4‐6
少し遅くなった午後、四人はやっと昼食の席に着けた。心地良い音楽が流れるイタリアンのレストランのテーブルに四人分のパスタが並んでいる。
「お、これ美味しい! 当たりだわ!」
聖志はエビと貝のたっぷり乗ったシーフードのパスタを口に放り込むと、それを飲み込むよりも早く口を開いた。
「ちょっと食べてみる? これはイケると思う」
そう言って聖志が自分の皿を差し出すと、岡本七帆は自分のフォークで聖志の皿のパスタをクルクルと絡め取った。小さな口にパスタが飛び込むと七帆の目が丸くなる。
「あ、ほんとだ、美味しい!」
「エビがこれまた良い感じだからさ、エビもいっちゃってよ!」
「いいの? じゃあ私のもちょっとあげるね」
そう言うと七帆は自分の皿を聖志に渡した。お互いの皿を交換し、二人がそれぞれ食べる。二人の楽しそうな表情は直樹の目にも飛び込んできた。その様子が直樹には羨ましくてたまらなかった。
「楠本君、私たちが頼んだのも美味しいね!」
「そうだね、美味しいよ、これ」
千夏がトマトソースのたっぷりかかった茄子とベーコンのパスタを嬉しそうに食べている。そしてその様子を眺める直樹の前にも千夏と同じ茄子とベーコンのパスタの皿がある。千夏と共通点を持ちたくて同じパスタを頼んでみたが、楽しげにお互いの皿を交換し合う聖志たちを見る限り、その考えは失敗に思えた。
「特にこの茄子! やっぱり茄子最高だよね!」
「だね。この茄子、美味しいよ……」
直樹も千夏を真似して茄子を口に放り込むが、正直なところ茄子はあまり好きではなかった。素直に自分の好きな物を頼んでいれば聖志たちのように千夏と皿を交換し合っていたいたかもしれない。その失敗が苦手な茄子以上に不味く感じた。直樹は無理矢理に次々と茄子を口へ放り込む。自分の選択ミスをこの目の前の茄子と共にさっさと無かったことにしてしまいたかった。
するとそんな直樹の様子を見ていた千夏がつぶやいた。
「楠本君、よかったら私の茄子も食べる?」
「……え?」
「なんか茄子ばっかり食べてるから、もっと食べたいかな……って」
千夏の予想外の言葉に思わず直樹は固まってしまった。ポカンとした表情の直樹を見て余計なことを言ってしまったと思ったのか千夏が言葉を引っ込めそうになる。それに気付いた直樹は慌てて言葉を繋いだ。
「……いいの?」
「うん、全然いいよ。私にはちょっと多かったし」
そう言うと千夏は自分の皿の茄子をフォークに引っ掛けるとスプーンへと移し、受け取ってと言わんばかりにそのスプーンを浮かせてみせた。
「じゃあ……遠慮なく」
直樹は自分の皿を千夏の方へと近付ける。前のめりになったせいで近くなった千夏の顔がよく見えた。
「はい、どうぞ」
千夏は小さな子の世話でもするように柔らかな表情で自分の皿の茄子を次々に直樹の皿へと移してゆく。千夏の使ったフォークとスプーンが千夏の皿の茄子を乗せ、自分の皿へとやって来る。それがなんとも気恥ずかしく、落ち着かない。しかしそれをなんとも感じていない様子の千夏を前に、直樹も必死で冷静を装った。
「このくらいでいい? 食べられるよね?」
「ありがと……こんなに貰っちゃって悪いね」
「ううん、全然平気。じゃんじゃん食べちゃって!」
無理矢理に口へと放り込んで空にしたはずの茄子が再び直樹の皿に賑わせる。どうぞと言わんばかりに千夏の視線が直樹に向かう。その視線を前に直樹は千夏からもらった茄子を口へと放り込んだ。
「ん……美味しい!」
同じ茄子なのに千夏から貰った茄子はさっき嫌々食べた茄子よりもずっと美味しく思えた。
茄子を口に放り込む度、千夏の嬉しそうな顔が直樹の視界に飛び込んでくる。その表情がますます茄子の味を美味しくさせた。口いっぱいにナスを頬張り、喋れなくなった直樹が何度もうなずきながら親指を立ててその美味しさを千夏にアピールしてみせた。すると千夏も同じように親指を立てて返す。そんな些細なやり取りが直樹には嬉しかった。
そんなささやかな幸せを噛み締める直樹の脇で聖志と七帆も楽しげだ。
「そういえばさっき別れた後さ、どんなお店を見てきたの?」
「んー、特に決めてたお店があったわけじゃないから色々ブラーッとしてたよ」
聖志がレストランの順番待ちをし、直樹が自称猫の少女と会っていた時、七帆たちはモール内をあちこちブラついていた。その時のことを思い出しながら七帆が炭酸水を口にする。
「……そうだ、途中で寄ったお店で聖志君に似合いそうな服が置いてあったよ」
「俺に似合いそうな服? え、どんなの?」
自分の話に乗ってきた聖志の様子に七帆の顔がますます笑顔になる。
「じゃあ、後で行ってみない?」
「うん、行く行く! 岡本が俺に似合うと思ってる服がどんなのか興味あるわ」
朝はあれほど緊張していたはずの聖志なのに、気が付けばずいぶんとリラックスしていた。七帆ともすっかり打ち解けているようで二人には笑顔が絶えない。
「ねえ、予定が決まったなら早速行ってみない? 混んでる時間にレストランで長居しても悪いし」
楽しげな二人の様子を見て千夏が促す。その言葉に他の三人もうなずいてみせた。
「よし、そうと決まれば行くとするか!」
聖志は炭酸水を一気に飲み干すと立ち上がった。三人も立ち上がり、支度を始める。
「それじゃあさ、予定通りここは俺らが払うから二人は外で待ってて」
「……ホントにいいの?」
千夏が聖志をちらりと見る。
「もちろん! 最初からそういう約束で遊びに来たんだから全然気にしないで」
「そっか……じゃあごちそうさま。美味しかったです」
千夏と七帆は顔を見合わせると、どこか照れくさそうに笑ってペコリと頭を下げた。
二人が店から出て行いくのを見送ると、聖志が直樹の方をジッと見た。
「おい……わかってるだろうな?」
二人きりになったテーブルの前で聖志が肩で直樹を小突くと、手に持った伝票をそのまま直樹へ突きつけた。
「……やっぱり俺が払うの?」
「当たり前だろ、俺だけ並ばせやがって」
レストランの順番待ちの最中、直樹は猫を自称する少女に呼び出されてエントランスにいた。一人だけで順番待ちをさせてしまった聖志には支払いを自分が引き受けることで納得させていたのだ。その約束がある以上、支払いは自分がするしかない。直樹は財布を取り出すと渋々カウンターへと向かった。
「楠本君、ごちそうさまでーす」
さっき千夏たちが見せたはにかんだ笑顔とは違って、ニヤニヤした聖志の顔が直樹の視界に飛び込む。苛ついた直樹の頭にはさっき呼び出された少女の姿まで浮かんできてしまう。
(くそ、アイツがあんなタイミングで呼び出しさえしなければ……)
財布から消えてゆく紙幣を眺めながら、直樹は頭の中で跳ね回る少女の姿に唇を噛み締めた。
軽くなった財布を手に店の外へと向かうと、千夏と七帆が話し込んでいる姿が見えてくる。顔を近付け、何やら楽しそうな笑顔の二人に少し先を歩く聖志が声をかけた。
「お待たせ!」
その声に気付いた二人が手を振る。聖志はまるで自分が支払いをしてきたみたいに堂々と手を上げてみせる。
「よし、それじゃさっき言ってた店に行ってみようぜ。どの辺にあるの?」
「下のフロアなんだけど、あっちの方だよ」
七帆が店のある方を指差すと二人はそのまま歩き始めた。
「あのね、聖志君は意外とカチッとした格好が似合うんじゃないかと思うんだ」
「カチッとしたの? んー、そのキーワードじゃ全然想像つかないんだけど……」
「そこはほら、行けばわかるから」
すっかり打ち解けたようで、仲良く歩く二人のお互いを見つめる表情は柔らかい。
その様子を羨ましく思いつつ、直樹も二人の後を追うように歩き出したが、直樹の手首が急につかまれ、その場に引きとめられた。驚いて振り向くと、直樹の手首を掴んでいたのは千夏だった。なにやら難しい表情を浮かべて直樹をジッと見つめている。
「……どしたの?」
直樹が不思議そうに問いかけると、千夏の表情がますます険しくなった。掴んだ手首を離さないまま、近くのベンチまで直樹を強引に引っ張ってゆく。
「ちょ、なに?」
「もう、鈍いなぁ……」
状況が飲み込めず、戸惑うばかりの直樹に千夏の不満げな声が漏れた。
「そろそろ二人きりにしてあげないと……ね」
その言葉にようやく直樹も気付いた。
「あ……そういうことか!」
猫を自称する例の少女に呼び出された時のことが今になって頭をよぎった。少女に言われた『午後は別行動』なんて話はすっかり忘れてしまっていた。
「さっき楠本くんたちと別行動した時に七帆と話したんだけど、もう私たちがいなくても大丈夫だって」
千夏は目の前のベンチへと腰掛けた。
「そんなわけで私たちのお手伝いもおしまい」
ベンチに腰掛けた千夏が立ったままの直樹を見つめている。少し体をずらしてベンチに空間を作るとその空間に視線を落とし、直樹にも座って欲しそうな表情を作ってみせた。千夏のすぐ隣に座ることに一瞬躊躇しそうになったが、直樹は恐る恐る千夏の隣に座ってみた。
ベンチに腰を下ろすと千夏の顔がグッと近くなる。わずかに顔を向けるだけで見える千夏の横顔。胸が苦しくなるのを感じて直樹は慌てて正面に向き直った。
「それにしても七帆と高山君、なんか打ち解けるの早かったよね……あれなら最初から二人でデートしちゃえばよかったのに、なんて思っちゃった」
「確かにイイ感じだったね。二人ともすぐに仲良くなって……」
聖志と七帆の楽しそうな表情が浮かんでくる。二人きりになった今も楽しくやってるであろう様子が容易に想像できた。
「聖志のやつ、最初はすげえ緊張してたんだよ」
「……そうなの?」
「それなのにあっという間にあんな仲良くなっちゃってさ、朝の緊張は何だったんだっていう」
「えー、そんなに緊張してたんだ。楽しそうだったから全然わかんなかった」
ああも楽しくやっていた聖志が羨ましく思え、直樹には少し悔しかった。聖志も七帆もデートを考えるほどお互いを気にしている関係だ。今日の件をきっかけにもっと仲良くなるだろうし、このまま二人が付き合っても不思議ではない。ただのお供でしかない直樹はそんな聖志と七帆の関係がまぶしかった。
どこか悔しさの混じった表情で目の前の床をぼんやり眺めていると、その直樹の顔を千夏が覗き込んだ。
「……ちなみに?」
「ん? ちなみに?」
不意の問いに直樹は千夏の言葉を繰り返した。意味を汲み取らない直樹を見て千夏は一瞬口を真っ直ぐ結んだかと思うと小さく呟いた。
「楠本君はどうだったの? ……楽しかった?」
千夏の大きな瞳がますます直樹を見つめていた。
「え、俺!? ……あ、いやそりゃもちろん、俺も楽しかったよ!」
千夏にジッと見つめられ、思わずしどろもどろになったが、直樹は息を吸い込むのも忘れて慌てて言葉を吐き出した。するとその言葉に千夏の表情も明るくなる。
「ホント? よかった! 楠本君とほとんど話したことなかったし、ちょっと心配だったんだよね。七帆たちのお供とはいえ、せっかく遊ぶなら楽しくないともったいないし」
そう言って千夏が嬉しそうに笑う。心の底からの笑顔がまぶしい。
そんな千夏を見て、直樹も同じことを千夏に聞きたくなった。どんな言葉が返ってくるかと考えると一瞬躊躇しそうになったが、勇気を振り絞って声に出してみた。
「っていうか、柏木の方こそどうだったの? 今日はその、楽しく……」
「うん、もちろん楽しかったよ!」
直樹の言葉が言い終わるよりも先に千夏の口から言葉が飛び出す。そこにはさっきと変わらぬ笑顔があった。千夏は嬉しそうな表情を崩さないまま、バッグの中を覗き込む。
「ほら、イイ物も買えたしね!」
千夏がバッグから取り出したのは直樹とお金を出し合って買った鳥のしおりだった。
「あ、それ……」
「今日買った物の中で一番のお気に入りかな。これがあれば本を読むのが絶対楽しくなるよね」
取り出した鳥のしおりを空にかざすと、千夏は何度も角度を変えて嬉しそうに眺めている。直樹もカバンからしおりを取り出して手に取ってみた。しおりを本に挟まずとも、千夏と自分が同じしおりを手にしているだけで直樹は幸せな気分になれた。自分と千夏のしおりを交互に眺め、二人の『共通』を確認する。それだけで幸せが加速していった。しかしその正直な気持ちを口にすることはできず、ありきたりな言葉が口をついて出る。
「ほんと、これがあれば読書が楽しくなりそうだね」
「だよね! この前一冊読み終わっちゃったばっかりだし、このしおりを使う最初の一冊は何にしようかな……」
「……柏木はどんな本が好きなの?」
「んー、なんでも読むよ。ジャンルとか気にしないし。……あ、そういえばこの前ね、軟弱地盤での基礎工事に関する技術なんたらって本を読んだかな」
「……なにそれ?」
千夏の口から出たあまりにややこしい本のタイトルに思わず直樹の眉間に皺が寄る。しかし千夏はといえばそんな直樹の表情を見てますます楽しそうに笑った。
「あはは、私もよくわかんない」
「わかんないって……」
「私ね、古本屋でバイトしてるんだ。で、そこって専門書みたいのしか置いてないお店なのね。だからそこの棚にあった本を暇潰しにちょっと読んでみただけ。……でもアレはさすがにこのしおりがあっても楽しめないかなぁ。難しすぎて全然わかんなかったもん」
「へー、柏木って古本屋でバイトしてるんだ」
「うん、親戚の叔父さんがやってるお店なんだけど、そこって品揃えが凄くてね……」
直樹が何かを聞けば人懐っこい笑顔とキラキラした瞳の千夏から返事が返ってくる。こうしてベンチに腰掛けて二人で話しているうちに千夏と直樹の会話もだいぶ滑らかになってきた。意識して言葉を探さずとも自然と会話が続く。千夏が直樹をどう思っているかはともかく、楽しく話す姿を羨ましく思った聖志たちと同じくらい会話が弾んでいる。今はただこうして千夏と二人きりで他愛ない話を続けていられるだけで直樹は幸せな気分だった。
しかし、ふと時計を見るとあの猫少女と話した映画の上映時間が迫っていた。ずっとこのまま千夏と話していたかったがそうも言っていられない。次のきっかけがなければこの幸せな時間がいつ終わっても不思議ではなかった。
直樹は小さく息を飲み込み、ゆっくりと口を開いた。
「あのさ……もしよかったらなんだけど、このあと映画でも見に行かない?」
「映画?」
「ほら、今ホラーのでちょっと面白そうなのやってるから、一緒にどうかな……って」
「ん……」
直樹の言葉に千夏の視線が宙を泳いだ。黙ったまま何かを考える様子が直樹を緊張させた。
そして一瞬の沈黙の後、千夏の視線が直樹の方へと向き直る。
「いいよ! 私、その映画見たかったんだ」
その一言に直樹は胸を撫で下ろした。
「よかった、一瞬間があったから断られるかと思った……」
思わず口をついて出てしまったその言葉に直樹の顔がこわばった。無意識に心の中のつぶやきを思わず口にしてしまっていた。しかし慌てる直樹をよそに千夏は相変わらずの笑顔だ。
「あはは、今の間は全然そういうのじゃないよ。あのね、お金大丈夫かなって考えてたんだ……ほら今日は結構使っちゃったから、まだ残ってたかなって」
「え、お金!?」
こわばっていた直樹の表情が今度は青ざめたものに変わった。カバンから財布を取り出すと千夏に背を向け、慌てて中身を確認する。
「……無い」
広げた財布の中はすでに空っぽだった。猫少女に呼び出される度に何かをおごらされ、聖志を一人で待たせた代償に四人の昼食代も全部自分で払い、もはや直樹の財布に映画を見るだけの余力は残されていなかった。
「無い……」
あいつのせいだああぁぁぁぁぁ!
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