エピソード4【恋は、突然始まるもの】①
――午後6時34分。
すっかり日も落ちて暗くなったペンションさくらの周りは、まるで童話に出てくるような美しい雪の世界を作り出している。
みんなが、それぞれ自分の部屋に戻ってから、40分ほど経過していた。
岡本さんは、201号室でくつろいでいるご様子。
当初、202号室のはずだった武藤谷さんは、このペンションで1番豪華な103号室に変更になった。
もちろんその部屋は、愛すべき武藤谷さんのためにとオーナーが用意した特別室。
そして、オーナーもずっとその部屋で閉じこもっていた。
時折、楽しそうな笑い声がアハハ、アハハと聞こえてくる。
まあ、幸せそうならなによりだ。
オーナーに突然舞い降りた恋なんだから、どんな形であれ、俺も応援してあげなきゃな。
そして、ひろこちゃんは1人、厨房でディナーの用意をしていた。
実はひろこちゃんは、料理の腕はプロ級なのだ。
なんでも、お父さんがイタリア料理のコックさんで、小さい頃からお父さんが料理する姿をいつも眺めていたらしい。
その結果、いつの間にか独学でイタリア料理の基礎を覚えたようだ。
すごい。
すごいぞ、ひろこちゃん。
人は、見かけでは分からない。
俺は、そう思わずにはいられなかった。
ちなみに今日のメインは、ミラノ風カツレツとボンゴレビアンゴ。
素晴らしい。
このペンションにひろこちゃんがいなかったら、いったいどうなっていたことやら。
感謝。
感謝。
ひたすら、感謝するばかりだ。
ちなみに俺も手伝おうと思ったが、相変わらず、俺には料理の才能がない。
というよりも、イタリア料理なんてハードルが高すぎる。
食後の皿洗いが、俺の仕事だ。
とりあえず俺は、ロビーの奥にある大きなテーブルに、皿やグラスを並べ始めた。
さすがオーナーは、ボンボンなだけある。
お皿やグラスはもちろんのこと、スプーンやフォークにいたるまで、全てが一流品ばかり。
割らないように、必要以上に気を使ってしまう。
そ~っと。
そ~っと。
神経を集中させ、ゆっくりとテーブルのセッティングをしていると、
トントン――
誰かが、玄関のドアをノックする音がした。
ん?
また、お客さんか?
看板の威力は、本当にすごいな。
俺は、そう思わずにはいられなかった。
「はい! 少々、お待ちくださいませ!」
ガチャ――
俺は、急いでドアを開ける。
すると、そこには、1人の女性がボストンバッグを両手で持って立っていた。
「こんばんは」
女性は、丁寧に頭を下げる。
「い、いらっしゃいませ」
俺も、丁寧に頭を下げる。
ドキドキ。
ドキドキ。
え……?
ドキドキ。
ドキドキ。
何だろう。
この感覚は。
何だ。
何なんだ。
なぜだか、一瞬、時が止まったような感覚に襲われた。
時間にして2.3秒。
俺は、そのわずかな時間、女性に目を奪われてしまう。
そう。
彼女は美しかった。
ペンションの周りが想像以上にきらびやかな雪景色になっていたからだろうか。
その光景が、さらに女性の美しさに拍車をかけていた。
「あのう、お部屋、空いてますか?」
「は、はい」
ドキドキ。
ドキドキ。
や、やばい。
俺は、少し緊張しているようだ。
どうも、俺は美しい人を目の前にすると、カチカチになってしまう。
だが、おかしいな。
今までも似たような状況は多々あったが、今日はいつもと比べものにならない。
ドキドキ。
ドキドキ。
胸の高鳴りが、依然続いている。
何だろう。
何だろう、この気持ちは。
あっ、そういえば、武藤谷さんが言ってたな。
『恋は、突然に始まるもの』……って。
ということは、これが『一目ぼれ』ってやつなのか。
いや、待てよ。
ありえない。
ありえない。
俺が女性を好きになる時は、内面を知ってから徐々に好きになっていくパターン。
俺が、一目ぼれなんてありえない。
ん?
じゃあ、ちょっと待てよ。
そうなると、この未だに鳴り止まない胸の高鳴りは何なんだ?
ドキドキ。
ドキドキ。
恋は、突然に始まるもの。
いや、でも……
ドキドキ。
ドキドキ。
恋は、突然に始まるもの。
ま、まさか……
ドキドキ。
ドキドキ。
恋は、突然に始まるもの――――
あぁ。
まいった。
まいった、まいった。
これは、オーナーの言葉が正しいのかもしれない。
そう。
やっぱり、そうだ。
俺は一目ぼれをしたんだ。
それは、突然の出来事。
俺は一瞬にして、恋に落ちてしまった。
あぁ。
これが一目ぼれか。
こんな恋の形が俺にも訪れるなんて。
人は見かけでは分からない。
人の内面は分からない。
俺は、自分で自分を客観視した時に、そう思わずにはいられなかった。
とにかく、とにかく、落ち着かなくては。
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