お風呂〜翔朧・輝との対話を経て自室に戻り気を失う。






 真也は自分の部屋に戻って、入学式の支度をする。昨日、食堂へ行く前に脱いだ制服を着て、ネクタイを締める。付高の制服は黒に赤いラインのあるブレザーで、デザインは普通科、魔導科共通だ。真也は荷物の準備を終えて、縦長の鏡の前に立った。

 そこには当然ながら真也の姿が写っている。顔を見ると鏡の中の自分と真也の目が合った。真也は自分の動機が加速していくのを感じた。心臓に杭を打たれたような罪悪感が徐々に体を蝕んでいくような錯覚に陥る。

「……止まれ」

 真也は叫びながら自分自身の左胸を叩く。

「くそ、止まれ!」

 何度も何度も胸を叩く。しかし、それでも動機は加速するばかりで、一向に治まる気配がない。徐々に体から心が抜け出るような錯覚が真也を襲う。

 現実の体がまるで偽物のように、世界が見世物のように思えて、真也は目を閉じようとした。鏡を見つめていると、今にも、鏡の中の自分がでてきて自分と入れ替わってしまうような気がしてきたのだ。

 しかし、胸の中に留まっている罪悪感が、真也が逃亡することを、目を閉ざすことを許さなかった。

「誰なんだ?」

 真也はつぶやく。

「君は、誰だ?」

 真也は叫ぶ。心臓は今やドクドクと波打ち、息が切れる。彼を見つめる鏡の中の真也の表情には強い恐怖が表れていた。

「僕はなんなんだ?」

 そう問いかけて、真也は気を失った。



 一時間後、彼は目を覚ます。そして、自室の鏡の前で倒れていることを把握して、ため息をついた。そして、暗示をかけるかのように言葉を連ねる。

「僕は天神真也。今日から高校一年生の男子。歳は十五歳。魔導に優れた才を持ち、六歳から天神孤児院で育つ。成績は良好。友人は多くもなく少なくもない。性格は明るく、孤児院の仲間から慕われていて、呼び名はしんにぃ。高校からは特寮でくらすことになったありふれてはいないが、一介の魔術師、一介の学生である」

 その声は上ずっていて、しかし、迷いはない。何千、何万回と繰り返した言葉は、彼の脳に刷り込まれていた。

 そして、ようやく落ち着きを取り戻した真也は、最後に深呼吸をしてドアへ向かって歩き出した。そしてカバンを忘れていることに気づき、Uターンをする。

 今日もまた、天神真也の一日が始まった。



「借り物の体に借り物の器、か。よく人の前で平静を保っていられるな。君にとって世界は切り離された物語現実感のないアニメーションのようなものだろうに」

 真也の部屋のドアの前で、誰もいない廊下に一匹の黒猫が真也が出てくる時を待っている。バステトは優香に言われて真也を迎えに来たのだ。黒猫は誰にも聞かれることのない独り言をつぶやく。

「それにしても、そのあり得ない容量の器に、あり得ない二つの基盤、か。あれは一種の特異点だな。特異点領域の向こうが関わっている時点で、当然といえば当然だが」

 そこまで言ったところで、真也が部屋から出てきた。バステトは真也を一瞥いちべつして、ナビを始める。黒猫は真也の目もとが少し赤らんでいることには触れなかった。

 バステトの案内で真也は食堂に到着する。そこで優香に自分たちが遅刻の危機にあることを聞かされた。

「え? 遅刻する? 寝坊?」

「みたい。もうあと八時まで十五分もない」

 大人っぽい見た目のせいか、常に余裕な雰囲気のある優香が慌てているのを見て、真也は事態の深刻さを理解した。

ひかるさんと、颯太そうたさんと、翔朧かけるさんは?」

「輝と颯太は朝が早いの。それに翔朧は基本的に朝ごはん係だから、とっくに起きて朝ごはんを作って二人と一緒に登校してると思う」

「そうなのか……。じゃあ、見捨てられた?」

「……うん」

 言われてみれば、気を失っている間に誰かに名前を呼ばれていた気もする。真也は他の特寮生に心の中で謝罪して朝ごはんを掻き込んだ。

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