4‐5
直樹は手にした小鳥のブックマーカーをジッと見つめていた。その銀色の小さなしおりを眺めているだけでしおりを手に嬉しそうに笑う千夏の顔が浮かんでくる。ついさっきの出来事なのに、すでに直樹の頭には忘れられないほどに千夏の表情が焼き付いていた。
「何それ?」
「しおり。さっき買ったやつ」
「へー」
隣に立つ聖志が直樹の持つブックマーカーを一瞬気にしたが、興味も無いのか気のない返事が返ってきた。聖志は退屈そうに伸びをすると辺りを見回してつぶやいた。
「それにしてもなかなか入れないな……」
直樹と聖志はレストランの前で席が空くのを待っている最中だった。千夏と七帆の二人は席が空くまで買い物を続け、男子二人が順番待ちを買って出た格好だ。しかし昼のレストランは当然のように混んでいてなかなか順番は回ってこない。退屈な時間の中、直樹はブックマーカーを眺め、聖志は携帯をいじって時間を潰していた。
「あーあ、あと何分待ちゃいいんだ……」
聖志が大きくあくびをしてみせる。店の入口のウィンドウに並ぶパスタのサンプルが空腹を加速させた。なかなか進まない席待ちに聖志の視線が再び携帯へと落ちる。
直樹も同じように退屈していたが、ぼんやりとした頭の中に響いた館内放送が直樹の表情を一変させた。
「お客様のお呼び出しを申し上げます。猫を見るとつい話しかけてしまう高校二年生のK本様、可愛い仔猫様がお待ちです、一階エントランスまでお越しください」
突拍子もないアナウンスに直樹の背筋がまたしても伸びた。そしてすぐさま先ほどの光景が浮かび上がってくる。人だらけのショッピングモールでバッグを頭から被った少女と顔をつき合わせ、周囲の視線を一身に浴びるあの居心地の悪さ。再び聞こえた呼び出しのアナウンスに直樹は頭を抱えた。
「あいつ……またかよ!」
携帯を見入っていた聖志がチラリと直樹を見た。アナウンスには気付いていないようだが、頭を抱える直樹を不思議そうに眺めている。
「すまん聖志、ちょっと出てきていい? どうしても行かなきゃ行けない場所が……」
「なんだよ、まさか俺一人に順番待ちさせる気か?」
「悪い! これには止むに止まれぬ事情があって……」
「お前なぁ……」
直樹は精一杯申し訳ないといった顔を作ってみせたが聖志は不愉快そうだ。面倒臭そうに二、三度頭をかくとようやく口を開いた。
「……これは貸しだからな」
「ホントすまん! 恩に着る!」
直樹はひたすら聖志に頭を下げるとすぐさま駆け出した。
「まったく! なんだってこんな時に呼び出すんだよアイツは!」
さっきはフードコートへ呼び出したのに、今度は一階のエントランス。わざわざ離れた場所まで走らされ、直樹はますます苛立った。エスカレーターを小走りで駆け下り、エントランスを目指すと、人の波が直樹を迎えた。
エントランスはショッピングモールへとやってきた客でごった返している。しかしその人だらけの空間の中でも直樹を呼び出した少女の姿はすぐに見つけられた。何故か少女は小さな子供と並んで立っており、母親らしき女性が並んだ二人の姿を携帯のカメラで撮影している。少女はまるで着ぐるみのキャラクターのような扱いで、通りすがる子供たちと記念撮影を繰り返している。まるでどこかのテーマパークにでも来たかのようだ。
「ほら、るりか、ちゃんとお礼言わなきゃ」
「ありがとー!」
母親にうながされ、小学生くらいの子がペコリと頭を下げると少女の方もそれに応えて手を振ってみせる。
「なにやってんだよ、アイツ……」
何故かすっかり人気者となっている少女の姿に直樹は唖然とした。あんなのに声をかけなければならないと思うと気が重くなる。しかし声をかけないわけにもいかず、周囲に人がいなくなるのを待ち、少女の元へと歩み寄った。
「すいませーん、こっちも写真いいですか?」
横から声をかけると少女がくるりと向き直った。体が直樹の方へと向くよりも早く手を丸めた猫のポーズを決めており、すっかり写真撮影慣れしている。直樹は呆れたまま、その姿を写真に収めた。
「え、あれ? 楠本君! 遅いよもう! 全然来ないからみんなの注目浴びちゃったよ」
さっきまで子供たちに囲まれて写真を撮られていた少女の声はどこか楽しげだ。しかし一方の直樹といえば開いた口が塞がらない。
「子供と一緒に写真撮るとか、なにお前ちょっとしたキャラクターになってんだよ。ここは何ランドだっての」
「あはは、ただジッとしてたつもりなんだけど、なんか妙に人気出ちゃった。……楠本君も2ショット撮ってあげようか?」
「撮らねーよ! っていうか、お前いいかげんにしろよ! 何度も呼び出しやがって」
すると少女が直樹の言葉に不機嫌そうな声を返した。
「あ、せっかく協力してあげてるのにそんな風に言っちゃうんだ。雑貨屋さんでずいぶん楽しそうにしてたけど、あれって私のおかけじゃないのかな?」
「楽しそうにって……お前見てたのかよ!」
「そりゃお手伝いに来たんだから様子くらい見るよ。……千夏ちゃんと一緒に何か買ってたよね? すごく嬉しそうな感じで。楠本君はどうしてその幸せな瞬間にめぐり合えたかわかってる?」
直樹は舌打ちをすると頭をかきむしった。千夏の前で浮かれる自分の姿をこの少女に見られていると思うと恥ずかしさに居ても立ってもいられなくなる。しかし目の前のバッグを被った奇妙な少女がいなければ雑貨屋での楽しいひと時は無かったかもしれない。少女の協力があってこその状況では逆らうことなどできるはずもなく、恨めしそうに少女を眺めるしかなかった。
「……で、今度は何だよ」
言い返せなくなった直樹を見て少女は満足げに髪を揺らした。
「今度はね、楠本君が午後をどうするのかなぁと思って。何か予定とか決めてる?」
「午後? いや特に何か決めてるわけじゃないけど……」
「やっぱりね、そんな行き当たりばったりじゃダメだよ楠本君」
「自然なままが良いって言ったのお前だろ……」
この前、河川敷で少女とした会話が頭をよぎった。
「自然に振舞うのと準備をしないのは全然別。そんなんじゃ失敗しちゃうよ」
たしかに直樹は準備をしなさすぎた。ただうろたえるだけの間に今日という日を迎えてしまい、今日に至るまで準備と呼べそうなものは何一つしておらず、その無計画ぶりは自分でも呆れてしまうほどだ。
「ま、そんな楠本君でも失敗しないですむように私がいるんだけどね」
少女の顔が直樹に近付く。バッグを被り顔が見えなくとも得意げになった様子が伝わってくる。
「……どう? 聞きたいよね?」
最初から答えはわかってるとでもいったような少女の言葉が癪に障る。ムッとして直樹が黙り込むとますます少女の顔が近付く。
「聞きたくないの? 私からのアドバイス」
「……聞きたいです」
どんなに腹立たしくとも直樹には逆らいようがなかった。素直に従う直樹を見て少女がうんうんと満足げにうなずいた。
「じゃあとっておきの情報を教えてあげましょう! 千夏ちゃんね、映画を見たがってたよ。ほら、先週から始まったホラー映画あるでしょ? あれが見たいんだって」
「あー、あれか……」
ショッピングモールの中には映画館もある。モールのあちこちにある掲示板にはその映画のポスターも貼ってあり、直樹もモール内を歩く間にあちこちで目にしていた。今も辺りを見回してみるとそのポスターが目に飛び込んでくる。人形を手にした血まみれの少女が立ち尽くす、いかにもホラーといった怪しい雰囲気を醸し出していた。
「柏木ってこういうの好きなんだ……でも聖志たちはこの映画を見たいって言うかな? 聖志は別にいいとしても岡本とか……」
すると直樹の言葉に少女が呆れた声をあげた。
「楠本君……もしかして午後も四人で行動する気?」
「え、だってそりゃ……」
少女は直樹にもハッキリ聞こえるような大きなため息をついてみせた。
「あのねえ、いくらダブルデートって言ってもそろそろ別行動でしょ。聖志君たちだってホントは二人でデートしたいに決まってるよ。ダブルデートってのは誘うための口実みたいなもんなんだから」
「そうなのか……」
直樹のつぶやきに少女がますます大きなため息をついてみせる。
「まったくもう、私が言わなきゃ大失敗するとこだったよ。あいつ空気読めないってずっと言われ続けたかも」
「そうなのか……」
「そうだよ、だから午後は別行動! これは楠本君にとってもチャンスなんだから上手くやってよ」
「……わかった」
少女の言葉にうなずいてみたものの、千夏と二人きりだなんて直樹にはまるでピンとこなかった。つい昨日まではろくに話したことすらなかったのに、今日の午前中には話をしながら千夏と並んで歩き、午後には二人きりで映画を見ることになるかもしれない。あまりにも展開が急すぎて現実とは思えないフワフワした落ち着かない気分だった。
しかし少女の一言が直樹をわかりやすい現実へと引き戻した。
「というわけで……」
少女が口にしたその一言だけで何を言いたいのか直樹にはすぐわかった。先ほど呼び出された時と全く同じ展開だ。
「わかってるよ、情報料だろ」
「あはは、話が早いね」
「こんなことで時間かけてらんないからな。今度は何を買えばいいんだ?」
「んーとね、ちょっとお腹が空いてきたし、あそこで売ってるクレープが食べたいな」
少女はモールのすぐ前にある道路に横付けされたクレープの屋台を指差した。イチゴやバナナで装飾されたカラフルな屋台から甘い匂いが漂ってくる。
「やっぱり食い物か……」
「ん? 何か言った?」
「いーえ、なにも」
ポツリとつぶやいた一言はしっかり少女に聞こえていた。直樹は誤魔化すように慌てて財布を覗き込んだ。
「で、種類は何にしたらいいわけ?」
「じゃあね……ベースをアーモンドチョコにして、トッピングは全部追加でお願いしまーす!」
「全部だな……了解」
全部追加というムチャに思わず声が出そうになるが、余計な事を言えばむしろもっと悪い結果になるだけだと思い、直樹は黙ってそれを受け入れた。男が一人もいないクレープ屋の列へと並ぶと、少女の要求通りにトッピングを全部乗せたクレープを買ってきた。バナナとイチゴがクレープの生地からはみ出すように盛り付けられ、たっぷりの生クリームとバニラアイスまで乗っかっている。さらにその上から真っ赤なソースがかかり、見ているだけで口の中が甘くなりそうだった。
大量のトッピングで今にもこぼれそうな勢いのクレープを直樹は慎重に少女の元まで運んできた。
「ほら、買ってきたぞ」
「わーい、ありがとう! 近くで見るとこんな大きいんだね、全部食べられるかなあ……」
少女は手にしたクレープを前に嬉しそうだ。どこから食べようか考えているのか、角度を変えて何度もクレープを眺めている。
「ま、好きなだけ食ってくれよ。俺は戻るから」
「あれ? 私が食べるとこ見ていかないの?」
「どうせ見せる気無いんだろ? そんなんで時間を無駄にして聖志に怒られるのは勘弁だっての」
先ほど呼び出された時に千夏たちを待たせたことで直樹はもう懲りていた。さっさとこの場を離れて聖志の元へと戻らなければまた失敗しかねない。
「そう、じゃあ午後も頑張ってね!」
「ああ」
そう言った少女に軽く右手を上げてみせると、振り返ることもせず直樹は聖志のいるフードコートへと歩き始めた。早足で壁沿いを歩く直樹の視界に先ほど少女と話したホラー映画のポスターが飛び込んでくる。昼食の後、二人でこの映画を見ている姿を想像するとなんだか落ち着かない。そもそもどうやって聖志たちと別れて二人きりになったらいいのか、そのきっかけの作り方もわからず、急に不安が大きくなってゆく。
すっかり遠くなり姿の見えなくなった少女の方を直樹は一瞬振り向いた。しかし今更アドバイスを聞きに戻るわけにもいかない。どうやって聖志たちと別れて千夏と二人きりになるか、どう千夏に声をかけたらいいのか、直樹の頭の中をいくつもの言葉がグルグルと走り回る。フードコートへと向かって歩く速度よりも、頭の中の思考の方がずっとせわしなかった。
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