7‐3

「よし、これで完了だ!」

 すっかり日の落ちた景色の中、駐車したトラックの荷台から山崎が飛び降りた。

「いやー、助かった、二人のおかげであまり遅くならずに積み込みを終えられたよ」

 山崎はトラックの荷台ギッシリに詰め込まれた引っ越し荷物を前に満足げな笑みを浮かべるとホッとした様子で大きく息を吐いた。手伝いとしてやってきた柏木も腕を組んで積み込み終えた荷物やり遂げた顔で眺めている。

「引っ越し先はどこなんスか?」

「西だよ、関西方面。だから移動のことを考えると遅れるとまずかったんだ。ほら、寝る時間無くなっちゃうから」

 引っ越しの仕事をしてるだけあって引き締まった体をしているが、四十代の山崎はさすがに疲れたのか肩を回し、体をほぐす。この後も続く仕事のことを頭に浮かべたのかその表情がますます疲れたものに変わった。

「じゃあ荷降ろしは明日っスか?」

「そう。向こうの営業所で人は手配してくれてるそうだから今度は逃げ出さない奴が来てくれることを祈るよ……」

 バイトに逃げられ、予定を大いに狂わされた山崎は苦笑した。

「……まあそれはともかく、二人の仕事はここまでだ。ホントに助かったよ、ありがとう」

 その言葉を聞いた柏木が直樹の姿を探すと直樹はマンションの植え込みの前でしゃがみ込んでいた。二人に負けないようにと張り切って荷物運びをしたものの、慣れない重労働はさすがに堪え、全てが終わる頃には立っているのも辛いほど直樹はヘトヘトに疲れきっていた。

「おい!終わりだってよ!」

 柏木の声にかろうじて反応するも、直樹はしゃがみ込んだまま疲れた顔を柏木たちの方へ向けるのがやっとだった。

「楠本君だっけ、君もお疲れさま! その調子じゃ明日は筋肉痛だろうからゆっくり休みなよ!」

 直樹に向かって手を上げて見せると山崎はトラックの運転席へと乗り込んだ。エンジンが始動し、トラックの車体が振動を始める。

「それじゃおつかれ!」

 山崎は軽くクラクションを鳴らしトラックを発進させた。直樹はヘトヘトになった体を抱え込むようにしゃがみ込んだまま、頭だけをトラックに向け、小さくなってゆくトラックのテールランプを見送った。

「やっと……終わった……」

 再び直樹の頭がうなだれる。目が細まり、薄暗くなった辺りの景色がますます暗くなった。

「ほら、立てよ」

 柏木はしゃがみ込んだまま動かない直樹の前に立つと、その顔の前にむき出しの現金を突つけた。

「え……」

 ぼんやりとしか開いていなかった直樹の目が丸くなる。柏木が直樹に突きつけた現金は一万円札と千円札が五枚だった。

「あの……こんなに貰えるんですか?」

 重労働ではあったが、荷物運びに費やした時間はせいぜい二時間あるかどうか。その程度働いただけでこれだけのバイト代が貰えるのは直樹には予想外のことだった。

「急な呼び出しってことで三万貰ったからな、半分ずつでいいだろ?」

「それはもちろん……でもいいんですか? 半分も」

 直樹が運んだのは一人で抱えられる小さな荷物ばかりだ。自分自身では精一杯頑張ったつもりだが、大きな荷物をいくつも運んだ柏木との労働量の差は客観的に見て明らかだ。それなのに柏木と同じ金額だけ貰うのは気が引けた。

「無理に連れてきちまったからな。……ホントは俺より多くやりたいとこだけど、まあ俺も金無いし半分ずつってことで勘弁してくれよ」

「勘弁だなんてそんな! ……有難くいただきます」

 千夏がバイトをしている古本屋で初めて会った時は恐いという印象しかなかった柏木だったが、いつの間にかそういった感情は直樹の中から消えていた。強引に連れてこられはしたが、大きな荷物を自ら引き受け黙々と運び続け、明らかに仕事量の少ない直樹に対して何を言うでもなく同額のバイト代を渡す。そんな柏木が頼もしく、大きく見えた。

「よし、それじゃ帰ろうぜ」

 直樹にバイト代を手渡した柏木はバイクへと跨り、エンジンをかける。先ほど走り去った引っ越しのトラックよりもずっと低い振動が辺りに響いた。

 柏木からヘルメットを受け取り、直樹もバイクへと跨る。ヘルメットを留めるために腕を上げるのもだるいほどに疲れていたが、直樹の腕が柏木の腰辺りを押さえると容赦なくバイクが加速を始めた。思わず体が仰け反りそうになるが、直樹は最後の力を振り絞ってなんとか柏木にしがみ付いた。振り落とされそうな勢いで体が置いてかれそうになるが、加速するほどに強くなる風が直樹の頬に当たると言いようのない気持ち良さがあった。

 薄暗い住宅街を抜け、街灯と無数に走る車のライトで一際明るくなった国道へと出ると柏木のバイクはますます加速した。

「せっかくだから飯でも食ってくか!」

 わずかに顔を後ろに向け、柏木が叫んだ。

「はい!」

 柏木のその問いに直樹は迷うことなく返事をした。柏木に会った直後の直樹なら食事の誘いなど断っていたに違いない。しかし今の直樹はもう少し柏木と一緒にいてもいいと思っていた。引っ越しのバイトを一緒にしたことで、ただ恐い存在にしか思えなかった柏木の印象は大きく変わった。そして、初めて乗ったバイクで感じる風の気持ち良さをもう少し味わっていたいという気持ちもあった。

 直樹の返事を受け、柏木のバイクは止まることなく走り続けた。自転車ばかりの直樹にはまるで縁の無かったスピードで、車の間を縫うようにバイクが国道を走り抜ける。頬に受ける風と共に直樹の知らない道、知らない景色がいくつも流れてゆく。そしてずいぶんと走った後、柏木のバイクは国道を離れ、静かな路地へと飛び込んだ。ようやくバイクが止まると、目の前にはマンションがあった。

 柏木に促されて直樹はバイクを降りたが、どこを向いても一軒家やアパートなどの住宅ばかりで、食事に誘われたはずなのに食事のできそうな店はどこにも見当たらない。目の前のマンションも植え込みの向こうにエントランスと駐車場が見えるだけで、飲食店などが入っている様子は無い。事情の飲み込めない直樹はただ戸惑うことしかできなかった。しかし柏木は直樹のことなどお構いなしで、脱いだヘルメットを直樹に手渡すと、エンジンを切ったバイクを目の前のマンションにある駐輪場へと押していった。

 体を振るわせたエンジン音も消え、静かになった路地に取り残された直樹はただ柏木を待つことしかできなかった。

 そして薄暗い駐車場の奥から戻ってきた柏木は、直樹に預けたヘルメットを受け取るとそのままマンションのエントランスへと歩き始めた。

「ほら、早く来いよ」

「え……でもあの、飯を食いに行くんじゃ……」

 飯を食いに行こうと、柏木は確かにそう言った。しかし目の前の建物はどう見ても飯屋ではなく、ただのマンションだ。すると柏木はケロリと言ってのけた。

「稼いだばかりの金で飯を食うのなんてバカらしいだろ、俺んちで食ってけよ」

「俺んちって……ここ、自宅なんですか!?」

「そうだよ。ま、実家暮らしだから俺の家って言うのもアレだけどな」

 柏木の思いもよらぬ一言に直樹が固まった。すっかり忘れかけていたが、柏木はあの柏木千夏の兄だ。ということは、柏木の家には当然千夏もいる。その当たり前の事実に今さら気付き、直樹の頭が真っ白になった。

「何してんだよ」

 呆然と立ち尽くす直樹に柏木の声が飛んだ。ようやく我に返った直樹は慌てて柏木の後を追ったが、高まる鼓動と緊張のあまり足がもつれそうになった。

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