第3話

 久しぶりの母さんとばあちゃんの手料理に舌鼓を打った。他人の手料理なんていつぶりに食べたろう。少なくとも元彼女は外食を好んでいたから、実家に帰ったときから二年前ぶりになるか。やっぱり美味しかった。田舎らしく、味付けががさつで塩分多めだけれど、それが美味しかった。

 食べ終わって、皿洗いを手伝うというと、ばあちゃんが嬉しそうに笑った。意外だった。ばあちゃんに喜ばれるとは思っていなかった。

 じいちゃんとばあちゃんが早くお風呂に入って、年寄らしく早くに眠ってしまったあと、茶の間に父さんと母さんと三人になって、テレビを眺めていた。

 クリスマス特集ということで、クリスマスにあった奇跡のようなお話を短編ドラマにして放送していた。ぼーっと見ていると、母さんが突然、「もういいよ」と言った。

 何がもういいのかわからなくて気にせずテレビを見ていると、「嘘つかなくていいよ」と言われた。

 母さんのほうを見ると、微笑んでいた。


「あだしも、お父さんも、あんだの親なんだがら、あんだが何か隠してだって分がんの」

「なんのこと?」ごまかすように瞬きをした。

「あんだね、嘘つくとき、首かくのよ。知らながったでしょ」知らなかった。

「電話越しだったら分がんながったげど、さすがに会って話したら分がるさ」

「何が?」父さんが首を傾げた。肩口に母さんのビンタがスマッシュヒットした。いい音がした。

「結婚なんてね、タイミングだし、付き合った別れたなんて別に長い人生でたくさんあるごとなんだがら、別に隠さなくていいのよ」

「でもさ……」

「なに?」母さんが優しく尋ねてくる。

「みんなに言った手前、そうはいかないでしょ」

「でもダメだったんでしょ?」

「…………」ダメだったけど。

「別にいいのよ。じいちゃんばあちゃんは気づいでないだろうがらあだしがなんとかしておくとして。いいのよ。結婚はさ、人と付き合うってのはさ、親のためにでも家族のためにでもするごどじゃないよ。あんだが、誰が女の人のごど好ぎになってさ——男の人でもいいよ別に」

「——え?」父さんがぎょっとするとまた肩口に母さんのビンタがスマッシュヒットした。またいい音がした。

「とにかくさ、とにかく人のことが好ぎになって、その人と一緒にいだい、その人も、あんだと一緒にいだい、そう思ったら結婚すればいいのよ。今回はそうなんながっただげでしょ。いい経験したじゃん。そういう人もいるんだな、って、ね?」

「そういわれたらそうなんだけど」

「お風呂入んなさい。どうせいっつもシャワーなんでしょ。田舎寒いがらね。お風呂入って、しっかりあったまんなさい。美味しいごはん食べたでしょ、お風呂入って温まるでしょ、ゆっくり寝る。そしたらほら、明日になってしょ。明日なったら、何かあるかもよ」

「何かってなに」

「何かは何かでしょ。明日、明後日、明々後日、何かあっかもしれない。明日がなくても明後日、明後日なくても明々後日、そうやって一日一日過ごしてたらなんかあるでしょ」

「だから何かって何さ」

「何かは何かさ。お母さんにそんなのわかんないよ」なんだそれ。


 思わず吹き出してしまった。


「まったく、せっかく有難い話してんのに笑うんだもんね、ひどい息子だごだ」

「そりゃすいませんね」

「ほら、お風呂入っておいで」


 確かに、今日も冷える、お風呂に入ろう。昨日は入れなかったし、ゆっくりつかろう。母さんの言葉に甘えて風呂場に向かった。服を脱いで湯船から洗面器でお湯をすくって体にかける。少し熱い。体が冷えているからなおのことそう感じた。頭を洗って、体を洗って、泡を流してバリアフリーになっている湯船に肩まで浸かる。

 僕が東京に出て、数年経ったけれど、実家は確実に老化している。じいちゃんばあちゃんだけでなく、父さんも母さんも年老いている。当たり前のことだけれど、だから少しずつ、実家が変わっていく。でも、この温もりは、やさしさは変わることはないんだなあ、と思うと、目頭が熱くなった。

 ごまかそうとざぶんと頭まで湯船につかって息をはいた。

 顔を出して、天井を見る。明日になれば何かある。母さんの言葉を反芻する。

 明日にならないと何があるのかわからないけれど、そうやって一日を過ごしていく。思えば、元彼女と出会ったのだって、明日になれば何かあったからだ。出会う昨日はそんなことがあるとは思わなかった。付き合う昨日だってそうだ。明日になったら付き合えるなんて思ってもみなかった。

 別れた昨日だってそう、そうだった。あんな風に終わりを迎えるなんて思っていなかった。でも、それが人生なんだろう。

 わずかに二十五年。四半世紀しか生きちゃいない。じいちゃんもばあちゃんも、父さんも母さんも、僕より長く生きている。どんな明日がくるのか、期待しているのかしていないのか、考えているのか考えていないのか、それはわからないけれど(父さんは考えてなさそうだけど)、そうやって生きてきて、今に至るのだろうから、だったら僕も先人に倣ってそう生きてみよう。

 ちっぽけな決意だけれど、そんな思いを胸にして、今はもう少し、この少し熱いお風呂に浸かろう。

 長風呂をしてのぼせ気味な頭で、素直になれない僕は聞こえもしないありがとうをつぶやいた。

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