第一章・第一節【日常】
―――【神隠し】。
それは今、巷を騒がしている失踪事件。
ある日突然、何の前触れもなく若者が姿を消してしまう。
失踪した人に共通点は無かく、唯一共通していたのは、失踪する理由が全く見当たらなかったことだけだった。
そんな事件が多発しており、警察も頭を悩ませていた。
失踪した者のうちすぐに見つかる者もいれば、数ヵ月経っても見つからない者もいる。
だが、見つかった失踪者は例外なく、無残な死体で発見されていた。
故に一度神隠しに遭った人の親族、友人は、失踪の事実を知ると共に絶望し諦観してしまう。
彼らが一体何処に行き、どんな目に遭い、どのような最後を迎えるのか。
それを知る者は、誰もいない。
神隠しに、遭った者達以外には―――。
§∞§∞§
早朝の道場。
そこで竹刀を振るい向かい合う二人と、壁際に並んで試合を見守る門下生達。
二人の試合は、まるで演舞のように流麗で、しかし振られる竹刀は相手の急所を的確に狙われていた。
「そこまで!!」
審判の静止が掛かり、乱れた息をそのままに、二人は動きを止めていた。
少女の竹刀は、横合いから対戦相手の少年の胴を捉える寸前で停止していた。
一見すれば少女の一撃によって試合が止められたように見えたが、しかし少年のカウンターの一振りが、壁際の門下生の死角から少女の首に添える形で止められていた。
竹刀を引き、互いに礼をして面を取る。
黒髪の少年は、集中によって細められ、鋭くなった目つきのまま深く息を吸っている。
一見してクールに見える雰囲気だが、目の前の少女に向ける視線は穏やかで柔らかいものだった。
俺、
いつの頃からか、俺の真似をするように早朝鍛錬に参加し始めた目の前の少女と、今日は門下生の前で模擬戦を執り行っていたのだ。
「やっぱり兄さんには勝てませんでした…」
少し落ち込んだように溜息を零す少女。
セミロングまで伸びた髪を後ろで一纏めにしており、大きなアーモンド形の目は少し悔しそうにこちらを見ていた。
可愛らしい中にも美しさを兼ね備えている彼女だが、これでまだ中学三年生だというのだから将来が楽しみである。
彼女は
彼女が鍛錬を始めたのは中学に進学する少し前からだが、僅か三年で他の門下生では歯も立たない程に実力を付け、今では俺や母さんに直接指南を受けている。
「俺は物心付いた頃から鍛錬してるんだから、実力差があって当然だろ?それに、妹を守るのは兄貴の役目だからな。そう簡単に超えられる訳にはいかないだろ」
「それはわかってます。でも、もっと強くなって兄さんの役に立ちたいんです」
「…そんなこと、お前が気にすることないんだよ」
自分の不甲斐なさにしょんぼりする紗雪の頭をぽんぽん撫でながら、肩を竦めつつ困ったような、それでいて優しげな微笑みを浮かぶ。
周りの門下生は、そんな兄妹の様子を微笑ましそうに見ていた。
「今の模擬戦を見た上で、それぞれ鍛錬に戻りなさい。師範は本日の昼前までには戻られますので、それまでに朝の鍛錬を終えるように。解散!」
緩み始めた空気に、母さん、師範代が活を入れる。
「あなた達は学校の支度をしなさい。ごはんはもうできているから、しっかり食べるんですよ?」
「「はい」」
俺達は道具を片付けると、道場に備え付けられているシャワーで汗を流し、道場から母屋へと続く渡り廊下を歩く。
「今日の献立は何でしょうか?楽しみですね」
「じゃあ、早く支度しないとな。俺は先に行ってるぞ」
「あ!待ってください兄さん!」
後ろから駆け寄ってくる紗雪。彼女の豊かな表情を見ていると、自然とこちらの頬も緩んでしまう。
§∞§∞§
我が家は代々道場を営んでおり、《
今は爺ちゃんが師範、母さんが師範代を務めている。
しかし、それは我が家の表の面であり、裏の家業として重鎮の護衛や犯罪者の粛清なども生業にしていた。
そして父さん、
そんな父さんはいつも世界を飛び回っており、母さんの
しかし母さんは、己の全力を以ってしても捕まえることができなかった父さんに惚れてしまい、その後、父さんへ粛清を依頼をした組織を協力して壊滅させることで二人は想いを通わせ結婚したらしい。
俺は今でも母さんからその話を脚色たっぷりで聞かされ続けている。
それはもう、帰省する度にお爺ちゃんが戦時中の話を延々と繰り返してくるくらい聞かせてくるレベルで…。
耳タコになってしまった惚気話だったが、沙雪はいつ聞いても目を輝かせている。
そんな両親を持つ俺は幼い頃から両親に憧れを持ち、自ら進んで剣術の鍛錬を始めた。
母親からは道場で《鳴神流》を、そして父親からも様々な知識や技術を教わり、子供ながらに相当な実力と精神を身に着けていた。
『見た目は子供、頭脳は大人並』ってヤツだ。
周りの同年代の子供達は妙に幼く見えていたが、かといって自分が子供であることも理解していた。
その為周りからは浮く存在だった。
鍛錬で培ったスキルによって虐められることもなく、しかし周囲に対しての興味が薄い為に孤立していた。
そんなある日、父さんが仕事から戻ると、幼い紗雪を連れて帰ってきた。
ある事情で孤児とった彼女を引き取ることになった、とのことだった。
今でこそ豊かな感情を素直に表現しているが、家に来た当初は心を閉ざし、可愛らしい顔からは表情が抜け落ち、その整った顔立ちも相まって人形と見紛う程だった。
だがある一件以来、沙雪はその固く閉ざされていた心を開き、俺のことを「兄」と呼び慕ってくれるようになった。
今でも沙雪が「おにいちゃん」と顔を真っ赤にして言ってくれた時のことは鮮明に思い出せるというものだ。
「兄さん?どうしました?」
朝食を食べながら思い出に浸っていた所へ紗雪が声をかけてくる。
「あ~。ちょっと昔のこと思い出してな」
「昔?…って、私がこの家に来た時のこと?」
「あぁ。さっきの試合でも思ったけど、随分逞しくなったなぁ、と」
「…兄さん。それ、褒めてますか?」
なぜかジト目でこちらを見てくる紗雪。
おかしいな、お世辞抜きに褒めたつもりだったが、どうやらお気に召さなかったようだ。
年頃の女の子は難しい…。
いつか「兄さんの洗濯物と一緒に洗わないで下さい」とか「兄さんの後のお風呂なんて入れません。私の後に入るのもやめてください」とか言われる日が来るんだろうか。
そんなことになったらもう生きていける自信がなくなってしまう…。
そうこうしているうちに、同時に朝食を食べ終える。
するとそこへ―――。
―――ピンポーン
呼び鈴の音が家に響き渡る。
「っと、もうそんな時間か!」
「え!?ちょ、ちょっと待っててください!すぐ支度してきますから!!」
呼び鈴の音を聞き慌ただしくなる兄妹。
既に準備を終えている俺とは違い、まだ準備を終えていない紗雪は焦って部屋へ戻ろうとしていた。
「ゆっくり行ってるから、追いかけてこいよ~」
「鬼ぃ~!」
非難する声が二階に消えていくのを聞き流しつつ、俺は鞄を持って玄関へ向かう。
そして戸を開けると、呼び鈴を鳴らした人物へ挨拶した。
「おはよう、玲奈」
「あ、おはよう櫂斗君!」
彼女は
ロシア人の母親と日本人の父親を持つハーフで、腰まで届く長く美しい銀髪に澄み切った碧眼を持っている。
顔を構成する目口鼻は黄金比率といっても良い程に整っており、その微笑みは万人を魅了してしまう力を宿している。
「あれ?ユキちゃんは?」
「支度終わってなかったらしい。先に行くって伝えといたから大丈夫だ」
「いいのかな?待っててあげなくて」
「自業自得だ。心を鬼にして行くぞ」
玲奈は歩き始めた俺を見て一度家を見やるが、小走りに隣に並んだ。
そして門を出ようとした所で母さんが声をかけてきた。
「あら、おはよう玲奈ちゃん」
「おはようございます、美雪さん」
「…相変わらず頑張ってるみたいね~」
母さんが俺と玲奈を見ながらそう言った。
「…?玲奈って朝弱かったっけ?」
「…まぁ、めげずに頑張りなさい。陰ながら見守っているから」
「…ありがとうございます」
何故か母さんが玲奈に労りと憐憫の視線を向け、それを苦々しく受け取っている玲奈。
「何言ってるんだか。それじゃあいってきます」
「あ…い、いってきます、美雪さん」
「ええ、いってらっしゃい。」
通じ合っている二人を尻目に俺は歩き出す。
それを慌てながら櫂斗の後を追う玲奈の姿を見ながら、美雪は目を細めた。
その目が慈愛に満ちている事に櫂斗は気付いていなかった。
§∞§∞§
学校への道を歩きながら、俺は隣を歩く幼馴染の顔を横目に見る。
玲奈は小学三年の時に近所に引っ越してきた。
幼い頃から日本人離れした美貌によって周囲から浮き、男子からは見た目の違いを
当時、クラスのことに無関心だった俺は虐めには全く加担はしていなかったが、だからといって彼女を救おうともしていなかった。
しかし、ある一件を機に自分を見つめ直した俺は、玲奈を虐めから救うことを決意し、持てる知識と力を全て使うことで虐め問題を解決した。
それ以降、玲奈は俺に懐くようになり、朝一緒に登校するのもその頃から始まったものだった。
その上、うちの道場に通い、自分を変えようと努力もした。
それからは、聖母のように優しく、美しい容姿を鼻にかけることのない謙虚性格から誰からも慕われるようになった。
「私の顔に何かついてる?」
ずっと見ていたことで視線に気付いた玲奈が、少し頬を赤らめながら聞いてくる。
「いや…あー、生徒会はどうだ?」
「生徒会?ん~、まだ慣れてないから大変だけど、楽しいよ」
誤魔化すように会話を続ける。
玲奈は高校に入り、すぐに生徒会副会長の一人になっていた。
普通の学校なら後期に行われる選挙で選ばれることで役員になることができるのだろうが、うちの学校、学年は少し異例だった。
何故なら生徒会長を始めとして、複数の役職が一年生で構成されているからだ。
そんなことを考えていると、後ろから慌ただしい足音が聞こえた。
「本当に先に行くなんて、酷いです兄さん…。あ、レイちゃん、おはようです」
「おはようユキちゃん」
「自業自得だ。これに懲りたら、これからはちゃんと準備しとけよ?」
若干頬を膨らませながら非難してくる妹を一言で切って捨てる。
俺は厳しい兄なのだ。
沙雪の為にも、時には心を鬼にする必要だってある。
例え沙雪に疎まれ、嫌われようと、いつか沙雪の為になると信じているからこそ厳しく接するのだけどそれだけでは駄目だだからこそ今度甘い物でも奢ってあげようかな飴と鞭のバランスが大切なんだそうなんだ。
それでもご機嫌斜めな紗雪は玲奈の後ろに隠れるように距離を取る。
壁にされた玲奈は困ったような笑顔を浮かべながら紗雪を宥めていた。
「機嫌直してくれよ」
そう言いながら紗雪の頭を撫でる。
暫く撫でていると機嫌も直り始め、気持ち良さそうに目を細めていた。
そしてそれを少し羨ましそうに見つめる玲奈…。
「…ったく」
苦笑いを浮かべながら、軽く頭を差し出している玲奈の頭も撫でる。
美少女二人の頭を撫でる構図は、通り過ぎる学生達はそんな様子を見て男は嫉妬の視線を、女は好奇の視線を送ってくる。
「…ほら、そろそろ行かないと遅刻するだろ!」
「…ん、はい。レイちゃんも」
「うん!」
緩けてる二人に声を掛け、歩みを再開させる。
学校への道中は他愛のない話をし、中学校へ向かう紗雪と途中の交差点で別れ、玲奈と二人で学校へ向かい、友人達と合流し玲奈とのやりとりを弄られる。
これが幼い頃、自分を変えてから手に入れた日常。
かけがえのない大切な日常。
そんなありふれた日常が続くよう俺は願っていた。
そんな日常がこの先も当然のように続くのだと、俺は何の疑いもなく信じていた。
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