第4話 クラウディア付従者 エルフリードの話
少し、昔の話をしたいと思います。
私の名前はエルフリード。
クラウディア様付従者として、幼少よりお仕えしております。
初めてクラウディア様とお会いしたのは、お嬢様が4歳、私が10歳の時でした。
お嬢様はすぐに私に懐いてくださり、気軽に「エル」と呼んでいただけるようになりました。
それと同じように、私もお嬢様に強請られて、恐れ多くも「ディアさま」と呼ぶようになりました。
しかしそれも、お互いに成長していくうちに、改めるようになりましたが。
この話は、まだクラウディア様と私が、お互いを愛称で呼びあっていた頃の話です。
「ねえエル!見て!すごいわ、素敵!」
「ええ、そうですね。でも落ち着いてください。お祭りは逃げませんよ」
自分の腕に巻きついて、興奮に目をきらめかせる。
そんな少女に引っ張られるまま、街道の奥へ奥へと足を向ける。
街には鮮やかな赤の国旗がはためき、道を埋め尽くすように露店がひしめき合っている。
年に一度だけ行われる、秋の収穫祭。
陽気な音楽、美味しそうな食べ物、珍しい品物を売る異人の行商人。
そんな、いつもとは違う街を見たいがために、僕たちは屋敷を抜け出していた。
いわゆる、お忍びというやつだ。
「ああ素敵。素敵よ。全部きらきらしてる。とっても綺麗だわ」
うっとりと街を見回すディアさまに笑う。
そりゃあ、いつも僕たちが暮らしている辺境の地に勝ち目はないだろう。
あそこは緑以外、なにもないもの。その分、人は暖かいのだけれどね。
ディアさまは生まれつき体が弱い。
なにかあればすぐに熱を出し、ひどい時には肺を患ってしまう。
だからアウラ侯爵は、ディアさまを領地の中でも特に空気の良い土地、言ってしまえば田舎へと、静養のために送ったのだ。
今回僕たちが都にいるのも、ディアさまの伯母上様の出産祝いのため。
本当ならここにいてはいけないのだが、「たまにはいいだろう?」とディア様の一の兄上さまがこっそりとお忍びに送り出してくれた。
ただし、無理はさせないようにとの厳命付きで。
「ディアさ――ニーナ、折角ですから、なにか食べていきましょうか」
ニーナとは、今回のお忍びで使う、ディアさまの偽名だ。
ディアさまはアウラ侯爵家子女でおられる。
しかも、体が弱いこともあってか、旦那さまはディアさまに甘い。
いや、むしろ甘々だ。
つまり、ディアさまはアウラ侯爵家の弱点なのだ。
そこを突けばアウラは崩れる。裏の世界でそう言われていることを、僕は知っている。
アウラ家は大きな力を持つ。
恨む者も、妬む者も大勢いる。
機会を窺って足元を掬おうとする者は絶えない。
だから、クラウディアさまのお名前を軽率に呼ぶことはできない。
いつ、どこで狙われるか、分からないから。
――先程、危うく呼び掛けそうになったことには目をつぶってほしい。
「まあ!いいの?嬉しいわ!」
ぴょんと飛び跳ねたディアさまが走り出す。
絡めた腕を解き、いつものお淑やかな仕草などかなぐり捨て、走り出す。
ひしめく人々の間を縫って、どこかへ向かおうとするディアさま。
頭が真っ白になった。
「ディ……ニーナ!だめです、戻ってください!」
「エルー!早くー!」
小さな背中が人混みの中に消えていく。
僕の声に一瞬だけ振り向いたディアさまは、楽しそうな笑みを浮かべて手を振り――消えた。
ああもう、最悪だ!
素敵、素敵、素敵!
どこを見ても、とっても綺麗。街中がきらきらしてる。
知らない道、知らない人、知らない食べ物。全部見て回りたい。
時間が足りないわ。何日でもここにいたい。
ああ。お忍びって、なんて楽しいの!
鼻歌を歌いながら、人混みの中を潜り抜けていく。
露店を覗いたり、異国の人を観察してみたり、いつも持て余している頭と体をフル稼働させて、全力で楽しむ。
あのお店の飾り玉はとても綺麗だったわ。
透明な玉の中に、赤や青や黄色や、その他にもたくさんの色が帯みたいに平べったくなって詰め込まれていたけれど、どうしてあんなものが作れるのかしら?
……考えても分からないわね。まあいいわ。
そうね、小さな木苺の実がいくつも入った水飴も美味しそうだったわ。
ああでも、その隣にあった、果物の砂糖漬けだって負けてない。
あっ、あの女の子のダンス、とっても楽しそう!
手に持ってるひらひらした布が光に照らされて、綺麗な青色に染まってる。
「ねえエル、すごいわね。都にはこんなに綺麗なものがいっぱいあるのね。知らなかったわ……――エル?」
ふと周りを見回してみる。
「エル?」
人はこんなにたくさんいるのに、エルだけがいない。
知らない街に、一人ぼっち。
「エル……エル?どこいるの?」
その後、私は街の中を延々と彷徨っていた。
完全に、迷子だった。
それでなくても多すぎる人混みの中で、エルひとりを探すのは困難なこと。
それでも不安に苛まれた私は、どうしても動かずにはいられなかった。
「エルったら、どこなのよぅ……」
ついにはぐずぐずと鼻を鳴らし、溢れた涙を拭いながら、脇道の影にうずくまった。
暗い。怖い。寂しい。
エルは「戻れ」って言ってたのに、私、楽しくて言うこと聞けなかったわ。
ごめんなさい、エル。これからはいい子になるわ。
だからお願い――
ゴツッ、という硬い足音。
気になって顔を上げる前に、何かに腕を引かれた。
途端に視界が明るくなる。 眩しい……。
咄嗟に目を瞬しばたたく。
そして見えた色は、綺麗な金色だった。
「ねえ、君、迷子?」
「……へ?」
反応が遅れてしまった。
光を反射してきらきら輝く金髪に、見惚れていた。
ぼんやりとしていた思考を戻すと、柔らかな笑みが目の前にあった。
私と同じか、少し上くらいの男の子。
明るい緑の瞳が優しく細められる。
……綺麗。
私がクラウディア様を発見したのは、はぐれてから二時間ほど経った頃でした。
一心不乱に探し回っていたと言うのに、本人は至極楽しそうに にこにこと笑っていて、頭痛が止まらなかったのをよく覚えています。
どうやら親切な方に街を案内してもらったそうで、「とっても楽しかったわ!」だそう。
その日、小さなクラウディア様は、その親切な方にいただいたという、ナスタチウムの花を手放すことはありませんでした。
その翌日に、やっぱりというか、なんというか。
体調を崩して熱を出したことは、ご愛嬌ということで。
私は従者という身の上ではありますが、クラウディア様は私のことを、本当の家族のように扱ってくださいます。
もちろん、お屋敷に勤める他の使用人に関しても同じこと。
旦那様や奥様も、そんなお嬢様――今は奥様ですが――を愛しく思い、慈しまれていらっしゃいます。
奥様は、たくさんの方々から幸せを望まれているのです。
幼少時よりお仕えし続ける私が言うのですから、間違いありません。
それを、あの人は。
クラウディア様を見る、あの目が気に入らない。
なぜあの人は、クラウディア様を見ようとなさらないのか。理解ができない。
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