エピソード1【不思議な椅子】④


だが岡本さんは、周りのことなど少しも気にする様子はなく、


「ほんま、こんなペンション、潰れてないのが奇跡やわ!!!!」


足を組み、椅子にふんぞり返って喋り続ける。


「まあ、他に泊まる所もないし、今日はここで我慢したるわ!!!! しっかし……」


次に、ゆっくりと武藤谷さんに視線を向け始めた。


「いま入ってきたこの男……こいつもあほそうやな。おまけにブサイク……ブサイクマッチョって最悪やな」


なっ!

何を言ってるんだ、この人は!?


さらに、輪をかけて無茶苦茶なことばかり言い始めたじゃないか!

俺は、恐る恐るチラッと武藤谷さんに目を向けた。


「ブ、ブサイク、マッチョだと……?」


すると案の定、武藤谷さんの怒りは沸々と湧き上がっていた。

眉がピクピクと痙攣。

力強く握った2つの拳からは、今にも殴りかかりたい気持ちが分かりやすいほど伝わってくる。

鬼。

まるで、宿敵を退治するために現在に舞い降りた鬼のような形相だ。


ダメだ。

誰がどう見ても確実に怒っている。


「てめえ!! こらぁぁぁぁぁぁ!!!!」


そして武藤谷さんは、岡本さんの首根っこをグイッとつかみ、


「ビジュアル的に俺と大して違わねえだろうが!! そもそも顔だけなら、おまえのほうがブサイクだろうが!!!!」


と、椅子から無理やり立ち上がらせる。

おお!

これはやばい!

一刻も早く、怒り狂った鬼を止めなくては!


「お、落ち着いてください!」


俺は慌てて武藤谷さんを後ろからはがいじめにした。

このままじゃ、確実に喧嘩になってしまう。

絶対に止めなければ。

俺は今にも突進しようかという武藤谷さんを、必死で押さえつけていた。


「ブサイクマッチョとはどういうことだ!! てめえに言われる筋合いはねえ!!!!」


武藤谷さんの怒りは、どんどんと勢いを増すばかり。

そして、椅子からスタッと立ち上がった岡本さんはというと、


「ええ?? なんでや?? なんで考えてたことが分かったんや!?」


つかまれた首根っこが、やはり痛かったのだろう。

ケホケホと咳き込みながら、こんな呑気な言葉を繰り返していた。


何だ?

何なんだ?


まるで状況が分かっていないといった感じだ。

全く。

自分で全部喋っておいて、何をとぼけているんだか。

俺は岡本さんの態度に、怒りを通り越して呆れ返ってしまった。

しかし、そんなことを気にしている余裕はない。

とにかく、武藤谷さんの精神状態を元に戻さなければ。


「武藤谷さん、もうやめましょう! 岡本さんも悪気があったわけじゃないんですから!」

「うるせえ!! どうみてもさっきの言葉は、悪意の固まりだろうが!!!!」

「お、落ち着いてください!」


ダ、ダメだ!

武藤谷さんの怒りは、収まりそうにない!

むしろ、とぼけて煙にまこうという岡本さんの態度を目にして、さらに怒りの加速度がヒートアップしている!


「オ、オーナー!!」


俺は、武藤谷さんの体を押さえつけたまま叫んだ。


「ボーっと見てないで、早く止めてください!!」

「う、うん!」


俺の言葉に促され、オーナーが2人の間に割って入った。

しかし、さらに事態は悪化しつつあった。

今度は、岡本さんが武藤谷さんに対して逆ギレし始めたのだ。


「さっきから何をキレとんや!! おまえはぁぁぁぁ!!!!」


岡本さんの罵声が、武藤谷さんに向かって投げつけられた。

当然、武藤谷さんの怒りは何十倍にも膨れ上がる。

俺が武藤谷さん、オーナーが岡本さんを取り押さえる形で、なんとか殴りあいを防いでいるといった感じだ。


しかし、何なんだ、岡本さんは。

この喧嘩のきっかけを作った張本人なのに、自分勝手なこと、この上ない。

だが、まずい。

まずいぞ、これは。

早くこの状況をなんとかしなければ。

俺は再び、脳みそを限界突破でフル回転し始めた。

そう。

何か良い解決方法がないかと俺は必死だった。

すると、俺の考えがまとまる前に、オーナーが部屋中に響き渡る声で、


「落ち着いてくださ~~~~い!!」


と、2人に訴えかけた。


「さっき岡本さんが喋ったことは全部、その椅子のせいなんです! だから、岡本さんは悪くないんです!」


え?

椅子のせい??


俺は、オーナーの言っている意味がよく分からなかった。

喧嘩中の2人も当然ながら、おそらく俺と同じ気持ちだろう。

その証拠に、さっきまでの騒ぎが嘘のように、キョトンとした顔でオーナーを見つめていた。


「実は……」


そして、部屋の空気が徐々に静かな色に変わった瞬間、全員の疑問に答えるように、オーナーはゆっくりと真剣に喋り始めた。


「これは、本当か嘘なのかは分からない話なんですが、私の曽祖父、つまり、ひいおじいちゃんがサンタクロースから貰ったという……座るとその人の本音が飛び出す、真実を映し出す誠の椅子なんです」


しかも、とオーナーは言った。


「座っている時に喋ったことは、本人の記憶には残っていないんです」


オーナーの目は真剣そのもの、ふざけている雰囲気は微塵も感じられなかった。

しかし、その大真面目な説明により、俺たちはさらにキョトンとしてしまった。


だって、どう考えてもありえない。

ありえない。

ありえない。

そんな椅子はありえない。

目の前にあるのは、木を削って組み合わせたような椅子。

良く言えばアンティーク調。

悪く言えば、古ぼけた感じの作りの荒い椅子。


え?

何だって?

この椅子が、真実を映し出す誠の椅子?

本音が飛び出す椅子?


それは、いくら頭の中を柔軟にして受け入れ態勢を整えても、とても信じがたい話だった。

だが、なぜかオーナーの話にひきつけられる自分もいる。

なぜだろう?

その理由はよく分からない。

でも少し、いや、かなり興味があるのは確かだ。


そして、オーナーは変わらず真剣な口調で再び口を開いた。


「いいですか、みなさん……この椅子は名づけて……」


名づけて……?


「トュルーチェアーっていうんですよ」


腰に手を当てて、自信満々な笑みを浮かべるオーナー。

『どうだ!』

『恐れ入ったか!』

『最高にいいネーミングだろ!』

少なからず、そんな雰囲気もかもしだしていた。


トュルーチェア――――


訳して、真実の椅子……か。

なるほど。

確かにぴったりなネーミングだ。

だが、椅子の名前を言われても、やはり信じるのは難しい。

『はい、そうですか』とは受け入れられない。

もちろん、武藤谷さんと岡本さんも、疑いの眼で全く信じようとはしなかった。


『そんなおとぎ話みたいなことがあるわけない』

『サンタクロースってところも嘘っぽい』


口々に否定の言葉を並べ始めていた。

そして、ひろこちゃんまでが、


「私が思うに、この椅子に座らなくても人間は本音を言えますよね」


と、上品に、ムフフフと鼻で笑い始めた。

う~ん。

確かにそうだよな。

それにやっぱり、そんな椅子が存在するわけがない。

きっと、さっきの岡本さんの件は、ただ単にうっかり口を滑らせたということだろう。

そうだよな。

それしかないよな。

俺は、心の中でそう答えを弾き出していた。


おそらく、周りのみんなも俺と同じ気持ちだろう。

誰1人、オーナーの言葉を信じて、深く頷いたり拍手を贈ったり感動の涙を流したりする者はいなかった。

しかし、オーナーからすれば、そういう態度が気に入らなかったのだろう。


「うるさ~~~~~~~~い!!」


突然、手をじたばたさせながら、声を裏返して怒鳴り始めた。


「そんなに私を疑うなら、誰でもいいから座ってみてください! この椅子の力が証明されますから!」


オーナーは、相手がお客だということをすっかり忘れているようだ。

血管が切れそうなほど顔を真っ赤にし、息を切らしながら怒鳴りちらしていた。


う~ん、やはりオーナーも俺と同様、1から接客を勉強する必要があるな。

しかし、まあ今はどうでもいいか。

とにかく、今はこの椅子だ。


確かに、もう1度誰かが座れば、この椅子の能力が証明される。

よし。

じゃあ、とりあえず、俺が座ってみるか。

そうすれば、全てはっきりするだろう。

と、まあ、こういう当たり前の考えから俺は椅子に座ろうとした。


――すると。


「こ、心の本音を喋ってしまう椅子か……」


ん?


「ほ、本当なのか……いや、でも、そんなことが……」


ロビーの隅にある観葉植物の側で、何やらブツブツとつぶやいている男が1人。

それは、武藤谷さんだった。

腕を組み顎に手を当てて、真剣に自問自答を繰り返している。


どうしたんだろう?

ひょっとしたら、少し椅子の力を認めようとし始めたのか?

ついさっきまでは、あんなに信じてなかったのに。

う~ん、なんでだろうな。

オーナーの気迫が伝わったとしか思えないな。

そして、武藤谷さんの心境の変化に気がついたのは俺だけではなかった。

中央の2人がけソファーに座り、ニヤニヤと眺めている人物が1人。

それは、岡本さんだった。


「ふ~ん……あんた、ひょっとして……」


岡本さんは言った。


「この椅子の力を信じとるんか?」

「そ、そんなわけ、な、ないだろう!」

「ふ~ん……」


岡本さんは、さらにニヤッと笑った。


「あんた、何か怪しいな」

「べ、別に、何もねえよ!」

「あっ……」


ひょっとして、と岡本さんは言った。


「なんか、心の声が聞かれたら困ることでもあるんとちゃうか?」

「ば、馬鹿なことを言うな!」


武藤谷さんは、そそくさと相棒の観葉植物の影に隠れて、いきなり挙動不審になり始めた。


「そ、そもそも、こ、こんな椅子、なんの力もあるわけがない!」

「そやな。じゃあ、恐がらずに座ってみよか」


そう言うと岡本さんは、武藤谷さんの手を取り、椅子に向かって誘導を始めた。



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