別視点

第3話 奥様付メイド長 エラの話

「……なぜ……」



 何度繰り返しただろうか。



「クラウディア様……っ」



 泣きたいのに、涙が出ない。



 私は信じて疑いませんでした。

 奥様は幸せなのだと、そう思っておりました。


 ……いいえ、嘘です。

 本当は分かっていたのです。

 奥様は……クラウディア様は、きっと、寂しかった。





 私が初めてクラウディア様のお顔を拝見したのは、コール家当主、ジョセフ・フォン・コール様とのお見合いの席でのことでした。


 一応お見合いという形を取ってはいるものの、お二人が近いうちに結ばれることは周知の事実。

 お見合いはただの建前に他なりません。


 社交界中に知らしめるのです。

 クラウディア様のお相手はジョセフ様なのだと。




 アウラ侯爵が相好を崩し、笑う。

 真っ白な髪をくしゃくしゃと掻く仕草や表情は優しいのに、目だけは刺すように鋭い。

 ジョセフという人間を見抜こうとでもするように、真っ直ぐに彼を貫いている。

 ジョセフはその視線に、気を抜けば身震いしてしまいそうな寒気を感じていた。

 その類いには慣れているはずだったのだが。


「すまないね。驚いただろう」

「いえ、そんな……ですが、本当によろしいのですか?クラウディア様にはもっと……」


 苦笑混じりにジョセフがそう言うと、アウラ侯爵は更に笑みを深める。

 鋭かった目がゆるゆると柔らかく下がる。その変化に驚いた。


「……いいや。あの子には、自由に生きてほしいのだよ」


 言えない。


 そう思った。

 その一言で分かる愛の深さを感じて、初めて自らの恋を恥じた。

 今まで考えもしなかったというのに。


 私はこんなにも汚かったのかと。





 侯爵家であるアウラ家に生まれたクラウディア様は、幼少時は体が弱く、アウラ家が治める領地の中でも特に自然が豊かで穏やかな辺境の地にて、伸びやかに過ごされたそうです。

 もちろん社交界にもほとんど出る機会はなく、ご家族や使用人の下で、大切に、大切に慈しまれておりました。

 その意味でいえば、クラディア様は真に『深窓の姫君』であったのでしょう。

 優しい世界の中しか知らない、愛らしい『かごの中の鳥』。


 クラウディア様の父上であるエルダー様は、病弱でお優しいクラウディア様を案じ、あえて自身の家格よりも下である血筋の婚約者を求められました。

 煩わしい社交界から少しでも遠ざけるためでございます。

 身分が低いからこその自由を求められたのでしょう。

 そこで白羽の矢が立ったのがこの方、コール子爵でございます。


 しかし、いくら家格が低いといえども、やはり貴族は貴族。

 深窓の姫君であるクウディア様にとって、都での暮らしは苦労の多いものになるでしょう。

 そう考え、不肖エラ。決意したのでございます。

 コール家に使えて早20年。メイド長まで登り詰めた私が奥様付になることは明白。

 私が、微力ながらお支えいたしましょう。

 使用人である私たちにさえ優しく接してくださるクウディア様。

 私情が大きく絡んでいることは否定できません。

 ですが、この優しいお方の心を、少しでも慰めることができればいいと思ったのです。


 クラウディア様がお飾りの正妻であることは、屋敷中の皆が知っておりましたから。





「……メリッサ様、ようこそおいでくださいました。旦那様になにかご用でしょうか?」


 さあ、エラ。プロとしての意地を見せるのです。

 そう自由に言い聞かせ、完璧な笑みを顔を張り付ける。

 口から出るのは盛大な皮肉。

 彼女もそれには気付いているのでしょう。

 ええ、とだけ答えたその表情は、ひどく美しく輝いていた。


「少し、仕事のことでお話がありまして」

「かしこまりました。旦那様は今、書斎にいらっしゃいます。ご案内いたします」


 再びにこりと笑む。

 さっと身を翻して、書斎へと続く廊下へとを歩を進める。

 その間も、掌に爪が食い込んで痛い。


 ああ。


 ああ、この人さえいなければ!


 普段の自分に似合わず、唇が震えているのを感じた。


「エラ?」


 コツリ、聞き慣れた私にしか拾えない、小さな靴音が聞こえた。


 すっと腹のあたりが冷えていく。


「お客様なの?」

「奥様、」


 扉が開く。

 滑るような足取りでそこから現れたのは、艶やかなブラウンの髪を靡かせた奥様。

 私の背後に立つ人を見た瞬間、凪のように穏やかな笑みが凍りついた。

 しかし、すぐに持ち直す。


「いらっしゃったのですね、メリッサ様」


 コトリと首を傾げたクラウディア様が言う。

 その言葉に返すように礼をするメリッサ様の所作は、流石としか言い様がない。


「はい。失礼しております、クラウディア様。お元気そうでなによりですわ」

「ええ、お陰さまで。メリッサ様もお仕事が順調のようですわね。風の噂で聞いておりますわ」


 華やかで壮絶な女の戦い、というにはどうにも心もとない。

 お互いに一歩引きあい、遠慮がちに窺っているように見える。


「わたくし、女性が社会に進出するということは、とても素晴らしいことだと思っているんです。ご苦労なさっているとは思いますわ。でも、後世の女性たちのためにも、どうかご尽力くださいませ」



 そう言って、クラウディア様はひどく綺麗に微笑んだ。



「……ありがとうございます。ご期待に添えるよう、努力して参りますわ」


 メリッサ様が礼を取り、会話は終わる。





 なぜなのですか。



 なぜあなたの方が泣きそうな顔をしているのですか。

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