ある晴れた京都の町で

小道けいな

第1話

 梅雨のつかの間の晴れの日、私は地図を片手に京都の町を散策していた。

 やってきたのは修学旅行以来であり、初めての一人旅である。一人旅といっても大げさな気持ちはないが、新幹線に乗るだけでも旅の気持ちは高まる。それに京都の町に関しては学校で調べ、自分でも調べているため、全く知らない町とは言いえない。もちろん、住んでいる方に比べれば何も知らないだろうけれどね。

 さて、市営バスが乗り放題になる切符で目的地に向かう。市内をバスは隅々まで走っているように思える。学生のころも大人になってからも重宝する移動手段だ。

 あるバス停で次の目的地を考える。何系統に乗るのか、どこで乗り換えるのか、チケットを買ったときにもらってきた路線図を見ながら最短ルートを見つけようとする。

「どこに行くの?」

 私の前に並んでいるおばあさんが問う。せっかくの親切だし……とは思わず自然に「どこそこ」と答える。

「なら――」

「ありがとうございます」

 私はお礼を言った後、路線図をしまって一緒にバスに乗り込んだ。

 親切なおばあさんへお礼の気持ちはあった。おばあさんの行動は私も人の手助けになるなら声を掛けたほうがいいんだろうなと考えるくらいだ。

 問題が一つ。

 言葉の問題。

 早口というわけではなかったのだが、おばあさんの京都弁を私が聞き取れなかったのだ、途中から。聞き直せばいいのだが、バスが到着して列が動き始めていたし、タイミングがなかった。聞き直すのもなんか申し訳ないという謎の謝罪癖気分も生じる。

 外国の人に言葉が分からずとも困っていそうなら声を掛けてあげて、と言うのにも通じる問題だろう。

 首を突っ込んで知らないと申し訳ないとも思うし、自分の時間がない場合もある。

 言葉が分からずとも地図があればいいのかもしれない。片言の日本語で「どこそこホテル」と言われても「ホテルはあったけど、そんな名前だったけ?」と不安があったりする。地図があれば、今はここだから、これと言える可能性は高い。

 話しかけるタイミングって難しいと思う。話しかけられた場合? そりゃ、できる限りのことはするよ。

 ああ、東銀座と新橋の間くらいで場所を聞かれたときは非常に困った。でも、とっさに「何線のどこ駅?」と質問しなおした記憶。路線が入り乱れているから意外と歩いていると違う路線の駅のそばにいたりするんだよ。

 「ゆりかもめ」を下りた後行先を見ないできびきび歩いていたら、新橋から汐留まで歩いていたことがある。戻っているのでショックだった。

 また声を掛けられたら、期待には……あ、ごめんなさい、応えられませんでした。東京駅、私も迷子。ああ、難しい! 道を聞くのも結構難しい!

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ある晴れた京都の町で 小道けいな @konokomichi

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