五時、真也は七限目の授業を終え、終わりのホームルームも終えて、電車に乗り、優香に頼まれた晩御飯の食材の買い出しに来ていた。

「学校から特寮までの十数キロは、お使いを頼まれてもこなして帰れるのに、特寮の中の自室から食堂までの道はテトさんなしでは行けないというのは、変な話だな……」

 真也はそんなことを呟きながらモノレールから降りる。入れ違いに乗り込む人たちの手には食料品を入れたバッグが握られていた。

 真也は、付高前駅から放射状線ほうしゃじょうせんに乗り、地区公園駅で中央区環状線に乗り換えて、天神市場あまがみいちば駅に来ている。

 放射状線というのは、円形の本島を直線に貫く、いわば円の直径を描く路線のことだ。因みに、天神モノレールには他に環状線と区内線が存在する。

「ここにくるのは一週間ぶりくらいか……」

 真也は駅から出て、目的のものを探し、あたりを見回しながら独り言を言う。孤児院にいた頃もこの、少し遠い位置にある市場が主な食料の購入場所だった。

 天神島が開発された目的は、魔導研究のための場所を確保するというものだ。そのため、現在では、学生や一般の住人も多く居住しているが、二、三十年前までは研究者と研究対象の魔導師、そして魔導師の学生しか住んでいなかった。

 そういう事情もあり、天神島には農家などといった存在は全くいない。もちろん、天神大学には農業の研究を行う学者もいるだろうが、農業を営んでいるのは彼らくらいのものである。

 天神島の食料は、主に南内周区の農業工場と呼ばれる地域で、人工知能に管理されて、ほぼ人の手を介さずに育てられるのだ。それでも足りないものや、現代科学では、簡単には作れない作物、食肉は本土から輸入されている。

 天神地区では、地区府の管理が行き届いているため、食糧難が起こることはないが、食料は常に足りないのである。天神が唯一豊富に取り揃えているのは海産のものだけなのだ。

 魚市に足を踏み入れた真也はお目当ての魚を探す。優香によると本日の夕食のメインはフィッシュヘッドカレーらしい。

「ヘイ、兄ちゃん! 生きのいいアナゴがいるよ! 晩御飯にどうだい?」

 一般居住区に住む人間の主な職業の一つであろう漁師の男が、真也の方を見て声をかける。真也的には非常にそそられたが、今日はお使いだ。自分勝手に買っていくことはできない。

「すみません、また次の機会に」

 そう言って真也は先へ進む。市場はいつも通り、人でごった返していた。

 天神市場あまがみいちばは、島の食料が地区府の管理のために、一箇所にまとまっていた方が良い。この南中央区は、そういった事情で、その全域が一つの巨大な食料品関係の複合市場となっているのだ。

 向こうでは本土から届いたカップ麺が、こちらでは魚市が、逆の奥には本土で人工知能が手塩にかけて育て上げた野菜の市場が、といった具合に市場は混沌としている。そして、市場がここ一箇所に固まっていることは、全島民がここへ買い出しに来ることも意味する。アイスやビスケット、その他のお菓子や酒、ジュースなどは世界樹の中の一階層を占めるデパート・イーリウム樹内店で購入できるが、本格的な食料はここ、南中央区にしかないからだ。

 そういうわけで、今日も天神島の市場は買い出しの学生と一般人で賑わいすぎていた。この人口密度なら、天神島の食料市場は世界で一番、需要と供給のバランスが取れていると言われるのもわかる気がする。つまり、毎日の売れ残りの量が、他の地区や国と比べて少なすぎるのだ。これが、天神市場の日常である。

「ふむ。たしかこの先に」

 真也は記憶を頼りに、孤児院の頃から贔屓ひいきにしていた魚屋さんを目指して歩く。真也は一週間前のことを忘れたのではなく、単純に人ごみがひどく、見通しが効かないために、勘を頼りに歩くしかないのだ。毎日ここに来る人でも迷いかねないことから、天神市場には『群衆迷宮クラウド・ラビリンス』の異名がある。

「おーい、そこを行く少年はしんちゃんかい?」

 不意に背後からずしっと響いてくる声をかけられて、真也は振り向いた。この先に、などと言っていたくせに通り過ぎていたらしい。

「じじい! 真ちゃん言うなよ! もう高校生だぞ」

 真也は聞きなれた声に憎まれ口を返した。人ごみをかき分けて少し戻り、地区府から各店主に割り当てられている、簡易住居のような店の中に入ると、そこそこ背の高い真也よりさらに背の高いじいさんが立っていた。彼は魔導師で皇国軍の元軍人だったが、退役後は新人指導と趣味のフィッシングに没頭している。

「わしだってまだジジイじゃないし! ……、ところで真ちゃん。わしのメガネを知らんかね?」

 日に日に後退する、彼の生え際の上には二つのレンズが光っていた。真也はそれを見て脱力する。

「めっちゃボケてんじゃねえか! ていうかそれもボケなんだろ? ツッコミを待ってたんだろ?」

「真ちゃん、お客様の前でネタばらしするなんて寒いわ〜」

 爺さんはムキムキの上腕を両手を交差して掴み、大げさに震えてみせる。いつの間にか二人の周りには人垣ができていた。真也はこの店の常連で、いつも通りの二人の掛け合いを見に来た人たちも、ほとんどが見知った顔だ。

「おぉ、真ちゃんもしかしてその服! もう高校生になったのかい!?」

「さっきも言っただろうがっ!」

 今気づいたと言わんばかりに驚くに真也がまたツッコミを入れる。毎度おなじみの光景だった。

「そういや、今日は付高の入学式だっけか」

「そう。それで帰りに寄ったんだよ。院長先生にも入学式の後、ジジイに顔見せるように言われてたしな。まぁ、来るつもりなかったけど」

 なおも憎まれ口を叩く真也を見ながら爺さんはニヤニヤする。

「なんだ? 真ちゃん、ツンデレ属性狙ってんのかよ。やめとけ、そりゃ男子についても悲劇しか生まねぇよ」

「誰が、ツンデレだ!」

 真也がツッコミとともに右手で軽いパンチを放つ。爺さんは余裕の表情で、じゃんけんパーなどと言いながら、平手で真也のグーパンチをあしらった。そして、その逸らされた拳は、何故か真也のほおにぶつかる。

「ごへっ」

 無様な声を漏らして、真也の首が左向け左する。爺さんはあっち向いてホイ、と笑いながら言って、真也の首の向いた左を、爺さんから見て右を指差していた。観衆となった店の常連客はそれを見てまた笑った。

「クソじじい、フィッシュヘッドカレーに使う魚を見繕みつくろえ……、いただけますか」

 命令形にすると、耳に手を当てて、再び耄碌もうろくした老人の演技をされる気がして、真也は最後に謙譲語を付け足す。

「ふむ」

 爺さんは真也の言葉を聞いて、ようやく店の店主の顔を取り戻した。

「あ、そういえば院長先生から伝言が、『そろそろフェーズ・スリーへ移行する』、だそうです。詳しい内容は聞きませんけど、もう特殊作戦とかはやめたほうが良いですよ。歳なんですから」

「あぁ、ありがとな。ふむ。すまん、真ちゃん、ちょっと待っててな」

 そして、その言葉で再び唸り、どこかへ電話をかけた。一回のコールで相手が電話に出る。

「もしもし、名誉少将の高原当也たかはらとうやだ」

 爺さん、当也は、どうやら皇国軍に連絡しているらしい、と真也は思った。

 因みに院長先生は、彼の娘の高原鈴乃である。鈴乃、院長先生は真也の母とも言える存在だった。

 その時、背後から何かを落としたような音がなる。そして、男が一人、店の外へ駆け出していった。男は真也よりやや背が低く、マスクをしてフードをかぶっている。真也はこの季節は風邪が流行るから、自分もマスクをするべきかもしれないと思った。

 真也は商品を落としても逃げることもないだろうに、と肩をすくめる。そこで、当也が真也の肩を叩いた。真也が当夜を見ると、当也は電話を続けながら口パクで真也に何かを伝える。

「(さ・き・に・げ・た・お・と・こ・お・えさっき逃げた男を追え。あ・い・つ・お・れ・があいつおれがぐ・ん・か・ん・け・い・と軍関係とき・い・て・に・げ・た聞いて逃げた)」

 真也はそれを聞いて、正確には見て、読み取って驚き、すぐに追いかけるための準備にかかる。カバンをカウンターの上に放って、右手でブレフォンの電源を入れた。

 そして、自分の左胸のあたりをまさぐる。真也は付高の制服で、普通科と魔導科の唯一の違いである左胸の内ポケットに、情報形状出力機アウトプット・デバイスが入っているか確認したのだ。

 高校生以下の魔術師が情報形状出力インプット・デバイスを使用しないのは、満十八歳未満のインプット・デバイス、通称IDの使用を日本皇国の法律が認めていないからだ。

 IDとはブレイン・マシン・インターフェイスと情報形状出力機アウトプット・デバイスの両方の機能を兼ね備えたもので、高校生以下の魔術師はブレフォンと情報形状出力機を組み合わせて使用する。

IDアイディー-天神真也。魔術を用いた戦闘に移行する可能性あり」

 真也はブレフォンと連動する小型タブレット端末の形をしたアウトプット・デバイスをブレフォンからの操作で起動し、魔術の使用を開始すること開始を宣言する。これは魔術師が魔術を発動する際の義務なのだ。

愛七まな、壱式匣・コード【飛行術式フライト】・装填するロード・オン

『了解です、真也様。飛ぶタイミングは真也様に任せます』

「了解」

 愛七と真也が打ち合わせをする。それを聞いた、当也が再び真也の肩を叩いて口パクした。

め・だ・ち・す・ぎ・る・な目立ちすぎるな!」

 真也は当也の言葉の意味を理解する。目立ってはいけないのは「群衆迷宮」で人目につくようなことをすれば注目を集めれば、身動きがとりづらくなる。当然ながら戦闘もパニックを起こすことを避けるために行うことができなかった。

 真也は市場の外へ誘導し、捕獲は外で行うという作戦でいくことに決める。

 店の裏口の外には、簡易住居、もとい簡易店舗がすじを作るときにできる業務員専用の通路があった。一つの筋を二列で作るときに生まれる簡易店舗同士の隙間すきまのことだ。

「『装填完了ローディング』!」

「一旦、屋根へ」

『はい!』

 真也は裏口からその通路に出て、人目を気にしながら、魔法の補助で店舗の屋根へ飛び上がる。屋根の上に伏せれば道行く人たちから見られずに移動できるということだ。本来なら匍匐前進ほふくぜんしんになるところだが、魔術師である真也はその限りではない。

「下の人たちに見つからないように、屋根に沿って飛ぶ」

『了解です、行きます!』

 愛七の合図とともにうつ伏せの状態のまま真也の体が浮き上がる。飛行の魔術によって屋根スレスレを飛びながら、真也は逃げた男を探した。そして、記憶と同じ黒のフード付きコートにマスクをした男を見つける。

「愛七、弐式匣・コード【炸裂音弾サウンド・ボム】・装填するロード・オン

『了解です。音弾のタイミングと座標の指示をお願いします』

「了解、随時、指示をする」

 真也の命令を愛七が承り、真也が愛七の注文に応じる。

「『弐式匣・装填完了ローディング』!」

 【炸裂音弾】のコードが装填されたことを確認して、真也は人ごみにもまれながら逃走する男を追跡する。男はしばらくの間、不安そうにあたりを見回していたが、ある程度の距離をとって安心したのか、真也の飛んでいる筋とは別の筋の店へ入ろうとした。

「目標の入ろうとしている店の上を狙って!」

『照準しました!』

 真也の指示で愛七が座標を調整する。座標情報を含む幾つかの変数値が入力された。真也は男が十分に店に近づくのを確認して魔術を放つ。

「今! 撃鉄バースト!」

 真也の声とともに、魔術が発動され、『世界の記述アカシック・レコード』が書き換えられる。そして、真也から七メートルほど先の目標でクラッカーを数十個同時に鳴らしたような乾いた炸裂音が響いた。

 音に驚いた人々は皆、一歩だけ店から遠のいた。そして、店に近づきすぎていたフードとマスクの男だけが取り残される。男は焦って再び群衆に紛れ移動し始めた。

 真也は参式匣に【光学迷彩インビジブル】を装填して、所々で使いながら屋根から屋根を移動する。そして、男を安心させないように弐式匣に装填している【炸裂音弾】で恐怖を与え続け、徐々に市場の東側の出口へと男を誘導していった。

 常時【光学迷彩】を使用すれば、屋根に隠れることもなく飛ぶことは可能だ。しかし、魔術は感覚だけで成り立つスーパーナチュラルな技術ではない。その発動座標や、改変規模をはじめとした多くの情報を常に人工知能の演算によって入力し続ける必要があるのだ。人工知能に負担をかけすぎる魔術はなるべく避けるべきものなのである。

 そのため魔術師が魔術を使う際に必ず考えることは『』ということだ。魔術を何重にも重ねて行うことを、どれだけ少ない魔術で行うか。これが魔術師の持つ技術の見せ所でもある。

 魔術師の実力がその才能や、式匣保有数では測りきれないのもこういうところで技量に差が生まれるからだった。

「目標が市場を出て地区公園に入らせて、人目がなくなったところで捕まえる」

『了解です、真也様。真也様と私の手をわずわせたことを後悔させてやりましょう!』

 真也のプランに愛七がノリノリで賛同する。愛七は昨日の失態で相当の罰を受けただろうからフラストレーション溜まってるんだろうな、と真也は思う。

「今日の活躍次第ではウイルスプログラムの予定を取り消してやるか……」

『え? なんです、それ?』

「…………」

 真也の独り言に愛七が反応する。真也はそれに沈黙で応じた。

 そこで、ついに簡易店舗の屋根が完全に途切れる。市場の東の端が近いのだ。真也は負担を承知で【光学迷彩】を発動した。

 天神島の中央区は世界樹が地中から姿を表す人工湖を中心に、円形をとっており、四分割されている東西南北の全ての区をまとめて囲むように、中央区全体の外側と内側にそれぞれ城壁がある。人工湖の中心、つまり世界樹の根の下にある島の中の皇居、無名城を守るためだ。

 城壁は高く、城壁の各門にはそれぞれ兵士が見張りとして警備を行っているので、男は近づけない。男が市場から脱出するには中央区循環線の天レールに乗るか、直接接している東中央区か西中央区へ逃れるしかない。

 真也は男を誘導しながら、その姿を追いかけた。

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