本当の、気持ち。

12‐1

 直樹の席は教室の中央辺りにある。

 テスト明けの解放感からか普段より騒がしく感じる教室の中、直樹は頬杖をついてぼんやりと黒板を眺めていた。しかしその視線とは正反対に、その意識は教室の右側後方へと向きっぱなしだった。

「美霜……」

 昨日の河川敷、仔猫のミューに釣られて現れた千夏。その千夏が『猫』を自称する少女の姿を見て口にした名前。

「……美霜」

 直樹はその名前に心当たりがあった。同じクラスにいる木村という名字の女子生徒が美霜という名前なのだ。女子生徒と話すことの少ない直樹はこの木村美霜という女子と直接話した記憶はほとんどない。だが同じクラスということもあり、その姿は当然ながら知っていた。休み時間に後ろの席に女子同士で集まって談笑する木村美霜の姿を何度も見ている。直樹はこれまでその少女の存在をとりたてて気にしたことはなかったが、長く真っ直ぐで艶のあるきれいな黒い髪は印象に残っていた。

 木村美霜があの猫女かもしれない……

 美霜と呼ばれて慌てたあの様子、千夏の写真を手に入れることが出来たり、アルバイト先のことまで知ることのできる身近な距離、それらを考えると河川敷のあの少女が木村美霜である可能性は十分にある。その事実は直樹を緊張させた。

 黒板を走らせるチョークの音と教師の声が響く中、直樹は恐る恐る木村美霜が座る教室の後方へと振り返ってみる。露骨に見つめないよう視界の端ぎりぎりに木村美霜の姿を捉えると、徐々にピントが合ってその姿がハッキリ見えてきた。

 目が悪いのか、目を細めて黒板を見つめる美霜。黒板の文字を熱心にノートへと書き写しているようで視線が机と黒板を行ったり来たりしている。ポニーテールにした髪が視線を動かす度に揺れ、白い首すじが眩しい。髪を下せば河川敷のあの少女と同じくらいかもしれない。直樹は二人の共通点を探そうと、気付けばまじまじと木村美霜の姿を眺めていた。

 すると次の瞬間、美霜が直樹の視線に気付いた。

 黒板の文字を読もうと目を細めていた美霜の目が自分の方へと向き直った直樹の姿を捉えると、細めていた目が真ん丸になるほど大きく見開き、その顔が一瞬で驚きの表情に変わった。そして美霜は慌てたように視線を机へ落とし、それきり顔を上げることはなかった。

 直樹とただ目が合っただけにしてはあまりにも極端なその反応は疑惑を確信に変えるには十分だった。

(間違いない……木村美霜があの猫女だ)

 さっきまでの熱心にノートをとる姿はもうそこにはなく、美霜は下を向いたまま、握りしめたシャープペンシルの先が行き場も無くただ宙を泳いでいる。直樹と目が合ってからのその態度はただのクラスメイトにしては不自然すぎた。

 河川敷でいつも話していたあの少女──どこの誰かもわからない存在だったからこそ直樹は自分の恋の話を隠さず話すことができた。しかしその話をした相手が同じクラスの木村美霜だと想像した途端、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。同じクラスと言っても直樹と美霜はこれまでほとんど話したことがないのだから本来なら接点など生まれるはずのない相手だ。そんな少女を相手に柏木千夏への思いを明け透けに話していたかと思うと今にも叫び声を上げたいほどだった。

 しかも、木村美霜は直樹が頭の中にイメージしていた『猫女』の正体よりもずっと可愛らしい。背筋を伸ばして姿勢良く座る姿は上品さを感じる美しさでいかにも優等生といった印象だ。河川敷でのバッグを被った『猫女』はやかましく、どこか図々しく感じるほどの印象だったため両者は似てないようにも思えたが、図書館での勉強会で感じた優しい声と細やかさは木村美霜の姿と違和感無く繋がっている。

 直樹は再び盗み見るように美霜へと視線を向けた。

 あの少女が自分の全てを知っていると思うともはや頭を抱えることしかできなかった。直樹は机に突っ伏すと、そのまま動かなくなった。

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