男は真也の思惑通り、誘導に従って市場、南中央区の東へ抜けた。東中央区は地区の運営する巨大な公園で、中部を流れる清流川より北に様々な競技場が、南にはただの丘や草原、小さな林などが広がっている。

 男はその南側に逃れて、そこで手を複雑に動かす。真也は周囲の人がいなくなるのを側の木の裏に降り立ち、全ての魔術を解除して待っていた。

 しかし、真也の目の前で不思議なことが起こった。不意に注視していた男の姿が消えたのである。

「は? くそっ。心象性魔導なのか!?」

『そのようです』

 真也は吐き捨てるようにつぶやく。愛七は静かにそれを肯定した。

「外国人工作員かな?」

『決めつけるのは早計ですが、そう考えるのが自然かと思われます。非AZ近隣国魔術師が少ない国の工作員の可能性があることを当也氏にお伝えしておきます。軍、理事会への連絡は彼に任せましょう』

 愛七の意見を聞いて真也は頷く。心象性魔導技能は主に、AZ、消滅地帯から距離のある、魔術師の少ない国家で研究されている技能だ。近くにAZを持つ日本が魔術に特化しているように、魔術師の少ない国は心象性魔導を極めている。

「僕はもう少し、この辺りを探す。一時間以内に見つからなかったら切り上げると当也に言っておいて」

 真也は愛七に伝言を頼む。彼には敵を補足するすべに、一つだけ心当たりがあったので、試してみることにしたのだ。

『わかりました。では、真也様、また御用の時はお呼びください』

そう言って愛七の言葉が途切れる。真也は不意打ちに備えて、ブレフォンの電源をつけたまま公園内を探索した。

 真也はしばらく男を探して公園を適当に歩きまわる。そして、心象性魔導技能の有用性を身にしみて感じていた。

 ほとんどの日本人の魔導師にとって心象性魔導は未知の技術だ。優香であればこの状況を説明できたかもしれないが、真也にとってはどんな魔導によって何をされているのかすら見当もつかない。

「あぁもぅっ!」

 真也がたまらず叫ぶ。前五識の観測情報をいくつか誤魔化ごまかされていることまでは理解できたが、どのように誤魔化されているかわからない。

 真也は五識の情報を切り捨てて、情報視力を活用し、とりあえず公園を南北に分断する清流川の岸に並ぶベンチまで歩いて、そこに腰掛けた。

 情報視力、というのは『世界の情報アカシック・レコード』から常時、人間の精神が受け取っている流動魔力素が持つ情報を直接分析し、読み取る能力のことだ。

 情報を受け取る方法は様々だが、ほとんどの場合、記述情報、つまり「どこそこになにがあります」というような文章として読み取るのではない。読み取った情報を五識に置き換えて読み取るのだ。これも情報性魔導技術一種だった。

 真也はその中でも情報から世界を視る能力に関して強い適性を持っている。

 しかし、その能力にも限度があった。真也は人間であるがゆえに、他時間軸の情報を受け取ることはできないし、視える範囲から予想できる範囲の外のことを知ることもできない。

「はぁ……」

 当也への言い訳を考えて真也は憂鬱ゆううつになる。当也は自分を信用して、男を追うことを自分に任せたにもかかわらず、自分はその期待に応えられなかった、と考えたのだ。きっと、当也には失望されるだろう、と真也は思う。

 真也にとって、自分を認めてくれている人物に見限られることは死よりも辛いことだった。そして、当也に失望されるという恐怖が真也を再び奮い立たせる。

「探さないと。見つけられなければ僕は終わりだ」

 どこか虚ろな目でそう、つぶやいて、真也はベンチから立ち上がる。そして、情報視力を頼りに歩く。が、そこで不意に真也の見る、実際の目で見る景色にノイズのようなものが走った。

 真也は狂わされていた感覚が正常に戻ったことを証拠もなしに確信する。真也には逃亡した男が、自分にかけた魔導を解除した理由まではわからなかったが、それでも探し続けるために川沿いを東に向かって歩いた。

 東中央区のさらに東は西内周区の天大の付属学校がある。公園からもその要塞のような風貌が左右に二つ見て取れた。向かって左が府高。右が中学校、小学校、幼稚園である。

 そして、その間を東に向かってまっすぐに清流川は伸びていた。ここが朝日川とも呼ばれる所以である。朝の日差しが、東の海岸から続くこの川を一直線に後ろの城壁、そして世界樹まで届くのだ。

 真也は夕方で傾いた陽が落とす世界樹の陰に完全にかぶっている川沿いを進んでいった。川沿いの道の横は木が無秩序に植えられており、隠れやすい。まだ、男が川のこちら側、そして東中央区にいるとしたら、ここだろうと真也は思ったのだった。

 しばらく真也は川岸を歩いきながら、現実逃避気味に天神島は巨大な日時計になれるなぁ、などとどうでもいいことを考えていた。信頼を失う恐怖で集中が途切れていたのだ。

 だから、真也がその音に気付いたのは、すでに数回音が鳴った後だった。先ほど真也が【炸裂音弾サウンド・ボム】で鳴らしたものよりもさらに暴力的な響き。なんらかの方法、魔導技術や単純に消音器サイレンサーで減衰されてはいるが、音が微かに漏れていた。銃声だ。

「愛七! 準備を頼む!」

『了解しました!』

 真也は慌てて駆け出しながら愛七に呼びかけつつ、情報視野を展開する。銃声の方へ百メートルほど走ると、ついに発砲された場所が真也の情報視野の圏内に入った。真也の情報視覚はそこにフードの男と知らない人の情報を二つ見つける。そして、二日目にしてようやく見慣れ始めていた人の情報を視た。

「壱式匣・コード【相関固定ミューチャル・スタビリティ】・装填するロード・オン

『【相関固定】ということは、開発中の「疾風迅雷」をいきなり使われるのですか?』

 珍しく、真也のオーダーに愛七が異を唱える。真也も初めての魔法を実戦でいきなり使用することの危険性は理解していた。「疾風迅雷」は真也が自分で開発している魔法(魔術の組み合わせてできるひとまとまりの技法)だった。

 用途は高速移動、そしてその速度による敵への攻撃だ。

「大丈夫さ。それに、相手の使用する心象性魔導の解除も対抗策もわからないから、一瞬でも相手に姿を捉えられたくない」

『……わかりました。でも、予防策を忘れないでくださいね』

「わかってるさ」

 真也の言い分を聞いて愛七は不承不承といった風に承認する。真也は愛七の気遣いに感謝して頷いた。

「弐式匣・コード【速度操作ベクトル・ハンドル】・装填ロード

参式匣・コード【手動人形マリオネット】・装填ロード

四式匣・コード【視覚抑制ブラインド】・装填するロード・オン!」

『了解! でも【光量抑制ブラインド】、ですか?』

 【光量抑制ブラインド】とは、名の通り、一般に、対象の目が受け取る光量を減少させる魔術である。愛七の記憶にある限り、今までの「疾風迅雷」にはなかった工程だった。

「ああ、対象は僕自身だ」

『敵の視界を防ぎ、心象性魔導を防ぐのではないのですか?』

 愛七の疑問はさらに膨らむ。彼女は真也のオーダーに再び質問で返した。

「高速で移動する間は反応速度をあげる必要があると思ったんだ。そのために視覚じゃなく、情報視覚で対処するんだよ。実際に見て、判断するよりずっと早くなる。それに、この状態ならさっきの敵の視覚に関する心象性魔導に)わされないしね」

『ダジャレですか……。しかし、なるほど……、感心しました』

 下らないダジャレを言う真也に愛七は脱力する。より正確には、演算速度がやや落ちた。だが、愛七は改良点の話を聞いて少し安堵する。愛七も『疾風迅雷』が成功する確率が上がったように思ったのだ。

「やっぱ、僕ってユーモアのセンスがある?」

『そっちじゃなくて、感心したのは【光量抑制ブラインド】を選んだ件です! 確かに真也様ならではの手段ですからね! でも、予防策に防壁系の魔術は必要ですよ』

 ふざける真也に愛七は律儀にツッコミを入れた。真也が戦闘などの前にふざけるのは、彼の緊張をほぐすためだと知っているからだ。そして、念のために、五式匣に失敗した際の身体保護のための魔術式コードを装填するべきだと進言した。

「そうだね。並行して【軟性障壁ソフト・シールド】を用意する。敵を生け捕りにしたいのと、仲間の保護が目的だ。これの発動タイミングは指示するよ」

『仲間? ……了解です』

「五式匣・コード【軟性障壁ソフト・シールド】・装填するロード・オン

 真也は愛七の進言に従って第五の魔術式コードを装填した。

「『壱・弐・参・四・五式匣・装填完了ローディング』!」

 真也と愛七の声が同時に叫ぶ。

 今更だが、これは指差確認のようなもので、万が一、装填に失敗していたときのための予防だ。人間側と人工知能側の二重確認ダブルチェックで、安全確認のために行う一種の儀式なのである。

 言葉がかぶるのは、時間短縮のために愛七が真也の話すタイミングに合わせているからだ。愛七には真也の思考が手に取るように読み取れる。彼にハモるくらいは朝飯前だった。

 話している間にも真也は走っている。銃声がどんどん大きくなって、ついに、真也の現実の視界にも敵と仲間の姿が映った。

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