ダブル? トリプル? 全部乗せ。
4‐1
ついに週末が来てしまった。
降って湧いたダブルデートの話から数日、気付けば何の準備も無いまま当日を迎えていた。
いまだ現実感が湧かず、直樹は待ち合わせ場所となっている駅のホームで線路のレールをジッと見つめていた。直樹の隣に立つ聖志も同様で、ホームの点字ブロックをジッと見つめたまま硬直している。
「やばい、すげえ緊張してきた……ど、どうしよう楠本……」
「そ、そんなこと俺に聞くなよ……俺はただの付き添いだぞ……」
点字ブロックを見つめたままの聖志がつぶやくと、直樹はレールを見つめたまま答えた。
聖志のことは知らないが直樹はデートの経験がまるで無かった。学校外で女子と一緒だった経験など修学旅行の班行動で観光をした時くらいのことしかない。初めてのデートを前に直樹の不安はつのる一方だった。
「あー、試合前より緊張するわ……どうすんだよ楠本……」
「だ、だから俺に聞くなよ……」
二人の会話がループする。待ち合わせ場所に早く着きすぎた二人はずっとこんな調子で緊張を続けていた。
直樹の泳いだ視線の先に今日のデート場所であるショッピングモールが飛び込んできた。駅からも見えるモールは野球場が何個も入るほど大きな建物で、すぐ脇の道路を走る車がひっきりなしに駐車場へと吸い込まれてゆく。モールへは駅のホームからも直接入れるようになっており、電車が到着する度に専用の改札口へ向かって人の列が続く。
少しでも気を紛らわそうと、直樹はホームの隅に置かれたモールの案内マップを手に取ると、それをパラパラとめくってみた。マップには服屋から雑貨屋、レストランまで何百という数の店が載っているが、緊張した直樹の頭には何一つ入ってこない。
「まもなく一番線に電車がまいります。危ないですから黄色い線の内側までお下がりください」
列車到着のアナウンスがホームに響く。
「なあ、そろそろ来るんじゃないか?」
列車到着のアナウンスを聞き、聖志の様子がせわしなくなる。
待ち合わせの時間はもうまもなくだ。次の電車に岡本七帆と柏木千夏が乗っているかもしれない。線路がキシキシと鳴り、ホームへ電車が近付いてくる。『その瞬間』はもう間もなくだった。
「やばい、もう電車くる……あれに乗ってんじゃねえの……」
「と、とにかくさ、こういう時は自然にしてりゃいいんだよ。緊張したらしたでいいし、とにかく無理して何かしようとしないで自然な自分を出しときゃ大丈夫だから」
「……し、自然に、だな」
「ああ、向こうだって緊張してんだから変に無理する必要ないさ」
この前、あの猫少女に言われたことを直樹はまるで自分の言葉のように聖志に言ってみせた。そして自分にもしっかりと言い聞かせる。
「自然に、自然でいいんだ……」
するとすぐに辺りがやかましくなる。ホームへと電車が滑り込み、中から大量の乗客があふれ出す。
「よし! もう成るように成れだ!」
気持ちを切り替えるように聖志が両手で自分の顔を叩いた。サッカー部の聖志は試合直前にいつもこの仕草をしてから試合に臨む。一方の直樹はそんな聖志の隣でジッと息を呑み、電車から降りてくる人々に目をやる。
電車から降りた人々は大半がモールへと向かうようで、全ての人が同じ方向へと流れてゆく。その中に岡本と柏木がいないか探す。すると人の波の中で直樹たちに向かって手をふる少女の姿が見えた。
「おーい!」
手を振っていたのは岡本七帆だ。水玉のTシャツにショートパンツを履き、その上から赤いチェックのミニスカートを重ねている。学校ではいつも下ろしている長めの髪はアップにしてあり、学校で見る時以上にアクティブに見えた。
そして七帆の隣には千夏の姿もあった。空色のワンピースに白いサンダルを履いた涼しげな格好で、直樹たちを見つけると七帆と同じように手を振ってみせた。
「おまたせ! 待たせちゃった?」
「いや、俺たちもちょっと前に来たところ。……な、楠本」
「え、ああ、全然待ってないよ、うん」
さっきまで緊張で顔をこわばらせていたわりに、七帆を前にした聖志はずいぶんと落ち着いているように見えた。電車が到着するまでのそわそわとした落ち着かない様子はもはや微塵も無い。サッカー部でレギュラーを取っているだけに、聖志のいざという時の度胸に直樹はぼんやりと感心していた。
一方の直樹はむしろ緊張は高まる一方で、やってきた二人の顔をろくに見ることができない。緊張した表情のままチラリと視線を向けると、岡本と目が合う。
「楠本君、今日はありがとね、わざわざ来てもらっちゃって」
「あ、いや、全然大丈夫。どうせ暇だったし、気にしないで」
言葉がつっかえつっかえになってるのが自分でもわかり、頭をかく振りをして真っ赤になりそうな顔をとっさに隠した。
「千夏も、今日はありがとう」
「別に気にしないでよ。私たちはついでみたいなもんなんだから。ね、楠本君」
「え……ああ、そうだね」
七帆の隣に立つ千夏が直樹を見る。ショートカットの髪を跳ねるように整えてあり、整髪料のせいなのか、黒い髪が濡れたように輝く。
今日の主役はあくまでも聖志と岡本七帆だ。しかし直樹にとってはずっと好きだった千夏と初めて身近に接する機会であり、ついでで済ませられる出来事ではない。不意に千夏と目が合うだけで鼓動が早くなり、言葉が詰まりそうになる。
思わず千夏を見つめたまま固まってしまいそうになり、直樹は慌てて声をあげた。
「そうだ、モールの案内マップがそこにあったんだけど、行きたい所とかある?」
二人を待つ間に取っておいた案内マップを直樹が七帆に手渡した。
「ありがと……んとね、千夏と話してたんだけど、行きたいお店があるんだ。えーと、どこに載ってるかな」
地図を覗き込む七帆と千夏。直樹たち四人の脇を他の乗客が次々と通り抜けてゆく。その人の数はまだまだ途切れる様子はない。
「とりあえずここで突っ立ってるのもなんだし、歩きながら探そうぜ」
聖志の言葉に四人がモールへ向けて歩き出す。
改札周辺は直樹たちと同じようにモールへと向かう集団でごった返し、混雑している。その人ごみに巻き込まれ、聖志と七帆が並んで歩く後ろを直樹と千夏が付いていくという格好になった。
隣を歩く千夏のワンピースから白い肩がのぞく。肩から首筋、耳、横顔へと直樹の視線が動く。こんなに間近で千夏を見たことがない直樹は千夏の姿を無意識に追いかけていた。手が届くほどの距離で見た千夏は思ったよりもずっと小さく、華奢に見えた。
「そういえば楠本君とはあんまり話したことないよね」
千夏の大きな瞳が直樹をジッと見つめている。目が合った瞬間、思わず息が止まりそうになるが、息を飲み込んでなんとか直樹が言葉を吐き出す。
「あー、そういえばちゃんと話すのって初めてかも」
やっと言葉が出るが、次の言葉が見つからない。何か言わなきゃと考えれば考えるほどに思考がまとまらなくなる。水で溺れた時のように、途切れ途切れに息を吸い込むのがやっとだった。
そんな直樹を千夏がますます見つめた。自分の緊張ぶりを見透かされているようで不安がつのる。しかし千夏の言葉は意外なものだった。
「……私の名前、知ってるよね?」
あまりに突拍子もない問いに直樹は思わずむせそうになった。
「し、知ってるに決まってるじゃん! 柏木のこと知らないわけないだろ!」
「よかった。名前とか覚えられてなかったらどうしようかと思っちゃった」
冗談とも本気ともつかない表情で千夏が笑ってみせる。
知らないも何もいつだって直樹の視線の先には千夏の姿があった。しかし、ただ見つめるだけの直樹の思いが千夏に伝わるはずもない。千夏の質問はむしろ直樹自身に当てはまる気がした。ろくに話したこともない自分を千夏が知っている保証などない。思わず同じ質問が直樹の口を突いて出る。
「……っていうか、柏木こそ俺のこと知ってるの?」
「もちろん知ってるよ」
そう言うと、直樹をジッと見つめる千夏がニヤリと笑った。
「……授業中、よく寝てるよね」
「え、俺そんなとこ見られてんの?」
「同じクラスだもん、そりゃ見てますよ、見てますとも」
「うわ、最悪だ……なんでそんなとこ……」
自分のことを見られているだなんて全く思っていなかった直樹は狼狽するが、千夏は満足げだ。大きな瞳でうろたえる直樹の顔を何度も覗き込む。
「でもね、どんな人かまではよくわかんないから今日はちょっと楽しみだったんだ」
「そう……なの?」
今日のことが楽しみだと言った千夏の言葉が直樹に突き刺さった。しかし千夏は直樹の問いに答えることはせず、ただ屈託のない表情で笑うだけだ。
「よろしくね!」
「あ、うん……よろしく」
千夏の白い歯が眩しい。千夏が今日のダブルデートにどんな思いでやって来たのか本当のところはわからない。しかし少なくとも悪い印象を持たれていないのは確かだ。今の直樹にはそれだけで満足だった。
「まあ、私たちは七帆たちのお供なんだし、気楽に行こ!」
そう言うと千夏は前を歩く七帆に背後から飛びついた。
「ななほーッ! お店見つかった?」
七帆とじゃれる千夏を眺めながら、直樹は人間が死ぬまでに打つ鼓動の回数が決まっているという話を思い出していた。もしその話が本当なら、自分の寿命は今日でずいぶん縮むんだろうなと直樹はぼんやり思った。
千夏と目が合う度に鼓動が高まり、苦しくなる。いっそ今この瞬間に全ての鼓動を使い切って死んでしまったら幸せかもしれないと、千夏の背中を見ながら思っていた。
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