「ふにゃ……、む?」

 午後七時半、日はとっくに暮れた清流川の川沿いの道に備えられたベンチの上で真也は目を覚ました。目を開く直前に、つい先ほどまでの戦闘が頭を駆け巡る。敵三人を無力化し、その後で友希が、とそこまで考えて真也は勢いよく跳ね起きた。

「ちょっまっや……」

 と、そこで目の前から謎の声が真也の耳元から聞こえる。真也の態勢はちょうどベンチと四十五度の角度を作ったところだった。腹筋で結構きつい位置である。真也は慌ててそちらを向こうとして、顔を掴まれた。

「真也さん。落ち着いてください。それ以上こちらに顔を向けられたら、その……キスしかねません……」

 状況を把握する前に耳に囁かれた単語と、腹筋の限界で真也は再びゼロ度に戻る、はずが五度くらいの位置で頭が止まる。真也の後頭部と首の一部が柔らかい感触に侵食された。

 数日前の朝と同じ過ちを繰り返さないように、真也は頭を枕の位置にあるものに押し込んでみる。しかし、どこまで押し込んでも領域の最低面に達することはなく、後頭部の下に硬い障壁が発生することはなかった。

 つまりこれはそのあの、と考えたところで真也は思考を止める。深呼吸をして、完全に頭が冴えたところで真也は目を開いた。

「あの、頭をグリグリしたのはどうしてですか?」

 そこには恥じらうような表情で真也を見下ろす黒髪ロングの美少女、というか友希がいた。真也は友希の顔から視線を徐々に落としてみる。首、胸、お腹、そしてそれ以上下は見えない。どうやらそれ以下の部分は真也の死角になっているらしかった。というか膝枕だった。

「あ、えーと……。お亡くなりになったはずでは?」

 真也は頭をグリグリ〜という友希の質問をスルーすべく、別の話題を提起する。確かにもっともな疑問ではあったが、美少女の膝枕に預かっている男子高校生の発言としては微妙だった。

「いきなりそのことを言われるとは思いませんでした」

「ですよね〜って、そういえば僕の左手が千切れてたきがするんですけど、これも友希さんが直してくれたんですか?」

「その質問の前に、その、隣に座ってもらえますでしょうか……」

「はい。……」

 続けざまに疑問を呈することで、少しでも長く膝枕を堪能するという真也の高度な作戦は、恥じらうように目を逸らしてつぶやく友希の前に敗れ去った。

 五度ほど上半身を起こしては、腹筋が痛むフリをして膝枕に戻るという動作を繰り返す真也。その後、一度立ち上がってから、真也は友希の隣に腰掛けた。

 三人用の木を模したプラスチックのベンチに二人は並んで座っている。ミスしすぎたせいか、真也を見る友希の目が若干湿り気を増していた。

「ところで、その……、帰りますか?」

 真也はなんと言えばいいのかわからず、等間隔で道に建てられた時計を見ながら友希に尋ねる。真也と友希は第三者が会話の間に入っていれば問題なく会話できるのだが、二人で話すとどうも会話が進まないのだった。

「あの、真也さん。聞いて欲しいことがあります」

「聞いて欲しいことですか?」

 覚悟を決めたように友希は真也の目を覗き込む。普通の男子高校生ならここで勘違いをしてぬか喜びしてしまうのかも知れない。しかし、先日似たような状況で望まぬ告白を受けた真也は全く色ぼけていなかった。

「実はですね。私、不死身なんです」

「ですよね。じゃないとおかしいもんね」

 真也は頷く。友希が体をぐちゃぐちゃに……。

「うぷ……」

 真也は先ほどの惨状を思い出して思わず口を手で覆った。吐きこそしなかったものの、軽く咽頭まで溶解物がリバースしたのだ。それほどに友希の体の損害は酷かった。友希が不死身でないのなら目の前の彼女か、先ほどの死骸のどちらかの説明がつかなくなる。

「あの、そんなに酷かったんですか?」

「かなり。僕もそこそこでしたけどアレは……」

「お見苦しいところをお見せしました」

 友希が、若干、ほんの少しだけ申し訳なさそうな顔になる。真也は別のシーンでその言葉を聞きたかったと思ったが、不謹慎なので口にはしなかった。彼女が生きているので不謹慎とは言わないのかも知れないが、気分の問題だ。

「でも、私があんな風になったのは真也さんのせいなんですよ」

「……はい?」

 紛らわしい言葉に真也は今度こそ頰を染める。友希の頰も染まっていた。

「だって、一人でも十分制圧できたのに、真也さんが突っ込んできて、それに気をとられていたせいで銃撃に気づくのが遅れたんですから」

「いや、割と苦戦してたよね?」

「…………」

 真也は友希の言葉にムッとして言い返したが、友希は図星だったらしく、目を逸らす。どうやら照れ隠しだったらしい。

「でも、その、真也の突進に驚いたせいで撃たれたのは本当ですけど…………、加勢してくれて、ありがとう」

 友希はまた言い訳をして、そっぽを向いたまま最後に短く礼を言った。その言葉が真也の耳に届いて、彼は心が熱くなるのを感じる。ありがとうそのことばは彼にとって、何よりも嬉しいものだった。

「どういたしまして。じゃ、お礼は聞いたし、そろそろ帰る?」

「……聞いて欲しいことは、お礼じゃないですよ? 不死身の件です」

「いい感じの気分が台無しです……」

「はい? なんだかわからないですがすみません?」

 真也は疑問系なら謝らなくていいよ、と思ったが、友希の真剣な表情を見て口には出さなかった。

「まず、不死身の件ですが、絶対に他の人には話さないでください」

「了解です。言われるだろうと思ってました」

「優香ちゃんにも、特寮のみんなにもですよ」

「はい」

 念を押す、友希に真也は深く頷く。

「もし知られたら殺すことになります」

「殺……、五W一H?」

 続く友希の言葉を聞いて混乱した真也は、一気に六つの質問を投げかけつつ、ベンチの反対側まで退避する。次の瞬間にも、見られたからには殺すしかない的展開になるのではないかと恐れたのだ。

「そうですね、なにを? これは答えがないです。

 なぜ? 秘密をばらされては困りますから。

 いつ? 知られたら出来るだけ速やかにですね。

 どこで? 人目につかないところで?

 誰が、誰を? 私か家の者が秘密を知った人を。

 どのように? 場合によっては拷問にかけるかもしれませんが、基本的には楽に、でしょうか」

 友希は真也の疑問に丁寧に答える。真也は慌てて周囲を見回した。

 一つ、真也は秘密を知ってしまった。一つ、真也が秘密を知ってだいぶ時間が経っている。一つ、周囲に人はいない。一つ、真也の目の前に友希がいて自分は彼女の手の届くところにいる。一つ、真也は拷問されるくらいなら自殺したほうがいいという考えの持ち主だった。

 六方塞がりとはこのことなのかもしれない、と真也は思った。そもそもそんな言葉はないし、どのみち誤用なのだが。

「真也さん?」

 友希が真也の方へ体を寄せて顔を覗き込む。魔術師にとっては致命的な距離だ。反撃すれば逃げ切れる可能性もあるが、いくら身を守るためとはいえ、真也に友希は殺せない。物理的にも、心理的にも。

 もし、真也が友希を能力的に殺せても彼はそれを選択しないだろう。真也にとって最も、命よりも大切な者は他人からの信頼や、愛情だ。それがなくては真也は生きていくことができない。彼女を殺せば、少なくとも特寮、いや皇国に住むこともできなくなるだろう。それは彼にとって致命的だった。

「あの、別に真也さんを殺しはしませんよ? 秘密を守ってもらえればいいんです」

「僕は生きてて大丈夫?」

「らしいです」

 友希は真也の問いに伝聞系で肯定する。どうやら、彼女自身も本当にそれでいいのか迷っているようだった。

「らしい?」

「はい。詳細は不明ですが、真也さんが失神していた間に真也さんがそう仰っていました」

「僕が?」

「いえ、一人称はオレでし、他にも違和感を感じる点がありました。もし、真也さんの演技でなければですが。ちなみに、真也さんの腕を直したのもその方です。

 明らかに真也さんとは別の人に思えましたが、これは私の主観ですね。ありそうな可能性としては遠隔操作系の古代魔術でしょうか?」

「…………」

 友希の意見を聞いて真也は口を閉ざす。

「友希さん。聞いて欲しいことは以上ですか?」

「いえ、ここからです。ですが、まずは誰にも言わないと約束してください」

「それに関しては大丈夫。約束するよ」

 友希は頷いてブレフォンにタッチした。

「壱式匣・コード【遮音障壁サウンド・ブロック】・装填します」

 友希の式匣に魔術式が装填される。

「対象空間・演算完了。変数値の入力を確認」

 魔術式に変数値が入力された。

「展開します」

 友希の言葉とともに、ロゴスが魔術式に保管され、真也と友希を包む小さな空間に、その中で発生した音を消してしまう障壁が形成される。

「壱式匣・コード【光量操作ブラインド】・装填するロード・オン

 真也は魔術式を装填し、右手を自分の口に、左手を友希の口のそばへ持っていく。

発動するインヴォーク

 直接、対象に触れることで座標演算をカットし、真也は魔術を発動する。【光量操作】によって二人の口元の光が奪われ、唇を読み取られる心配もなくなった。

「ありがとう。では、お話しします。

 私は不死身なのは、昔から私の家、柊家で行われてきた実験の結果です。詳しくはお話しできませんが、少なくとも崩壊の遥か前から行われている実験で、過去に何度か人体の不死身化に成功しています。

 ですが、求めているものには届いていないらしく、私の代でも実験は続いています。不死身の先に何かを求めていることは確かなのですが、私は聞かされていません」

 友希は悲しそうに目を伏せた。真也は不死身に憧れたが、本人としてはそこまで喜ばしいことではないらしい。

「じゃあ、友希は吸血鬼でもなければ、自然化もしてないけど、不死身であるということになる」

「そうです」

「ふむむ」

 真也はそれを聞いて唸った。

「現代では不死身な人間は二種類に分かれるよね? 一つは吸血鬼。もう一つは自然化。それ以外の不死身性っていうのは聞いたことがないんだけど……」

「そうですね。世の中には Trans Vampier Virusトランス・ヴァンパイア・ヴァイアラス感染者。つまり、吸血鬼か、式匣数の多い魔術師が稀に起こす魔導事故の自然化の五割以上ハーフ・オーバーしか知られていません。

 私のはそれらの不死性とは別のものですが、有名な先例が幾つかありますよ」

「先例?」

「えぇ。伝説ではヘルメス・トリスメギストス。史実ではニコラ・フラメル、サンジェルマン伯爵、パラケルスス。

 現代ではヴィクトリア大英帝国・皇帝」

「賢者の石、ですか? 言われてみれば大英連邦帝国の皇帝は自然化でも吸血鬼化でもない不死身だったような気もする」

 真也は世情に疎いのだが、そういう話を聞いたことがあった気がした。

 事実、皇帝本人は自分の不死身体質は研究の偶発的な成功によるものであると公言している。

「私もその一人。賢者の石、そしてエデンの園にあるとされる生命の木の果実。そのようなコンセプトの実験で私は造られましたから」

「世の中には第三の不死性がひそかに存在し、友希さんはそれであるということですね?」

「はい。これが聞いて欲しかったことです。誰にも言えないのが辛かったのですが、話すわけにも行かなくて……。真也さんに知ってもらえて助かりました」

 少し、心の支えが取れた、と友希は笑う。真也はこんなことで力になれるのなら安いものだと思った。

「で、僕が穴を掘ってそこに叫んで露呈ろていしたりしないように、代わりに人質として僕の秘密を友希さんに教えておきます。

 ただ、今聞かされた秘密の人質には釣り合わないので、そこは勘弁してください。これでも僕の最も大きな隠し事なので……」

「王様の耳はロバの耳ですね。わかりました。聞かせてください」

 友希は頷いて、真也に話すよう促す。真也は友希から目を離して俯き、彼の秘密を語り始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る