5‐2

「ほら、買ってきたぞ」

 直樹が戻ってくるのにそう時間はかからなかった。猫のエサと、少女の『エサ』であるアイスが揺れるコンビニ袋の中に透けて見える。

「うわ、ありがとう! まだ食べてなかったんだよね、コレ!」

 直樹が袋から取り出したアイスを手渡すと少女の声が一段と明るくなる。箱入りで中にひとくちサイズのアイスが六粒ほど入った定番のアイスクリームだ。新製品の抹茶味は少女もまだ未体験だったため、手にした少女の髪が嬉しそうに跳ねた。

 少女はパッケージを開け、中に入ったプラスチックの楊枝でアイスを一粒突き刺すと直樹に背中を向けた。頭から被ったバッグの口を左手でずらすと、顔が見えないようにアイスを口へ放り込む。

「んーっ! 美味しいっ!」

 直樹に向けた背中が小刻みに揺れ、顔が見えずともその嬉しさが伝わってくる。

「どうやって食べるのかと思ったら器用に食べるもんだな……」

「あのね、楠本君が買い物してる間にちょっと練習した」

 その練習は効果的だったようで、直樹が少女の斜め後ろからさりげなく覗こうとしても素顔はまるで見えない。顔を隠したまま二つ目のアイスを口へと放り込む。アイスが口に入る度にサラサラの黒い髪が揺れる。

「お前、猫猫言ってるけどホントは豚だろ……」

「ん? 何か言いました?」

「いーえ、なにも」

 直樹のチクリとした一言も少女はお構いなしだ。直樹は足元にまとわりついてエサを欲しがる仔猫に気付き、猫缶を開けはじめた。ベンチの下にしまっておいたエサ台を引っ張り出すとその上にエサをあける。

「で、さっき言ってた情報ってのは何なわけ?」

 エサに夢中の仔猫の背中を撫でながら直樹が訊ねた。

「そうだそうだ、なんか千夏ちゃんね、アルバイトしてるみたいだよ」

「バイト? ああ、古本屋だろ」

「……あれ? 知ってるの?」

「聖志たちと出かけた時に本人から聞いたよ」

「へえ……」

 少女の声にちょっとした驚きが混ざっているのに直樹は気付き、その表情がニヤけたものに変わった。

「なんだよ、情報ってそんなことかよ。そのくらい俺だって知ってるっつーの。……お前の情報ってのも案外大したことないな」

 こんなチャンスは滅多にない。いつもやり込められるばかりの直樹はここぞとばかりに強気に出てみた。少女の前に回り込み自信たっぷりの表情を見せ付ける。

「おー、楠本君も言うようになったねえ、ついこの前まで写真を眺めるだけだったのに」

 得意げな態度に少女が噛み付いてくるかと思ったが、まるで感心したような声だ。その様子に思わず直樹も調子に乗る。

「そりゃあ、いつまでも写真を眺めてるばかりじゃないさ」

「じゃあ千夏ちゃんがバイトしてるお店がどこにあるかは知ってる?」

「え……」

 古本屋でバイトしているという話まではしたが、どこにある店かなんて突っ込んだ話はしていない。ちょっとした雑談で手にした些細な情報しか持たない直樹はあっという間にその鼻をへし折られてしまった。

「あはは、そこまでは知らないんだ。あのね、隣町の駅から近いとこみたいだよ。南口のロータリーを真っ直ぐ行って、銀行の入ったビルの向かいにあるんだって」

「へー、隣町なんだ……」

 あまり隣町の駅へは行ったことのない直樹だったが、駅前の様子は何となく知っている。少女の言葉を聞きながら頭の中に街の様子を思い浮かべてみる。するとぼんやりと思考を巡らす直樹の顔を少女が覗き込んだ。

「……今度行ってみたら?」

「ば、バカ言うなよ! どんな顔して店に入れっていうんだよ」

「どんなって……あれ、柏木がバイトしてるのってこの店だったんだ、偶然だねえ、みたいな感じでいいんじゃない?」

「いやいやいや、俺が偶然にも隣町まで行って、そこでさらに偶然を重ねて柏木がバイトしてる古本屋へ入るのか? ありえないだろ……そもそも柏木がバイトしてる古本屋って専門書とか扱う店らしいし、俺が行ったら不自然すぎるわ」

 突拍子もない少女の提案に直樹は首を振ってみせる。

「じゃあここは正直に、千夏ちゃんがバイトしてるって聞いたから遊びにきたよって言っちゃうとか」

 ますます唐突な提案をかぶせてきた少女の言葉に思わず直樹が咳き込んだ。

「あのな、そんなことを素直に言えるような奴ならこんな苦労してねえよ」

「あはは、それもそっか」

 少女は無邪気な笑い声を上げるとアイスを口へと放り込んだ。どこか面白半分な態度なのは相変わらずだ。しかし不思議と嫌な気持ちはしなくなっていた。最初の頃にあった好きな子について詮索される恥ずかしさはずいぶんと薄れ、少女と千夏のことについて話せることが心地良くなり始めていた。とくに身構えることもなく、直樹の口からも自然と言葉が出てくる。

「……でもさ、なんだか意外だよな、柏木が古本屋でバイトなんて」

「そう?」

「だって学校だといつも明るいし、誰かと喋ってたりとかするじゃんか。バイトするなら何かもっとこう明るいイメージのとこでするかと思った。……本を読むのが好きってのも全然知らなかったし」

「楠本君の中では活発なイメージの方が強いんだ」

「ああ」

「でもそれなら尚更行ってみた方がいいんじゃない? 学校では知ることのできない千夏ちゃんの隠れた素顔が見られるかもしれないよ」

 しかし直樹は首を振るだけだ。

「んなこと言ったってさあ、どうやって行ったらいいのやら……」

 千夏がどんな様子でアルバイトをしているのか見てみたい気持ちはある。しかしそこへ辿り付くための口実が全く思いつかない。

「あはは、悩んでる悩んでる。……まあとにかく頑張ってよ! 私にできるのは情報提供だけなんだから!」

 そう言うと少女はアイスの箱を直樹に手渡した。受け取った箱はまだ少しひんやりとした感触が残っている。

「それじゃ私は帰るね。もし千夏ちゃんのバイト先に行ったら報告よろしく! 楽しみにしてるからね!」

 直樹の肩を軽く叩くと少女は葦原へと歩き始めた。

「いや、まだ行くって決めたわけじゃないって……」

 しかし直樹の言葉も気にせず少女は草むらの中へと消えてゆく。……と思いきや、不意に草むらから少女がヒョッコリと姿を現わした。

「そのアイス美味しかったよ! ありがとう! 一つだけ残しといたから食べていいよ!」

 そう言って少女は再び草むらへと消え、今度は二度と現れなかった。

「食べていいよってさ、そもそもこれ、俺が買ったやつだろ……」

 ぶつぶつと文句を言いつつ少女から手渡されたアイスの箱を見ると、半分開いた箱から一粒だけ残ったアイスが見えた。直樹は箱を大きく開くと、中にあるプラスチックの楊枝を手に取ってアイスを刺そうとした。──が、少女がその楊枝を使ってアイスを食べていたことを思い出し、とっさにその手が止まる。

 楊枝を手にした少女の白い指と、頭から被ったバッグの中へと消えてゆくアイスが直樹の頭の中をよぎった。

「……」

 一瞬考えた後、直樹はアイスを指でつまみ上げると一気に口へと放り込んだ。

 抹茶の少し苦い味が口の中にじんわりと広がっていった。

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