第一章・第二節【噂】

 放課後。


「…―――君……―イ―君……か~い~と~君っ!」

「…ぁ?」

 

 優しく揺り動かされながら目を覚ますと、目の前には微笑みを浮かべた女神、もとい、玲奈が立っていた。


 昼休みからの記憶がない事から、どうやら午後の授業を寝て消化してしまったみたいだ。


「熟睡してたみたいだったけど、昨日はちゃんと寝たの?」

「あ~。昨日は借りた漫画読んでたら夜中になってたからなぁ」

「もう、朝は早くからトレーニングしてるんだから、夜はちゃんと寝ないと駄目だよ」

「…へいへい」


 玲奈のお姉さんモードは口答えすると延々終わらないからな。

 俺はそんな馬鹿な真似はしないのさ!何年の付き合いだと思っている!!

 尚も続く玲奈のお小言を、欠伸を噛み殺しながら聞き流していると、後ろから声が掛かった。


「あれ?起きたんスカ?」


 顔を向けると小柄な男子がこちらを覗き込んでいた。

 

「…んんっ。お前から借りた漫画が面白くてな。夜更かししちゃったんだよ」

「あ!早速読んでくれたんスネ!で?どうだったスカ?」

「いやぁ、流石お前が勧めるだけはあったな。新刊っていつ出るんだ?」

「もう、知らない!」


 男子の名前は園部健太そのべけんた

 中学生の時からからの付き合いになる小動物系男子だ。

 歴史上の人物で例えるなら、豊臣秀吉か。猿っぽいもんな。


 健太は自他ともに認めるオタクである。

 中学の時は隠れて嗜んでいたのだが、その趣味が知られると、学校の香ばしい連中に目を付けられ虐めに遭っていたのだ。


 その事実に気付いた俺は、玲奈の時のように彼を助ける為に行動を起こした。

 具体的に言うと、言葉によるお願いから始まり、肉体へのお願いに移り、精神へのお願いで終了した。

 誠心誠意のお願いを終えた後は、改心した連中に土下座をさせ、以降同じ事は二度としないことを誓わせた。


 それからというもの、健太は忠犬のように俺に懐くようになり、様々なオタク知識と文化を俺に教え洗のu…布教するようになった。

 その甲斐あって、今の俺は相当な量のオタクネタを理解できるようになっていた。


 玲奈のことは初めの頃は萎縮していたが、彼女の人当たりの良さと分け隔てない性格からすぐに打ち解けていた。


 普通なら美少女の上、性格の良い玲奈に惚れてもおかしくないのだろうが、何を勘違いしたのか、玲奈が俺の恋人だと思ったらしく、俺に対して更なる尊敬の眼差しを送ってきただけで玲奈に対しては恋愛感情を抱かなかったらしい。


「そういや、今日生徒会か?」

「そうだよ。だから今日は一緒に帰れないね」


 少し寂しそうな微笑みを浮かべる玲奈。

 そんな笑顔を見せられたら、俺のやることは決まっている。


「帰り遅くなるんだろ?だったら生徒会活動終わったら家まで送ってやるから、連絡してくれれば迎えに来るよ?」

「でも、結構遅くなるよ?今日は道場に顔を出すんじゃ…」

「そんなこと気にしなくていいんだよ。なんだったら紗雪も連れて行くぞ」

「…じゃあ、お言葉に甘えようかな?」

「おう、甘えとけ甘えとけ」

「うん。あ、でもユキちゃんを勝手に巻き込んじゃダメだよ?」


 自然に二人の間に甘ったるい空気が生まれる。

 周りももう慣れたもので、「あぁ、またか」という空気も同時に広がる。

 中には未だに櫂斗に向けて嫉妬と羨望の眼差しを向けてくる奴らも居るが、櫂斗は当然のようにスルーする。


「毎度ながらこの場違い感が…。俺も生徒会なんで、もう先に行っててイイッスか?イイッスよね?」

「あ~、…なんか悪い」


 疎外感に耐え切れなくなった健太が、遠い目をしながら愚痴る。

 ちなみに、健太は数学の成績が飛び抜けて高く、玲奈同様今期の生徒会に一年ながら会計として所属している。

 そんな健太に謝りながら帰り支度を始める。

 


 その時。



「やあ、水瀬さん。もう会議が始まるよ?一緒に生徒会室に行こう」

「あ、皇君」


 おっと、我が校の生徒会長様のおでましだ。

 皇英雄すめらぎひでお。 全国模試で常にトップを独走しており、スポーツでも様々な記録を残している、文武両道の、非の打ち所がない美男子だ。


 昔、玲奈が街で不良に絡まれている子供を助けている所を目撃し、その強さと移す草に一目惚れしたらしく、持ち前の行動力を駆使して名前や学校、進学予定の高校も突き止めて同じ高校へ進学したらしい。(どこからどうみてもストーカ○です。


 同じ学校に進学してからは、まず入学した翌週に生徒会長の座を譲り受け(奪い取り)、スカウトという名目で玲奈を副会長に迎え、更に役員も能力重視で一新させた。

 その為、うちの学校の生徒会は一年が数人在籍している。


「じゃあ櫂斗君、いってくるね」

「おう、いってこい」


 そう言って玲奈は微笑みながら手を振ってくる。

 その様子を、皇が目を細めて見ていた。

 どうやら玲奈の傍に居る俺が気に喰わないらしいが、そんな視線をスルーして玲奈に手を振り返すと、俺は鞄を手に取って帰路に着いた。



§∞§∞§



 道中、朝に別れた交差点で待っていた紗雪と合流し、道場へ向かう。

 帰りながら今日学校であったことを楽しそうに話す沙雪と、その様子を微笑ましそうに見つめる櫂斗の姿は、兄妹の域を超えて見えるが、当人達は全く気にしていない。


 すると、沙雪はふと思い出したように学校で噂になっている話を話題に出した。


「そういえば、兄さん知ってますか?」

「何だ?」

「はい、今日友達から聞いたんですけど…」


 紗雪は一度言葉を切り、少し眉を顰めながら言葉を続けた。


「…“神隠し”の噂のこと」

「“神隠し”?」


 紗雪から教わった話は如何にもなオカルト話だった。


 ある日突然、前触れもなく人が消え、今尚行方不明者の全ては発見されていない。

 ただし、発見された者は必ず死体で見つかるといったよく聞くような都市伝説だった。


「“神隠し”…ねぇ」

「はい。学校中その話題で持ち切りでした」

「そういや、うちの学校でもなんか噂になってたっけ。興味なかったから聞き流してたけど」

「兄さんは強いですからね。神隠しでも退けてしまいそうですね」

「信頼が重い…。まぁ、お前達のことを守れるくらいには鍛えてるし、これからも鍛え続けるけどな」


 「心強いです」と嬉しそうに目を細める紗雪から目を離し、生徒会活動に勤しんでいる玲奈の事を考える。


 やっぱり連絡が来る前に迎えに行った方がいいかな……?


 そうこうしている内に俺達は自宅兼道場に到着した。


 道場の入り口で靴を脱いでいると、道場の方から激しい音と共に門下生達のどよめきが聞こえる。

 何事かと思い小走りで廊下を歩き、道場の戸を開いた。


 そこでは門下生の前で、父さんと師範代の爺ちゃんが模擬戦を行っていた。

 一目で解るほど、全力の“死合い”を。


「…そういや爺ちゃん今日帰ってくるって言ってたっけ」

「父様も今日帰ってくるって言ってました。母様が喜んでましたよ?」


 そんなことをボヤキながら、目の前で起こっている死合いをぼんやりとみつめる。


 模擬戦というには余りにも次元が違う。

 互いに全力で相手を仕留めようと動いている。

 その証拠に、二人が着ている道着はボロボロに破れており、最初から模擬戦を見ていた門下生たちの目は点になっていた。


 その死合いをしていた二人は櫂斗達に気付くと、唐突に模擬戦を止めた。


 弛緩した空気を感じ取り、解放された門下生達が崩れ落ちた。


「櫂斗、紗雪、お帰り」

「…おぉ、戻ったか二人とも」

「ただいま戻りました、父様、お爺ちゃん」

「父さん、爺ちゃん、ただいま。…戻ってきたばっかなのによくやるなぁ」


 先程まで殺し合いに迫る程の模擬戦を行っていたにも関わらず、今の二人には殺気を微塵も感じられない。

 その辺りの切り替えは流石としかいいようがない。


 ちなみに、父さんは本業のスパイ活動の為に海外へ出張していた。

 …が、爺ちゃんは武者修行と称して父さんの仕事に便乗して世界各地を回っていたのだ。


 本来父さんは、職業柄同行者など付けないが、爺ちゃんはこっそりと付いて行ったらしい。その行動力と隠密性といったら、流石の母さんも青筋を浮かべるほどだった。


 その後、爺ちゃんは土産話を門下生に聞かせ始め、俺は紗雪と共に自分達の鍛錬を始めた。

 途中、父さんと爺ちゃんが俺の稽古に乱入してきた為、再び門下生達が悟りを開いてしまったりしたが、そこに戻ってきた母さんと沙雪の笑顔によって中断されたりもした。

 まぁ俺は久々に二人との手合わせをしたお陰で満足しているんだけど。



§∞§∞§



 鍛錬を終えた時には、外は日が沈み始めていた。


 汗を流し終えて携帯を確認してみたが、玲奈からの連絡はまだ無かった。


 だが俺は、ふと帰り道で沙雪から聞いた噂話を思い出した。


(……“神隠し”ねぇ)


 俺は一度息を吐くと出掛ける支度をする為動き出していた。

 ただ迎えに行く為だから、紗雪には声を掛けていない。


 部屋で準備を終えた俺は愛刀の〈颯天はやて〉が入った白鞘袋と金庫に入れて保管していた護身用の装備を手に取り家を出た。


 門に手を掛けた所で、ふと背後の家を、道場を見る。


 そこに居る家族や門下生達の顔が頭を過る。


 そして俺は一度頭を振り、門を開くと夕暮れの街へと走り出した。

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