あまりに早く訪れた、その日。
3‐1
翌日、学校。
いつもの学校、いつもの教室、いつもの休み時間……
クラスの様子は昨日までと何一つ変わっていない。だが直樹の心だけは穏やかでなかった。ずっと隠していた柏木千夏を好きだという思い――それを知っている者がこのクラスのどこかにいるのだ。いつもと変わらない光景であっても、そこにはいつもと違う緊張感があった。
休み時間でざわついた教室を直樹がジッと見回す。
昨日河川敷で出会った少女はコンビニの袋を被っていたが、艶やかで長い黒髪が袋からのぞいていたのはハッキリ覚えている。窓際で談笑する女子、連れ立って廊下へと向かう女子、長い髪の女子を片っ端から気にしてみるが、髪の長さだけで昨日の少女を特定することは難しかった。疑えば疑うほどに女子が皆、昨日見たあの袋女に見えてくる。
直樹は大きくため息をつくと頭を抱えるようにして机に突っ伏した。
(一体何でこんな事になってしまったんだ……)
こうしてる今もあの少女がこっちを見ているかもしれない。そう思うと直樹は顔を上げるのも嫌になり、ますます顔と机がくっ付いた。
するとその時、不意に直樹の背中がポンと叩かれた。
「おう!」
何事かと直樹が顔を上げると机の前にはクラスメイトの高山聖志が立っていた。サッカー部の練習で日焼けした肌とツンと立った短い髪。帰宅部でろくに運動もせず、夏でも白い肌の直樹とは正反対のガッシリした体格の男子生徒だ。
聖志は直樹の前にある机から椅子を引っ張り出すと直樹の方を向いて椅子に腰掛けた。
「なんだよ聖志か、どしたぁ?」
直樹は机に突っ伏してずっと眠ってたとでも言わんばかりにわざと大きなあくびをしてみせた。だが聖志はそんなアピールを気にもしていない。
「なあ楠本、お前今度の土曜ってヒマ?」
「土曜? ……なんで?」
「もしヒマだったらさ、ショッピングセンター行かね? ほら、このまえ隣町にできたろ、馬鹿でっかいのが」
直樹たちの住む街の近くには最近巨大なショッピングモールがオープンしたばかりだ。テレビでも紹介されるほどの大きさで、食品から服、マイナーな輸入雑貨まで何でも揃うと評判の施設だ。直樹たちの高校の近くの道路もそのショッピングモールへ向かう車で渋滞が起こったりもしており、最近なにかと話題に上る施設だ。
「ああ、そういやそんなのができたってニュースで見たな……何か買いたい物でもあんの?」
直樹がそう問いかけると、何故か聖志の表情が落ち着かなくなった。隠れるように姿勢を低くしたかと思うと直樹に顔を近付け、声のトーンを落として話し始めた。
「いや、そうじゃないんだよ。……実はな、岡本と遊びに行く約束したんだよ」
「岡本? ……って、あの岡本?」
直樹が窓際の席をチラリと見る。聖志が言う岡本とはクラスの女子、岡本七帆だ。クリクリとしたまん丸の目と真っ直ぐ切り揃えた前髪が印象的で、いつも誰かと一緒にいる賑やかな少女だ。今も窓際でクラスの女子と集まり、楽しそうに笑う姿が見える。
「バカ、そんな見んなよ!」
ジッと岡本の姿を見る直樹を聖志が慌ててこちらに向き直させた。その顔は少し赤い。
その慌てた様子を見て直樹は思い出した。以前、聖志が岡本のことを好きだという話を誰かから聞いたことがあるのだ。やたら大きな声と自信たっぷりに話す、いかにも運動部と言った雰囲気の聖志がソワソワと落ち着かない様子からして、その話が本当なのだと直樹は確信した。
そんな聖志が好きな子とショッピングモールへ遊びに行く――直樹にはそれが少し羨ましかった。千夏の写真をただ眺めるだけの自分には一緒に遊びに行くなんて考えられない話だ。そんな聖志に対する嫉妬の感情が直樹の表情を無意識に不機嫌なものへと変える。
「……で、岡本と遊びに行く話にどうして俺が出てくるんだよ?」
「いや、それがさ、遊びに行くことにはなったけどいきなり二人っきりは辛いだろ? だから、お互い一人ずつ友達を連れてって複数で遊ぼうってことになったんだわ。まあ平たく言ったらダブルデートってやつだな」
「はぁ? ダブルデート!?」
「バカ! 声でけえよ!」
想像もしなかった言葉を耳にして直樹が素っ頓狂な声を上げると聖志は口をつぐませようと直樹の頬を鷲づかみした。そして気恥ずかしそうに辺りを見回す。誰かに聞かれたんじゃないかと聖志はかなり慌てた様子だったが慌てているのは直樹も一緒だ。
「ダブルデート……ってさ、何で俺なわけ? 横山とかいるだろ?」
聖志には横山という親友がいる。二人とも同じサッカー部でクラスにいる時も常に一緒だ。学校以外でもよく遊んでいるようで、誰からもお互い一番の友人同士と見える。直樹と聖志の仲も特に悪いわけではないが、だからといって頻繁に遊ぶほど親しいわけでもない。仲の良い横山を差し置いて自分が誘われる理由が直樹にはわからなかった。
そんな質問を投げかけると聖志がニヤリと笑って話し始めた。
「いやさ、俺も最初は横山を誘おうと思ったんだよ。でもさ、あいつ格好良いじゃん。ほら、ほどほどの奴を連れてかないと俺が霞んじゃうだろ」
「あのな、お前それどういう意味だよ!」
あまりの言い草に思わず直樹が大きな声を上げると聖志が間髪入れずに切り返す。
「あははは、嘘! 冗談だってば! 横山はさ、彼女いるからこういうの誘えないんだよ」
「え、横山って彼女いるの?」
「ああ、二組の奴と付き合ってる。……結構前からだぞ」
「へえ……」
横山に彼女がいるという話は初耳だった。運動部で顔も良い横山なら特に不思議ではないが、いざそういった話を聞かされると直樹の心がざわつく。横山とい聖志といい、クラスメイトたちは彼女を作ったりデートの約束をしたりと日々の生活を楽しく過ごしている。一方の自分はと言えば遠くから千夏を眺めるだけの毎日。直樹はなんだか自分だけが置いてかれているような気分になってきた。
「だから、彼女持ちの横山は誘えないだろ、それなら楠本が一緒に行かないかなと思って聞いてみたわけ。……どうよ?」
「どうよって言われてもなぁ……」
降って湧いたような話に直樹は戸惑いを感じていた。いきなりデートなどと言われても何の心構えもなく、返事を求められたところで思考が追いつかない。
そして直樹が答えを言いよどんでいると聖志が言葉を付け足す。
「ちなみに向うが呼ぶのは柏木らしいぞ」
「柏木!?」
聖志のその言葉に直樹の声が思わず裏返った。まさか柏木千夏がダブルデートの相手だなんて考えもしなかった。想定外の事態に目を丸くすると、そのまま直樹の表情がこわばった。
「……どした?」
直樹の妙に動揺した様子に気付き、聖志が不思議そうに顔を覗き込む。それに気付いた直樹はとっさに顔をそらすと、机のフックに下げてあったカバンを手に取り、顔を突っ込むほどの勢いでその中を覗き込んだ。携帯を探すフリをしながら自分の感情を悟られないよう必死で冷静を装った。
「あ、いや、土曜って言ったっけ? えーと何か予定あったっけかな……携帯がどこかに……」
覗き込んだカバンの中に手を突っ込むが、その手はただ宙をかく。気を落ち着けようとするが、むしろ直樹の動揺は大きくなるばかりで顔を上げられないほどに顔が引きつっていた。
するとその瞬間、チャイムが鳴った。
チャイムに合わせて生徒たちが一斉に動きだす。廊下で騒いでいた生徒たちも教室へと戻り始め、ざわめきが直樹の脇を次々と通り抜けてゆく。
「まあとりあえず放課後までに答えをくれよ。もしお前が無理なら別な奴に頼むし」
いつまでもカバンを漁る直樹に痺れを切らせたのか、聖志は直樹の肩を軽く小突くと自分の席へと戻っていった。
直樹はカバンを漁る手を止めると、そのままカバンに頭を突っ込んで動かなくなった。
「どうしよう……とんでもない事になっちまった……」
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