2‐2

 放課後、直樹はまたあの河川敷へと来ていた。

 机の中に入れられていた千夏の写真――誰があの写真を入れたのはわからない。しかし手がかりがあるとすれば仔猫と出会った昨日の場所しかない。直樹は土手の内側を走る舗装路を自転車で走りながら昨日の場所を探した。記憶が曖昧な上に葦原の中にポツンと存在する小空間を見つけるのは簡単ではない。自転車をこぎながら葦原に目を向けるがどこも同じに見えて全く見当がつかない。

 しかし事態は思いのほか簡単に解決した。直樹が自転車をこいでいると道の端に昨日の仔猫がちょこんと座っていた。自転車を降り、仔猫の前に立つと、まるで直樹を待っていたかのようにニヤーと一声鳴いて、仔猫は葦原へと入っていった。直樹は辺りの景色を目に焼き付けつつ、仔猫の後を追った。

「まったく……俺の気も知らないでのん気なヤツだ!」

 仔猫を追って葦原を歩くうち、昨日見たあの空間が現れた。仔猫は直樹の気など知らず、小さな広場の中央にあるベンチに飛び乗ると、遊んでほしそうに何度も体を転がせた。

 直樹はベンチで寝転ぶ仔猫の前にしゃがみ込むと、カバンの中から例の写真を取り出した。写真に写った千夏の笑顔に思わず見入ってしまいそうになるが、その写真を引っくり返して仔猫の顔の前に見せつける。

「……質問だ。この写真はお前が俺の机に入れたのか?」

 しかし仔猫は写真など全くの無視だ。放り出した体を転がして直樹に背中を向けると、退屈だと言わんばかりに伸びをしてみせた。大きなあくびをひとつするとそのまま目を細めてしまう。

「そりゃそうだよな……猫のお前が学校まで来て写真を入れるワケがない。そんなの当たり前だ」

 苦笑した直樹が仔猫の腹をなでると、待ってましたと言わんばかりに仔猫が腕にじゃれ付いてくる。

 今、目の前にいる仔猫はどこからどう見てもやはり猫だ。千夏の写真を撮影したり、それを直樹の机に忍ばせるような事ができるはずもない。そうなると直樹に写真を送りつけたのはやはり人間だ。ならば昨日こうして直樹が仔猫と話す姿を誰かが見ていたと考えるのがもっとも自然だった。

 直樹は小さく息を呑むと、猫の体を撫でながら辺りの気配に気を配った。

 川を上ってくる涼しい風が葦原を撫で、小さく音を立てる。そこに聞こえてくるのは自然が作り出す音ばかりだ。そして風が一瞬止み、辺りが静まりかえった。ぐるりと取り囲む葦原をジッと眺めても草ひとつ揺れはしない。

 その静寂の中、直樹はそっと息を吸い込むと一気に言葉を吐き出した。

「おい! 昨日俺の様子をこっそり覗いてたヤツ! 今も見てるんだろ、出てこいよ!」

 意を決して声を上げてみたが、直樹が凝視する葦原には何の変化も起こらない。せいぜい直樹の声に驚いた仔猫が目を丸くしただけだ。

「……ま、そんな簡単に犯人が見つかるなら苦労しないわな」

 ため息をつきながら直樹は頭をかいたが、その瞬間、直樹の視界の隅でかすかに葦原が揺れた。風とは違うその動きに直樹の声が上ずる。

「……見たぞ! ……今、確かに動いた……そこにいるな!」

 直樹はかすかに揺れた葦原を睨みつけた。そのまま立ち上がると、葦原に向かってゆっくりと一歩踏み出した。すると次の瞬間、葦原が今度は激しく揺れだした。ガサガサと大きな音を立てて揺れる葦が直樹からどんどん離れてゆく。

「嘘だろ……ホントにいたのかよっ!」

 冗談半分で声をかけただけなのに、実際そこに誰かがいた。呆気に取られて思わず硬直しかけたが、直樹はとっさにその逃げる何者かを追って葦原に飛び込んだ。

「おい待て! 待てってば!」 

 直樹が葦原をかき分けながら声を上げるが、揺れる草はその言葉も聞かずどんどんと先へ進む。背丈ほどもある葦は視界を遮り、なかなか追いつけない。それでも直樹は追いかけるのをやめなかった。

「逃げたって無駄だぞ! どうせ草むらの外に出たら隠れる場所なんて無いんだからな!」

 河川敷に広がる葦原である以上、どこかでこの葦原を抜けて土手を越えなければならない。だが葦原の外へ飛び出せばどうしたって見つかってしまう。

「諦めろ! もう少しで追いつくぞ!」

 必死で草をかき分け、徐々に距離を詰めた直樹の声が響く。すると直樹の言葉に観念したのか、草の動きが少し先で止まった。時折草が左右に揺れるが逃げる気配はない。

「よし、それでいい……いいか、そこから一歩も動くなよ」

 直樹も一旦立ち止まると、弾む息を整えるようにゆっくりと、草をかき分けながら近付く。かすかに揺れる草の元に千夏の写真を入れた犯人がいる。その正体を知るとなると緊張で足が止まりそうになるが、覚悟を決めて直樹が飛び込んだ。

 しかしその瞬間、直樹は目の前に広がる光景に唖然とした。

「……は!?」

 そこにはコンビニの袋を頭に被った少女がいた。

 白いビニールの袋が頭をスッポリと覆い、顔は全く見えない。袋の端からはみ出した真っ直ぐな黒髪と、直樹と同じ高校の制服から同じ学校の女子生徒だということだけはわかった。

 少女は自分の正体を知られたくないのか、直樹に背中を向けてしゃがみ込み、少しでも顔を隠そうと頭から被ったコンビニ袋の端をギュッと握って丸くなっている。

 そのあまりに奇妙な姿に思わず呆気に取られてしまったが、ただ眺めていても始まらない。直樹は意を決して目の前の少女に声をかけてみた。

「……お前があの写真の送り主だな?」

 しかし直樹の問いに少女は答えない。コンビニの袋が風に吹かれカサリと鳴るだけだ。ますます身を丸くし、直樹の声を避けるように背中を見せる。直樹は袋の奥にある顔が透けて見えないかと回り込むように近付いてみるが、少女は直樹に顔を向けようとはしない。

「……ていうか、誰?」

 率直な疑問が思わず口をついて出た。

「だ、誰って言われても……」

 少女がようやく口を開いた。動揺して少し上ずったその声を、直樹は自分の知っている声と照らし合わせてみたものの少女の声に聞き覚えは無かった。袋から覗く長い髪を見ても心当たりは無い。クラスの女子とそれほど仲が良いわけでもない直樹にとって、これらの情報だけで少女の正体を掴むのは難しかった。

「あのさ、とりあえずその袋取れよ。今更逃げられないだろ」

 しかし少女は首を振る。あまりに勢いよく頭を振ったため、被っているコンビニの袋がガサガサと大きな音を立てた。

「正体を明かすまでずっとこのままだぞ」

 自分から名乗るように促してみるが少女は身を縮こませ、小さな体をますます小さくした。

「しょ、正体も何も私は猫です……き、昨日エサをもらった」

 突拍子も無い答えに直樹が呆れる。

「あのな、どこをどう見たらお前が猫なんだよ……俺がエサをあげた猫は制服なんか着てないし、そもそもそんな袋も被ってないっての」

「だからこれは……その、世を忍ぶ仮の姿っていうか……昨日エサを貰ったお礼をしようと人間の姿になってるだけで、実際はホントにホントの猫であって……」

「という設定にしたわけね」

 直樹が冷たく言い放つ。

「あのさ、そんなので誤魔化せるわけないだろ。俺がそんな話を信じると思うか? 小学生じゃあるまいし、そんな話信じるかっての。っていうか小学生だって信じないだろ」

「……」

 当然といった指摘に少女は何も言い返せなくなってしまった。怯えたように体をピクリと震わせると、そのまま黙ってしまった。

「……で、名前は?」

 再びコンビニの袋をガサガサさせるほどの勢いで少女が首を振る。

「何年何組の誰さんですか? 答えてください」

「……」

「名前だよ、名前」 

「だから私は猫であって、名前とか……あっ」

 突然、何かを思いついたかのように少女の声が大きくなる。

「そ、そう! わ、我輩は……ね、猫である!」

「名前はまだない……とでも言う気か? 漱石さん」

「う……」

 少女が口にしようとした言葉を直樹が先に言ってしまった。先を越された少女は言葉を飲み込み、固まった。

「名前が無いなんて、そんなわけないだろ……ほら、言えよ」

「だ、だからさっきかり言ってる通り、我輩は猫でありまして……な、名前はその……」

「その?」

「……聞かないでほしい」

 少女の声はどんどん小さくなり、風の中に消え入りそうなほどだ。

 頑なな少女を前に訪れる小さな沈黙。風が草を撫でる。するとその沈黙に耐えられなくなったのか、少女が両手を猫のように丸めて直樹を見た。

「にゃ、ニャー」

「ニャーじゃねえよ……」

「なんと……じゃなかった、ニャンと言われても、我輩は猫ニャのである……にゃ」

 あまりにも無理のある猫の真似。コンビニの袋を頭に被ったその姿には猫らしさなど微塵も無い。しかしどうあっても猫であることを崩さない少女にもはや直樹の方が折れるしかなかった。

「……わかった、じゃあ質問を変えてやるよ」

 直樹は気を取り直すように一度空を見上げると、ゆっくりと息を吐いて目の前の少女を見た。袋を被った少女にはその様子は見えていないが緊張は伝わっているようで、その身が一層硬くなった。

「どうやってあの写真を手に入れたんだ?」

「どうやって……って?」

「あの写真をお前が撮ったのか誰かから手に入れたのか知らないが、とにかくあんな写真を手に入れるには柏木自身かその友達と親しくなくちゃ難しいよな?」

「な、何を言っているのかよくわからないニャ」

「ニャはもういいって」

 しどろもどろな少女の言葉をお構いなしに直樹は続ける。

「お前が柏木たちと親しい関係なのは間違いない。そして、当然俺のことも知ってるわけだよな? じゃなきゃ俺の机に写真を入れておくなんてことはできないんだから」

 直樹の言葉が核心を突く度に少女が肩がピクリと震える。

「つまりさ……お前、俺と同じクラスのヤツなんだろ?」

 直樹のぶつけた問いに少女は全く答えない。ただ黙ったまま小さくなるだけだ。

 しかしだからこそ確信が深まった。今、目の前にいる少女は直樹のクラスメイトで間違いない。もはや否定する言葉すら見つけられず、沈黙を貫くしかない少女の様子がそれを物語っていた。

 直樹は少女が自ら口を開くのを待ったが、一向にその気配はない。何も言わず目の前で佇むコンビニの袋を被った少女、その袋の下にはクラスで見知った顔がある。そう考えると直樹の顔がみるみる赤くなっていった。柏木千夏のことを好きだという直樹の思いをクラスの女子の誰かが知っている。それがほぼ現実となった今、急に恥ずかしさが襲ってきたのだ。できることなら今すぐこの場から逃げ出したいほどに直樹は動揺していた。

「くそっ! 柏木のこと、ずっと隠してたのに……まさかこんな形でバレるなんて!」

 思わず直樹が頭をかきむしる。これまで恋愛の話なんて誰にもしたことがなかった。それなのにクラスメイトの女子にその密かな思いを知られてしまったのだ。もはや気恥ずかしさを通り越し、その感情は怒りに変わりつつあった。

 直樹は目の前の少女を睨みつけると、力いっぱい怒鳴りつけた。

「全部お前のせいだ! お前が盗み聞きなんてするから!」

 恥ずかしさを紛らわすように上げた大きな声と共に、直樹は少女が被る袋を剥ぎ取ろうと足を踏み出す。

「一体誰なんだよお前!」

 すると少女の声も大きくなる。にじり寄る直樹を手で払いのけ、抵抗する。

「ちょっと、やめてってば! ストップ! 待ってよ!」

「待つもんか、お前が誰なのかハッキリさせてやる」

「だめ、ホントに……お願い!」 

 直樹と少女の小競り合いが続いた。しかし少女が被る袋に直樹が手をかけた瞬間、少女が今まで以上に声を張り上げた。

「待って! 私が誰か確かめるなんて、本当にそんなことしていいの!?」

 その声に思わず直樹もたじろいだ。少女が急に立ち上がったかと思うと、袋を被ったままのその顔が睨むような勢いで直樹の視界いっぱいに広がった。

「……どういうことだよ?」

 少女の予想外の問いかけに思わず直樹の動きが止まる。少女の被った袋がカサリと鳴ると、さらにずいっと顔が近くなる。

「いい? もし私の正体を知ったら、これから先、学校で会う度に気まずくなると思わない?」

「気まずく? なんで?」

「だってそうでしょ、私は楠本君が千夏ちゃんのことを好きだって知ってるんだよ。もし教室で私と会ったらどうする? 私の顔を見る度にあいつは俺の好きな子を知ってるんだって思い出さなきゃならないんだよ。……そんな学校生活、すっごく居心地悪いと思わない?」

「……そりゃ、確かにそうかもしれないけど」

直樹が少女の言葉にも一理あると思ってしまった瞬間、少女がさらに言葉を重ねる。

「私はね、別に楠本君が誰を好きだってどうでもいいし、それをわざわざ誰かに話したりする気も無いよ。だって私には関係ないもん。そうでしょ? ……それだったらね、私の正体を知って気まずくなるよりは、このまま知らないままにしておいた方がいいんじゃない?」

 しかし直樹はあっさりと首を振った。

「……いや、お前それ、単に自分の正体を知られたくないだけだろ」

 いくら鈍い直樹でも少女の魂胆はお見通しだった。自分の身を守るための言い逃れじみた言葉を真に受ける気はない。むしろ少女を睨み返すと、さらに一歩近づいた。

「言っとくけどな、お前の正体を知ろうが知るまいがこっちはとっくに気まずいんだよ! どうせ気まずいならキッチリお前の正体を見届けた方がマシってもんだろ、なあ」

「……そんな!」

 少女の戸惑いの声を無視して今度は直樹が少女ににじり寄る。少女もそれに合わせて後ずさりするが距離は近付く一方だ。手を伸ばせば頭の袋に届く距離。今度こそと直樹がその手を伸ばした。

 すると少女はパチンと音がするほどの勢いで手を合わせ、泣きそうな声をあげた。

「お願い、見逃して! まさかこんな事になるなんて思ってなかったから心の準備が……」

「あのなあ、俺だって心の準備なんてなかったっての! 盗み聞きされてるのなんか全然知らなくて、いきなり写真を送りつけられたんだぞ、どんだけ慌てたと思ってんだよ!」

「う、それは……」

 直樹のもっともな言葉に少女は言いよどむと、そのまま黙ってしまった。

「じゃあ三十秒待ってやるよ。その間に心の準備をすればいい」

 そう言うと直樹は数歩下がり、少女の全身が視界へ入るようにして反応を待った。ここまで追い詰めればもはや少女に逃れる術は無い。後は頭の袋が外されるのを待つだけだ。

 十秒、二十秒と時間が過ぎてゆく。

「……そろそろ三十秒だぞ」

 それでも少女は黙ったまま動かない。袋を被ったその姿から表情を読み解くことはできそうもなく、奇妙な沈黙が続く。

 しかし突然、何を思ったのか少女が直樹の方へ一歩二歩と歩き出した。力強く踏み出した足とともに、袋で覆われた少女の顔が直樹の視界いっぱいに広がる。

「な、なんだよ、覚悟が決まったのか?」

 突きつけられた少女の顔に直樹がたじろぐと、少女は先ほどまでの消え入りそうな声とは正反対の大きな声を直樹にぶつけた。

「っていうか!」

少女の声で頭から被ったコンビニの袋が内側から震える。

「ていうか! なんで私が責められなきゃいけないわけ?」

「え?」

「え? じゃないでしょ。私は千夏ちゃんの写真をあげたんだよ。キミが好きで好きでたまらない、大好きな千夏ちゃんの写真を! これってむしろ感謝されるべき事なんじゃない?」

 突然の反論。しかし直樹も黙っていられない。

「なんだよそれ、こっそり覗き見しといて開き直る気かよ」

「開き直りじゃありません! 私は事実を話してるだけです! だって嬉しかったでしょ? 千夏ちゃんの写真を貰えて!」

「いや、それは、その……」

 今度は直樹の方が言いよどんだ。どう言い返せばよいかわからず言葉に詰まる直樹を前に少女の語気がますます強まる。

「いい、もう一度聞くよ? 楠本君は千夏ちゃんの写真が手に入って嬉しかったですか? この前まで隠し撮りの小さな写真を眺めるだけだった楠本君は、アップで、笑顔の、とーっても可愛い千夏ちゃんの写真が手に入って嬉しくありませんでしたか?」

 あまりの剣幕に直樹が後ずさった。

「……嬉しくないわけないよね?」

「いや、それとこれとは話が違……」

「違わない! ほら、答えて!」

 責め立てる少女を前に直樹はもはや何も言い返せなくなっていた。

「なに? 答えられないの? だったら三十秒だけ待ってあげてもいいけど」

 もはや形勢は完全に逆転していた。

「いーち……にー」

 さっきまでの威勢はどこへやら、気付けば直樹の方が黙り込んでしまっていた。返す言葉が見つからず、ただ時間だけが過ぎてゆく。袋を被った少女の表情はわからないが、先ほどまでの怯えた様子が強気なものに変わっていることは直樹にも容易に想像できた。十秒、二十秒とカウントする少女の声は力強い。

「……はい、三十秒経ちました」

 コンビニ袋を被った真っ白な顔の少女が直樹の顔を覗きこむ。

「じゃあもう一度質問するよ……楠本君は千夏ちゃんの写真が手に入って嬉しかったですか?」

「う、嬉しかった……です」

 直樹もその事実だけは否定できなかった。送り主の正体はともかく、あの千夏の写真が直樹を幸せな気分にさせたのは事実だ。朝、写真を手に入れてからといううもの、チラチラと写真を眺めては嬉しさのあまり顔をニヤつかせ、すでに写真を携帯のカメラで撮影し、ホーム画面の変更すら終えていた。

「ほらね、やっぱり嬉しかったんだ」

 事実を認めた直樹を前に少女が胸を張ってみせた。袋からはみ出した長い黒髪が跳ね、得意げな様子がひしひしと伝わってくる。

「くそ、何なんだよお前は……」

 翻弄されるばかりの直樹は恨めしそうに少女を睨むことしかできなかった。

「まあ落ち着いて。さっきも言ったけど、私は楠本君が千夏ちゃんを好きだってことは誰にも話さないよ。別に楠本君をどうこうしようなんて思ってないんだもん」

「……本当だろうな?」

 どこか信用できずに少女に疑いの眼を向けるも袋に遮られる。

「本当だってば! っていうかね、なんだったらむしろ協力してあげたいくらいだよ」

「……協力?」

「うん。楠本君と千夏ちゃんが上手くいくように私が手伝ってあげようかな、なんて」

 その言葉を聞いた瞬間、直樹は音が出そうなほどの勢いで何度も首を振った。両手も大袈裟に振り回し、大きく声をあげた。

「冗談じゃない、何が協力だよ! 柏木のことを好きだって知られてるだけでも嫌なのに、これ以上お前のオモチャにされてたまるか!」

「オモチャって、そんな言い方しなくても……私そんなに意地悪に見える? 私はただ純粋に楠本君の気持ちを応援してあげたいって思っただけだよ」

「……あのな、そんなふざけた格好で言われても説得力ねえよ」

 頭からコンビニの袋を被った少女の姿は完全に悪ふざけだ。少なくとも他人の恋を応援するスタイルでないことだけは間違いない。

「そこに話を戻さないの! 格好じゃなく気持ちを見てよ」

 だが直樹はもう一度首を振ってみせる。

「だから結構。面白半分だろうが純粋な善意だろうが俺にとっちゃ鬱陶しいだけだ。こういう話に首を突っ込まれるが一番嫌なんだよ俺は」

「ふーん、そうなんだ……」

 直樹の言葉を聞くと少女は背中を向けてしまった。そして黙ったきり動こうとしない。

 二人の間にはすっかり沈黙が続き、風が揺らす葦の音がかすかに聞こえるだけになってしまった。

 その沈黙に耐え切れず、直樹が呟いた。

「なんだよ、俺は俺の思ったことをただ言っただけだろ……」

 すると少女はゆっくりと向き直ると直樹の方を見た。袋を被っていて視線などわからないが、袋の奥の目がジッと自分を見つめているように直樹は感じた。

「じゃあさ、楠本君はこれからどうするの?」

「……これから?」

「楠本君は今までずっと、こっそり撮った千夏ちゃんの写真を眺めてるだけだったんでしょ? それだけでいいの?」

「それだけって……」

「私が写真をあげたから、ちょっとだけ写真は良くなったけど、写真をただ眺めてるだけって状況は今までと何も変わってないよね?」

 これまで何度も眺めた千夏の小さな画像が直樹の頭に浮かぶ。携帯を開かなくともすぐ頭に浮かんでくるほどにその写真は直樹の記憶に焼きついていた。直樹にとっての千夏は写真の中の小さな姿そのもので、いつだって遠くから眺めるだけの存在だった。

 少女のもっともな指摘を前に直樹は返す言葉が見つからない。

「楠本君は千夏ちゃんのことが好きなんでしょ? 好きなら千夏ちゃんと話したり、一緒に遊んだり、色々したいって思わない?」

「そりゃ、まあ……思うよ」

「でも楠本君と千夏ちゃんって接点が全然ないよね、同じクラスなのにお喋りしてる姿とか見たことないよ……」

 否定できない事実に直樹は黙り込むしかなかった。

「楠本君、自分だけで千夏ちゃんと話すきっかけとか作れる? 今まで何もできなかったのにこれから何ができるの? 悪いけど私には楠本君が何かできるとは思えない……今度は私があげた写真を眺めて過ごすだけなんじゃないの? それで満足なの?」

 少女の言葉全てが正論だった。黙って聞くことしかできない直樹はただ恨めしそうに少女を見るだけだ。

 そんな直樹に少女が顔を近づける。うつむいた直樹の顔を覗き込もうと少女が頭を傾けるとコンビニの袋からはみ出した髪が揺れる。

「だから……私が応援してあげる、楠本君のこと」

「なんでお前が……」

「これも何かの縁だよ。好きな子の事を相談できる相手がいるのって悪いことじゃないと思わない? 誰にも打ち明けずに一人でモヤモヤするよりずっと良いでしょ?」

「そりゃ、そうかもしれないけど……その相談相手がお前かよ」

 直樹の目の前にはコンビニの袋を頭から被った少女がいる。こんな正体不明の奇妙な相手が恋の相談役だと思うと頭が混乱してくる。その姿を見ると直樹はやはりつぶやかずにいられない。

「お前……誰だよ……」

 すると少女がいたずらっぽく笑った。

「誰って、さっき言わなかった? ……我輩は猫なのである、って」

 そう言うと少女は猫が爪を立てるように両手を広げてみせた。

「ニャー!」

「……だからニャーじゃねえよ」

 呆れる直樹と、小さな沈黙。

 風がコンビニの袋を撫で、カサリと小さな音をさせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る