数分後、真也はようやく意識を取り戻した。

 ピントの合わない目を開き、鼻と額の痛みに感覚が慣れていく。痛みが引くに連れ、彼は自分の状態を把握していった。なぜか体が縛り付けられている。

「ーーー!?」

 猿轡さるぐつわを咬まされているようで声も出せない。恐る恐る目を開いた真也の前には見知らぬ金髪の少女が立っていた。

「?」

 少し、見とれてから真也は首を傾げる。見たところ真也より少し幼いくらい。優香のやや赤みがかったブロンドヘアと違い、完全な金髪である。

「不法侵入ですか?」

 少女にそう尋ねられて真也は答えられない。

「わかりました。軽く暴行してから警察に引き渡します」

 少女は真顔のまま物騒な言葉を口にする。真也は慌てて、覚悟を決めた。

 ID申請を行わずに魔術を発動することは罪だが、正当防衛ならば仕方がない。

撃・鉄ナースド

 聞き取り不能な言葉で真也はそう言って、魔術師が唯一インプットデバイスとブレイン・マシン・インターフェイスの補助無しに発動できる魔術【自然状態】即ち、彼自身の【固有魔術】を発動した。

 彼の体に触れていることで対象指定された、全身を拘束する鎖が小さな雷鳴とともに砕ける。そして真也はあっという間に猿轡を外して、少女を見下ろした。

 そして、少女が真也と戦う意思を見せようとした寸前に真也は両手を挙げた。万歳ではなく、ホールドアップの形に。

 少女は瞬きしてから首を傾げる。

「あの、もしかしてノアさん?」

 真也は昨日、特寮の玄関で友希とバステトから聞いた話を思い出しながら尋ねる。特寮の中学生の可能性もあるが、友希の話にあった幽霊の金髪に似ていると真也は思ったのだ。

 彼の予想は当たっていたようで、ノアは頷いて後退する。名前を知られていたことに恐怖したのだろうか、顔も青くなっていた。

「あ、いえ。怪しいものではなくてですね。天神真也という者で、昨日から特寮に入ることになったんですが……えと」

 それを聞いて少女は真っ赤になった。勘違いを恥ずかしく思ったのだろうか、体を百八十度回転させて真也に背を向ける。

 こうして真也は特寮の幽霊に遭遇した。




「……失礼いたしました。本当に申し訳ありませんでしたっ!」

 十分後、破損した鎖などを片付けてから、真也と少女、ノアはもとの部屋に戻っていた。ノアは真也に頭を下げて謝る。

「あ、いえ、知らなかったのなら仕方ないと思います。はい」

 何度も謝罪されて、逆に迷惑している真也は話を変えようと思考を巡らせた。そして、思いついた疑問をぶつけてみる。

「あの、ノアさんは、どういうわけでこの特寮に住んでいらっしゃるんですか?」

 質問を受けて思案するように宙を見つめるノアの体は部屋の明かりを透過していた。体が透けているのだ。

「私はここじゃないところに住んでいるけど、こっちにも移動できるの。問題は本体の維持」

「本体ですか?」

「そう。君には迷惑をかけたし、君も私と同じくらいの危険性を孕んでいるから特別に教える」

「ありがとう……ございます?」

 金髪の幽霊少女は鷹揚に頷いて真剣な瞳で真也を見つめる。

「私は人間だった」

「人型ですもんね」

「そう。でも今は体の七割が光になっている」

「光……、自然化ですか?」

「そう」

 幽霊少女は頷く。真也はその体が透けている理由を理解した。

 自然化とは人間、特に高レベルの魔術師が、魔術事故によって自然と結合してしまう現象のことだ。ノアは光との結合を起こしたのだろう。

「自然化、モデル光で七割超えセブン・オーバーでよく自我を保てますね……」

「友人に体を拡散しないように心象性魔導のシステムを組んでもらったから」

「システム、ですか?」

「そう。詳しい内容は話せない。未踏は見抜いたけれど……、真也は未踏と知り合い?」

 苗字の関連性から感づいたのか、ノアが尋ねる。天神未踏は彼の孤児院の先輩、義理の兄にあたる人物だ。

「うん。義理の兄さんだよ。といっても孤児院が同じって意味だけど」

「なら、未踏のいっていた真也は君なんだね。未踏はよく君の話をしてくれたよ。すごく大きな器を持っているらしいね」

「……? 兄さんがその話をしたんですか?」

 真也はノアの言葉に少し驚く。未踏はそのことを秘密にするようにしていたはずだった。

「気にしないで、私は誰にも言わない。あと、一つだけアドバイス。

 広大な器は情報性魔導には向かない。選択授業を決めていないなら心象性魔導を教わるといいよ」

「心象性魔導が得意なんですか?」

「心象性魔導が、といよりは精霊使役に関する古代魔法に精通しているだけです。といっても、その分野では世界トップレベルという自負もありますけれど」

 真也は自信たっぷりに言うノアに尊敬の眼差しを向ける。

「それに、最も重要なのは君があれを受け継いだかどうかだけど……、それはまた次の機会に聞くことにする」

「あれ、ですか?」

「あ、いや人違いの可能性もあるから気にしなくていい。

 私はエレノア・シュヴァイツェル。よろしく天神真也くん」

「あ、ノアっていうのはあだ名だったんですか……」

「優香が聞き間違えただけで、何故かそれが定着してしまったの」

「御愁傷様です。こちらこそ、よろしくお願いします。エレノアさん」

 真也は幽霊に頭を下げた。

「エレノアさんは連盟から日本に来られたのですか?」

「連盟……、あぁ、太陽系連盟のことですね。私が日本に来た頃はまだ公社と呼ばれていたので、連盟という言葉は慣れません……」

 公社とは、太陽系連盟開発公社のことで、太陽系連盟の母体となっている組織の名前である。エレノアの言葉を信じるなら、彼女は連盟発足時より前から生きていることになる。連盟ができたのがちょうど百年前なので、彼女の年齢は百数歳ということになるのだった。

 五割以上の自然化した人間は、もし自我を保てるなら不死身というべき存在となる。彼女が何歳かは不明だが、十代前半に見える外観が全く当てにならないのは確かだった。

 真也は彼女の年齢が気になったが、面と向かって尋ねたりはしなかった。

「ところで真也くんはどうしてこの部屋に?」

「いえ、なんとなくです。

 外に出ようと思ったのですが、外までたどり着けないので、とりあえず窓から外を見ようと思って」

「とりあえずって……。なら外まで送りますよ」

「助かります」

 真也は彼女に続いて部屋を出た。半透明の金髪少女は迷うことなく廊下を進む。彼女は特寮の主、もとい寮母的な存在なのかもしれない、と真也は思った。

「て、ちょっと!」

 真也は慌てて、ドアをすり抜けようとしているエレノアの肩を掴む。彼女の姿が見えるうちは問題なく彼女には触れられるのだ。

「そっちに行って僕は出られるの?」

「ごめんなさい。いつもの癖で……」

 エレノアは苦笑いしながら道案内を続ける。程なくして真也はあの吹き抜けになっている玄関の見える場所に着いた。

「ありがとうございました。ここで大丈夫です」

「見えてるものね。ではまた」

「また〜」

 真也はエレノアに礼を言って階段を降りる。真也の背後でエレノアの像が崩れ、消えていった。

 玄関を開けて外に出ると、まだ薄暗く、足元を照らすライトが点いた。ライトは庭の道にそっており、真也は中庭へ向かう。中庭には二羽鶏はおらず、先ほどの青年が一人で剣を振るっていた。

「おはよう! 新しく来た天神しん……、慎太郎くんだっけ?」

 真也の気配に気づいた青年が剣を振る手を止め、声を張って真也に挨拶する。真也は一礼してから青年の方へ近づいた。

 青年は激しい運動をしていたにしては汗をあまりかいていない。しかし、それなりに体温は上がっているようで、朝の冷えた空気の中で、適当な長さで切りそろえられた黒い髪から白い湯気が立ち上っていた。

 真也が側まで行くと、青年は剣を軽く振る。剣は煌めきと共に消失した。

「真也、天神真也です。おはようございます。あなたは……」

四方院颯太しほういんそうただ。よろしく真也。オレのことは颯太でいいよ。それに敬語もいらない」

「じゃあ……、よろしく、颯太」

 真也は言葉を返して彼の手を見つめた。

「情報化、見たことないか?」

「うん。知識としては知っているけど、実際に見たのは初めてなんだ」

 颯太の問いに真也は答える。彼の手から剣が消えたのは情報化という技術によるものだった。情報化とは精神の自己情報領域に物質を情報として取り込み、物理世界から取り除く技術のことだ。

 多くの場合、魔術師は魔術式を格納することで容量が埋まるため、自己情報領域を情報化のために使用できない。しかし、一部の魔術師は自己情報領域に余剰容量がある場合がある。それらの魔術師はその余剰容量に物質を情報化して収納できるのだ。

「ふむ。ちょっと相手してくれないか?」

「相手?」

「何をしてもいいから、寸止めでバトルだよ。魔導は周りを破壊しなければなんでもアリ。どう?」

 真也は最初、冗談だと思っていたが、颯太はどうやら本気らしい。嘘がつけそうな性格ではないし、何より冗談ならネタばらしするタイミングが完全に過ぎている。

「むー、いいけど……。僕なんかが四方院家の方の相手になるかな?」

 真也は自分の言い方が少し皮肉っぽくなったことに気づいたが、口から出た言葉は戻せない。真也は颯太の雰囲気が少し変化したように思った。

「そんなことは気にしなくていいだろう? 魔導の血筋にも限界はあるさ。真也は魔導科主席らしいし、十分な練習相手になるよ」

「……オーケー。やるよ」

 真也は自分の中にこんなに負けず嫌いな部分があるとは知らなかった。相手が勝つ前提で話をしていることが少し腹立たしい。

「じゃあ、そうだな……、先にこの紙を破かれた方の負けでいいか?」

 そう言って颯太は真也にポケットから出したメモ用紙を渡す。彼はその紙をポケットにクリップで固定する。真也も颯太に借りたクリップで彼の真似をした。

「じゃあ、オレが向こうまで移動する。そうだな……、真也コインか何か持ってないか?」

「これでよければ使う?」

 真也はポケットに手を突っ込んでテニスボールを取り出した。外で魔術訓練に使うために持ってきた彼の私物である。

「よし、それ借りる。スタートのやり方は知ってるか?」

「知ってる。昔よく家族と遊んでたからね。ドロップだろ?」

「そう」

 颯太は頷いて、真也から離れていく。真也も地面にテニスボールを置いてテニスボールを基準に颯太と対象の方向へ離れた。

「じゃ、始めるか!」

 お互いに移動したことを確認して颯太が叫ぶ。真也は頷いて、愛七に指令を出した。 

「「壱式匣・コード【向量付与プロジェクション】・装填するロード・オン」」

 颯太の命令が真也の命令に重なる。

 真也のブレフォンは既に電源が入っていた。真也はもともと魔術の訓練のために庭に来たのだ。だから、彼がブレフォンと情報形状出力機アウトプット・デバイスを持っているのは当然だった。しかし、何にせよ、魔術師はほとんど肌身離さず上記の機器を持ち歩いている。魔術師にとっての必須ツールなのだ。

『了解! 決闘はひさしぶりですね! 血が騒ぎます!』

「いや、無機質でしょ……」

 愛七の言葉に真也がツッコミを入れる。いつも通りの戦闘前のボケタイムだった。真也は、実戦はともかく、模擬戦ではあまり緊張しないので意味はない。

「『装填完了ローディング』!」

『決闘モード、制限プログラムの起動を確認。コード【向量付与プロジェクション】にドロップ用の変数値を入力。…………入力完了しました!』

 真也が顔を上げるのとほぼ同時に颯太も顔を上げた。互いに頷きあって準備完了を確認しあって二人が同時に叫ぶ。

「「撃・鉄バースト!」」

 二人の魔術によって二人の中心に置かれたテニスボールが高く飛び上がる。

 【向量付与】は【向量操作】と違って、あくまで一時的に対象のベクトルを書き換える魔術だ。ボールは二人の魔術によって鉛直上向の力を与えられていたが、徐々に重力によって失速し、魔術によって与えられた運動エネルギーを失って落下に転じる。

 黄色いボールが緩やかに回転しながら地面に向かって加速し、衝突する。

「「弍式匣・コード……」」

 二人の魔術師はその瞬間に世界を書き換える命令を下し、決闘の幕が下りた。

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