ありがとう、コンビニの店員さん。

青山さんに、このペンションを紹介してくれてありがとう。

俺は、そう思わずにはいられなかった。

なんせ、昨日までは看板すらない状態。

そういう意味では、本当に隠れ家だったもんな。

いや、ひっそりとそびえ立つ秘密基地と言っても過言ではないかもしれない。

おそらく、そのコンビニの人は、このペンションに看板が設置されたことはまだ知らないだろう。

きっと、いや、間違いなく。

それなのに、ここを紹介するというのは、かなりの地元通に違いない。

ペンションさくらに青山さんが来たのは、すごい確立だ。

天文学的な数字だ。

そんな確立の低さで、俺と青山さんは巡り合ったわけか。

あぁ、やばい。

こういう事実も、俺の恋心を燃え上がらせる。

運命。

やはり、これは運命。


俺は、そう思わずにはいられなかった。




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