12‐2
「はぁ、どうすりゃいいんだよ……」
気が付けば休み時間になっていたが、直樹は相変わらず机の上に倒れ込んだままだ。重たくなった頭を投げ出し、机の冷たい感触を頬に当てようとあちこち頭を動かすが、もはや机全体がぬるくなるほど頭を転がし続けている。
すると直樹の肩が背後から誰かに突っつかれた。思わず頭を上げると、そこには千夏の姿があった。浮かない顔の直樹とは正反対の楽しげな表情で、直樹の前の席へと腰を下ろすとニヤニヤしながら直樹の顔を覗き込んだ。そしてその口から飛び出した言葉はあまりにも唐突だった。
「いやー、まさか楠本君と美霜ちゃんが付き合ってたなんてねぇ……」
「はぁ? 付き合う!?」
千夏が口にした想像もしなかった言葉に直樹は素っ頓狂な声を上げた。しかし千夏は直樹の様子などお構いなしで、手に持っていたペンでからかうように直樹の肩を突っついてくる。
「もう! 隠さない隠さない!」
「いや、隠すってなに? 何のことかさっぱりわからないんだけど……」
「とぼけたって無駄だよ、私、昨日ばっちり見ちゃったんだから!」
『昨日』という言葉に直樹は直感した、これはややこしいことになっている、と。
「河川敷のあんな場所で隠れて会ってるなんて楠本君も隅に置けないよね、学校じゃ美霜ちゃんと楠本君が話してるとこなんて全然見たことなかったのに」
楽しげな笑みを浮かべて話しかけてくる千夏の表情は恋の話で盛り上がる時の少女の顔そのものだった。もはや千夏の中では『あの少女』が木村美霜ということで確定しているようで、白状しろと言わんばかりにその目が直樹をジッと見つめていた。
「ちょ、ちょっと待ってってば、昨日のアレがなんで木村ってことになってるの? もしかしてアイツの顔を見たの?」
「ううん、見てないよ」
「だったら……」
直樹は口を挟もうとしたが、千夏はすぐさまその言葉を遮った。
「あのね、顔なんか見なくたって女の子同士なら足とか雰囲気とかで誰かなんてわかっちゃうよ。とっさにバッグを被って誤魔化したみたいだけど、そんな程度じゃ無理無理! ちゃんとお見通しなんだから」
千夏がニヤリと口元を歪ませた。あの少女が木村美霜だということに揺るぎの無い自信を感じさせる表情だった。
「じゃあやっぱり、アレは木村美霜……なのか」
「だからぁ、そんなの楠本君が一番よく知ってるでしょ。変なこと言えば誤魔化せると思ったら大間違いだよ」
千夏がここまで言い切る以上、あの少女が木村美霜であることは間違いなさそうだ。
いつもは真ん丸な千夏の瞳が細まり、さあ認めろと直樹を見つめてくる。
「言っちゃいなよ、美霜ちゃんと付き合ってるんでしょ?」
あの少女が木村美霜かもしれないということだけでも直樹にとっては大きな混乱だというのに、そこへ千夏の誤解も加わり、事態はさらにややこしいものになっていた。とにかく今は美霜と自分が付き合っているという誤解だけでも解かねばならなかった。
「ちょっと待って、あのさ、柏木はなんか誤解してない? 俺とその……木村? あいつが付き合ってるとかそんなの……」
しかし千夏が直樹の言葉を最後まで待つことはなかった。
「誤解? ないない。私ね、ずっと前から怪しいと思ってたんだから」
「怪しい?」
「だって美霜ちゃん、授業中とかに楠本君のことをジッと見てるんだもん」
「木村が?!」
直樹は思わず後ろに振り返り美霜の席を見た。しかし休み時間のためか木村美霜の姿はない。
「美霜ちゃん、最近ずっと楠本君のこと見てたんだよ。ただの後姿をすごく真剣な目で見つめてたり、居眠りしてる楠本君を見て楽しそうに笑ってたり……あれは間違いなく恋する女の子の目だよね」
千夏の口から飛び出した言葉は考えもしないものだった。過去の記憶を振り返ってみても木村美霜との接点などまるでない。顔はもちろん知ってはいるが、話した記憶はまるでない。そもそも直樹にとっては女子のほぼ全てが自分とは無関係な存在で、女子のクラスメイトは景色の一部くらいの認識でしかなかった。もちろん女子たちからもそう思われている自覚があり、自分自身も景色の一部として空気のような存在であろうとしていた。そんな自分のことを木村美霜がずっと見ていたなんてまるで信じられなかった。
「それに私見ちゃったんだよね。この前のテストの時、美霜ちゃんってば自分のノートをわざわざ手書きで別なノートに書き写してたんだよ。なんでそんなことって思って聞いてみたら人にあげるって言ってたけど、あれって楠本君にだったんでしょ?」
千夏の口にした『ノート』という言葉に直樹の顔色が変わった。
「ノートなんて人にあげるならコピーしちゃえばいいだけなのに、あんな丁寧に書き写してあげるなんてただ事じゃないよね」
直樹はバッグを被った猫少女と二人でした勉強会のことを思い出していた。自分のノートだと言って少女が貸してくれたノート。すでに勉強は済んでいるからと貸してもらったものだが、千夏の言葉が真実ならばわざわざ書き写した別なノートを直樹に渡したことになる。カラーペンを多用し、可愛らしくも整った字で丁寧に書かれたわかりやすいあのノートがわざわざ書き写したものだとは想像すらしていなかった。
「……心当たりあるんでしょ?」
表情の変化に気付いたのか、千夏が笑みを浮かべて直樹の顔を覗き込んだ。
「んー、さすが私! こういうのわかっちゃうんだよね。ほら、付き合ってるって白状しちゃえ!」
「いやだから、付き合うとかそんなんじゃ……」
「わかったわかった! とにかく私は二人のこと応援してるからね!」
千夏は教室の壁に掛けられた時計をチラリと見ると、狼狽する直樹とは裏腹な笑顔を見せて直樹の前の席から立ち上がった。気付けば次の授業が始まる時間だ。
妙に浮かれた千夏のやかましさから開放されたのも束の間、授業開始前の慌しい気配が辺りを包んだ。
直樹はぼんやりと木村美霜の席を見た。木村美霜があの席から自分の後ろ姿をジッと見つめている姿を想像し、直樹の頭は混乱した。わざわざ書き写してまで貸してくれたかもしれない手書きのノートのことも頭をよぎる。もしそれらが本当なのだとしたら彼女がそこまでする理由はなんなのだろうか。単なる親切なのか、それとももっと別な意味を持つのか直樹には判断できずにいた。千夏の言葉を真に受けるならば木村美霜の中にある特別な感情を見出すことができるが、直樹にはとてもじゃないが千夏の話は信じられるものではなかった。
授業開始が迫り、生徒たちが続々と教室へ戻ってくる。直樹がぼんやりと眺めていた視界の中に美霜の姿もあった。どこか浮かない表情だったが直樹の視線に気付いた途端、美霜は驚きの表情を浮かべ、その場で固まった。彼女の心の中の思いはともかく、その動揺ぶりからしても木村美霜があの猫少女なのは間違いない。自分の席を前にしながらもただ立ったまま、かろうじて目線をそらすだけの美霜を前に、今度は直樹が慌てて体を教室の正面に向き直した。
自分を取り巻く状況は間違いなく予測していなかった方向へと動き始めている。しかしどうしたらいいかわからず、ただモヤモヤと晴れない気持ちだけが直樹の中に広がっていた。
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