三章 チェイス&トレース&

 入学式から数日が経過し、付高の新一年の授業もいよいよ本格化していた。

 付高は一日に一時間半の授業が午前中に三限、午後に四限ずつ行われ、基本的に午前には各学部必修科目が、午後には選択科目が多い。選択科目の授業は重なりさえしなければ好きなだけ受講できる。

 真也たちαAクラスの本日の七限目は、科目担当の先生の都合により午後に移動した魔術理論だった。魔術理論では、一年次は基礎範囲が授業の対象となる。

 そして、理論という言葉があるにもかかわらず、今日の授業は第三体育館で行われていた。第三体育館は一般教養に使う施設で、魔導実技などで使う魔導用体育館ではない、普通の体育館だ。生徒たちは制服のままバスケットゴール下に並んで座っていた。

「本日の授業を体育館で行うのはここ一週間で学んだ魔術の発動プロセスを実際に実演するためです。やはり魔術は実際に行う方がわかりやすいですからね。

 理論を頭に入れたところでそれを実際に確認してみようということです。中学の理科の実験のようなイメージ。理論でも、どうせやるならなら派手に行こう! が私のモットーなので」

 魔術理論の担当教師にして、このクラスの担任、高原鈴音が興奮したような笑みを浮かべて言った。その笑みを見て生徒たちはげんなりする。

「まずは前回までの復習タイムです。天神君、魔術発動の第一段階とはなんでしょう! 黒板の図式を使って説明してくださいね」

 急な名指しの質問に真也は驚いた。しかし、ここ一週間の授業で高原教諭に散々叩き込まれた内容なのでわからないことはない。

 真也は、先生のいる壁ぎわの移動電子黒板の前まで歩いた。

 黒板には一昨日の精神科学の授業で使った、人間(魔術師)の脳と精神、そして精神界の簡略図が描かれている。情報形状入力機や、魔術式コードの自由に動かせる簡易モデルも横に表示されていた。

「魔術発動の第一段階、それは魔術式の装填です」

 真也は話しながら黒板に先生が書いた魔術発動プロセス、という文字の下の「1」の横に「魔術式の装填」と書く。そして、その具体的な説明を始めた。

「まず、魔術式を情報形状入力機から読み出して、それをブレイン・マシン・インターフェースを利用して、脳の『意識』へ送ります」

 真也は話しながら、インプット・デバイスのマークを図の人間の頭の横に置く。そして、赤色で書かれた魔術式を示すモデルを、インプット・デバイスの中から人間の頭の中の、脳の下の方にある『意識』と書かれた場所へ移した。

 魔術式が移動したルートには赤い線で矢印が引かれている。

「そして、『意識』に置かれた情報形状は『末那識』に移動します」

 真也は魔術式のマークを『意識』の下、脳の最下層に書かれている『末那識』(ゲート)のすぐ上へ移す。例によって短く赤の矢印がでた。

 真也は、魔術式のモデルを『末那識』(ゲート)の手前で止める。

「『末那識』には魔術式を構成する『情報形状』を魔力素が保管する情報に翻訳する機能があります。

 この機能により、我々が理解できる『情報形状』として描かれていた魔術式は、そのままでは人間にとって理解不能な、魔力素の保管する『情報』となります」

 そう言って真也は魔術式のモデルを『末那識』へ入れる。魔術式の色が赤から青に変化した。

 色の変化は、魔術式が、人間の理解できる『情報形状』から、人間には理解できない『情報』に変化したことを示している。末那識は言わばパソコンの翻訳プログラムで、『情報形状』がソースプログラム、『情報』はオブジェクトプログラムのようなものだと言える。

「『末那識』によって翻訳された情報は、精神の上部の『自己情報領域』の一部の魔力素が持つ情報を書き換えます」

 そう言って真也は青色、つまり不可読となった『情報』の魔術式を示すモデルを脳、そして物理世界の外側である『精神界』に属する『精神』へ移動させる。経路に青のラインで矢印が引かれた。

 なお、この末那識も精神も人間(魔術師)上半身の図の中に、精神界はその外描かれている。『精神』は精神界に属するものだが、ここでは、『精神』が人間に付属するものであることが強調されていた。

 そして、『精神』を示す、上底より下底の方が小さい台形は上下に区切られており、その上部には『自己情報領域』という文字が書かれている。その内部は九つの長方形と余剰スペースに分けられていた。

「この時の、一部の魔力素が式匣であり、魔術式はここに装填されます」

 真也は図の『自己情報領域』の中の小さな長方形を指して言った。そして、青色の魔術式モデルをその長方形に入れる。

 魔術式モデルはぴったりとその長方形に収まった。これは式匣が魔術式の規格に合わせて区切った単位であることを意味している。

「以上が魔術発動の第一段階です」

 真也はもう一度図を見直して、自分の説明に不備がないかを確認してから説明の完了を告げた。クラスメイトから心のこもっていない拍手が届く。

 彼らは自分でも説明できると思っているのだろう。このクラスは実力者が集まっているし、今回の授業まで、ひたすらこの理論を多角的に説明し尽くしたがり、それを実行した先生がついている。

 彼らはこの一週間で夢の中に魔術理論の講義が出てくるほどまで高原教諭に魔術発動の理論を叩き込まれていた。

 ちなみに、真也の夢には彼の義兄と高原先生魔術理論の変態たちが登場した。真也に言わせれば過去トップツーにランクインするほどの悪夢である。

「詳しい解説をありがとう」

 高原先生は真也が自分の授業を理解していることに満足げに頷きながら真也をねぎらった。彼女の説明が理解しやすすぎることが生徒たちには恐ろしい。

 なまじ理解できてしまうが故に、先生の授業は高速で進み、余った時間にはコラムがこれでもかというほど注ぎ込まれるのだ。

「その通りです。魔術式の装填に至るまでにもこれほどの工程が存在します。

 では、この第一段階における注意点を、マルタンさん」

「はい。第一段階における注意点は主に二つあると思います。」

 先生の質問を受けてエヴァが起立する。最近の魔術理論の授業では適度に他の生徒を当てながらも、主席、次席、次々席とエヴァ、凪人の指摘が多かった。授業を円滑に進めやすいからなのか、それとも先日の先生のお願いを断ったことの報復なのかは神、もとい高原教諭のみぞしるである。

 多分両方だろうと真也は考えていた。真也たちに質問すれば、ほぼ完璧な回答が返ってくることは確かだからだ。このαAクラスにおいても、真也の仲良しグループ、優香、凪人、エヴァと次席である友希はトップに位置しているようだった。

「二つですね」

「はい」

 エヴァの答えに先生が頷く。エヴァはやはり発表するのは得意ではないようで、少し声は小さいが、もともとよく通る声なので問題なくクラス全員に聞こえていた。

「まず、魔術式が『情報』として完成していないことに関しての注意点です」

 そう言ってエヴァは真也が動かした後の図で、自己情報領域の中の箱、式匣に入っている魔術式を指し示す。

「第一段階を終え、装填された魔術式はこのままでは魔術を発動できないことが一つ目の注意点です。

 魔術式はあくまで『演算子オペレーター』に固定された『変数値オペランド』が記述されたもので、幾つかの変数は未だ設定されていません」

 そういってエヴァは魔術式のモデルを拡大する。モデルは全体図では長方形で表されていたが、拡大するとピースの足りないパズルのように空いた穴がいくつか見られた。

 エヴァはその穴を指し示して説明を続ける。

「ここには第二段階で変数に数値を代入する必要があります。変数が設定されている部分が違っていれば、基本形、魔術式の基礎部分が同じでも、魔術式として別のものになります」

 そしてエヴァは少し不安そうにみんなを見渡した。クラスメイトたちはエヴァの説明を肯定して頷いている。真也が説明していた時の無気力ぶりとは一転した、やる気ある表情はエヴァの魅力のせいだろう。真也も容姿が悪いわけではないが、エヴァのレベルにはとても届かない。

 その上、彼は普段エヴァや、彼女に匹敵する美人の友希、優香と仲がいいこと。そして、主席への対抗心から、クラスメイトたちに軽い敵愾心を抱かれていた。エヴァが話しかけやすい優等生なら、真也を含めた特寮生が話しかけにくい優等生というイメージをもたれているせいでもある。

「二つ目は式匣の上限についてです。式匣保有数は『自己情報領域』の大きさともう一つ、『メンブレン』の広さによって決まります。第三段階後に開通する情報経路チューブはメンブレンを最大九つしか同時に通り抜けられず、多くの人は多くても七、六程度の広さしかありません」

 そう言ってエヴァは拡大していた魔術式モデルを元の大きさに戻し、人の図の画面に戻す。『精神』のモデルである台形の下部には上部、『自己情報領域』と同程度の空間があり、そのさらに下の台形の下底には膜が書かれていて、矢印の先に『メンブレン』の文字があった。

「このメンブレンの広さの把握が注意しなくてはならないことです。魔術はチューブによって『世界の記述』と同期します」

 エヴァはそう言って少し困ったように先生を見た。エヴァが今している説明は第三段階後、すなわち魔術が発動された後の図を使わなければ説明できないのだ。

「ごめんね、マルタンさん、そこまでで結構ですよ。第二、第三段階は先生が説明します。その後で二つ目の説明をお願いしますね」

 先生はそう言って説明を始めた。エヴァは自分の座っていた場所へ戻るかどうか迷っていたが、タイミングを逃したと判断したのだろう、そのまま前に立っていた。

「では、第二段階です。さきほどのマルタンさんの説明どおり、第二段階とは『情報』として不完全な魔術式に変数値を入力する作業になります」

 再び先生の手によって魔術式のモデルが拡大されて、先生はその穴に『座標』や『規模』、『方向』と書かれたピースをめていく。そして、『魔術式』のモデルは中心に代入されたピースより大きなピースの穴一つを残して完成した。

「魔術式がほとんど完全になりましたね。ですが、これもまだ完全な『情報』とは言えません」

 そう言って先生は中心に空いた穴を指す。

「凪人君、ここに填るものが何か説明できますか?」

「はい。情報論理、ロゴスです。ロゴスは情報が情報として認証された証であり、人間の意識が第二段階を終えた魔術式を正しい認識だと認識した時に、末那識が魔術式に送る最後の欠落した情報の一部です」

 凪人の説明に合わせて高原先生は『情報論理ロゴス』と書かれた大きなピースを魔術式のモデルの中に入れた。魔術式の色が再び変化して青から黄色になる。魔術式の拡大図は完全な長方形になった。情報として完全となったのだ。

「その通りです。今の凪人君の答えが第三段階になります。装填、変数値の入力、そして情報論理の装入。以上が魔術発動のプロセスとなります。

 この三段階を終えると魔術式は完成された情報となります。

 今まで、不動魔力素で構成される『自己情報領域パーソナル・レコード』で操作を行いました。このとき、精神の下部の流動魔力素が、同一の情報をバケツリレーのように『世界の記述アカシック・レコード』まで伝導する道である『情報経路』、チューブを形成します」

 先生の言葉と同時に魔術式の拡大図が縮小し、元の人間の図が表示される。魔術式が完成して、『自己情報領域』の式匣も黄色に光っていた。

 そこから精神下部に黄色の光が道を描く。道はメンブレンへ到達して人間のモデルから消え、となりの精神界の図の中央に書かれたメンブレンから出て来る。

 そして、その道は(精神界の図の方の)メンブレンの位置する精神界中層、『集合的無意識コレクティブ・アンカンシャス』を突き出て、精神界深層の『世界の記述アカシック・レコード』の表面で止まった。

「こうして、魔術師が精神から放つ情報、魔術式は『世界の記述』を書き換え、対象を改変するのです」

 先生は説明を終えて生徒たちの顔を見渡した。生徒たちはこの一週間でこの程度の説明ではビクともしないほどに鍛えられている。

「皆さんしっかり復習できていますね!」

 生徒たちが自分の授業をしっかりと復習し、頭に入れていると思って、高原先生は上機嫌だ。しかし、クラス生徒は誰一人として復習などしていなかった。彼らは魔術発動に関する全理論を授業中に習得してしまっていたのだ。

「では、お待たせしました。エヴァさん、第二の注意点をお願いします」

「はい。式匣の保有数制限とメンブレンの広さについてです。メンブレンはその広さによって同時に通すことのできるチューブの本数が違います」

 そう言ってエヴァは人の図の中の『精神』モデルの下底、つまりメンブレンを狭めた。メンブレンの幅(あくまでモデル上では幅)がチューブを示す黄色の道より狭くなった時、道はそこで閉ざされる。しかし、しばらくそのままにすると道が徐々にメンブレンを押し広げ始めた。

「このように、チューブをメンブレンの限界を超えて通そうとするとメンブレンが拡張します。これは同時に使える魔術が多くなると同時に大きな危険性を孕んでいます」

 エヴァは真剣な表情で訴えかけるように言う。クラスメイトたちは全員がその危険性がどのようなものか理解しているが、エヴァの迫力? に飲まれていた。

「本来、メンブレンは全ての人間が等しい広さなのですが、魔術師はこのメンブレンが非魔術師よりも広いために魔術師たりえています。しかし、同時に魔術師のメンブレンは非魔術師より薄い。自然に薄い状態で生まれた人間はそれ相応の魔術師の才を持ちますが、同時に大きな危険と隣り合わせということになります」

 そう言ってエヴァは、今度は、下底を伸ばす。メンブレンを示す、それは道を九本通せるところまで広がって、十本目を通せる広さへ拡張しようとしたところでちぎれてしまった。

「このモデルは式匣が九の人物を想定して描かれていますが、実際に七や八の人はこれ以上にメンブレンが狭いことが多いです。そのため自身のメンブレンの限界を知っておくことが大切になります。これが二つ目の注意点です」

 エヴァが説明を終えると同時にクラスメイトが拍手をする。喝采レベルの。

「この差、どう思うよ?」

「エヴァと僕らの人徳の差だな」

 後ろから不満を漏らして来る凪人に真也は簡潔に答えた。エヴァは説明もわかりやすいし、クラスメイトから頼りにされている。さぞかし良い副委員長になっただろうに、と真也は思った。凪人が委員長なら立つ瀬がなかったことだろう。

「因みに、もうすぐ魔法史学基礎でも習うだろうが、魔術の開発当初はメンブレンの広さを知る術がなく、多くの魔術師がメンブレン喪失による自我消失、自然化になっていたの。みんなが検査によって自分のメンブレンの広さを把握できているのはそういう歴史があったからだということも覚えておくと良いでしょう」

 その言葉を聞いて真也は先日、一度だけ出会った幽霊のことを思い出した。

 真也の式匣保有数は九、つまり最も自然化や魔術による自我喪失の危険性を持っていることになる。真也はこの教訓をしっかりと胸に刻みつけた。

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