――3――

「え、ちょっと、星野くん、写真ないの!? 星野くん!」

 大学の食堂で、寧々が立ち上がらんばかりに興奮して叫んでいた。うるさい! と叫んだら玲衣に「紗耶香ちゃんの方がうるさいよ」と冷静かつ的確な突っ込みを受ける。三人とも三限がない日の昼食後、そのまま食堂で喋っていた時にこの間の顛末を話していた。

「そういう話はもっと早く言ってよー。四限まであと三十分しかないじゃん。ちょっとコンビニでお菓子買ってくるから写メ探しといてね」

 勝手なことを言ってコンビニへ駆け出す寧々をぽかんと見つめた。玲衣がものすごくおかしそうに笑っている。最近元気な寧々は、たぶん元々恋愛話が好きなのだ。少女漫画の話もよくしているし。相変わらず例の暗い同僚とはつかず離れずの関係らしく、突っ込んでものらりくらりとしているが、人の話となると生き生きし始める。

「あと三十分ももつ話題じゃないんですけど」

「あら、お返事考える必要ないの?」

 突然の告白を受けた後、私は「保留」の返答をした。当然NOではないのだが、とてもじゃないけどÝESと言える状態でもなかった。意外とやつはその返事すら喜んで受け取り、それ以上追及してこなかった。

「ない。少なくとも今はない」

「YES/NOっていうより、YESを決心する論理作りだろうから早い方がいいんじゃないかな、なんて思ったけど」

「あたしが寧々に言うようなことを……」

 YESを決心する論理作り。確かに、YESと言ってしまいたい。言えたら楽だ。彼氏としては文句の付け所がない人なのだろう。じゃあ、言えなかったのはどうしてなのか。

「中学生みたいなことを言うんだけど」

「うん?」

「好きってなんなの? って思っちゃったんだよね」

 両肘をついてその上に顔を載せていた玲衣は、少し頭を傾ける。ピアスをしていない方の耳がちらりと見えた。

「それはね、わたし、専門家です」

「だよね。好きってさ、なんなの。たぶん、星野くんを本当に好きな自信が持ててないんだと思う。星野くん側のも、実は冗談なのではってまだ疑ってるけど」

「自信かあ」

 ちょうど玲衣のことがあったり、都さんのことを話していた時だったせいかもしれないけれど。彼女たちの「好きに勝てる自信がなかった」。そうだ。星野くん自身が言っていたことだった。彼は、自分の好きの気持ちには自信があると言っていた。だけど出会ってから星野くんが自信なさげだったことなんてあっただろうか。何もかもを確からしく話す人だけれど、そこに本当に中身が伴っているのかどうかなんて、私に見極められるだろうか。

「じゃあ、本当の好きじゃなくてもいいから、紗耶香ちゃんの思う星野くんの良いところって何?」

「……顔。背が高い。体型もわりとタイプ」

「うん、そういうのも大事は大事ね」

「話してて楽しいと思える、かな。でもなんか、楽しいから好きなのか好きだから楽しいのか、わかんないかも」

 寧々が戻って来て、玲衣が「今、紗耶香ちゃんに尋問中」と告げる。なんて説明だ。

「やばい。これ以上、なんて言ったらいいのかわかんない。きちんと説明できるほどわたし、星野くんのこと知らない気がする」

「紗耶香って変なところ真面目だね。わたしに「好きだって認めちゃえ」って迫るぐらいだから、紗耶香の好きは即承認なのかと思ってたよ」

 寧々は買ってきた袋入りチョコレートの袋をパーティー開きにした。ひとつもらって口に運ぶと、思いのほか強いカカオの香りが広がる。

「じゃあ、飲んだ日に、星野くんにときめいた瞬間はあった?」

 玲衣に問われ、一軒目の焼き鳥屋を思い出した。結局三軒はしごした後で、一時間だけカラオケに行くと、案外あっさり始発の時間になったので、そこで解散した。もちろん危うい接触なんかはなし。健全なオールだった。思えば序盤にあんなことを言われておきながらよく一晩過ごしたものだ。一体何を話していたんだったっけ。

「……一軒目の最初の注文で、特に相談してもないのに、冷やしトマトを頼んでた。星野くんが」

「冷やしトマト?」

「普通の、冷やしたトマト。だけどその後の注文は全部相談してたから、なんであれだけ、って思ったんだよね。考えたら、たぶん、前にわたしも星野くんも一番好きな野菜はトマトだって話をしたことがあって。そのせいかなって」

「それ、ときめいたの?」

「うん。嬉しかった。何の気なしにバイト中に話したことをたぶん覚えてくれてたことと、なんていうか、無駄に気を遣わない感じ? トマト頼んでいいですかって、トマト好きな人に聞く必要ないし」

「ふうん。よくわからん」

「それたぶんね、好きでもなんでもない人にやられてもときめかないと思うよ」

「それは……そうかも。じゃあ好きなの? っていうかなんかその帰結はずるくない?」

 ずるくない? ってどういうことだ。誰が誰に対してずるいんだ。自分で言って、自分で突っ込みを入れざるを得なかった。それぞれ手元でチョコレートの袋を弄っているところを見ると、たぶん二人も同じようなことを思っただろうが、口には出す人はいなかった。

「でもさその確証って必要なの? よくわかんない。いっちゃえいっちゃえって感じなのかと思ってたよ」

「そりゃ……付き合ってみて、やっぱり好きじゃありませんでした、とかって悲しいじゃん。予備校の人のことだって、一年ぐらい好きだったはずなのに、もう今何とも思ってないんだよ。何だったんだろうって思ってるわけよ」

 やるせなさに全身が満ちていた、あの日の帰り道を思い出す。彼女ができたと告げられたあの日。口からすんなりとおめでというという言葉が出てきたことに、自分で驚いたんだった。飲みに行こうという誘いが来た時の嬉しさ。何を着ていこうかとクローゼットを開けては悩んだ時間。新しいアイシャドウを買って、だけど結局当日には使い慣れたブラウンパレットを選んでしまった臆病な心。

 それらは確かにその時の私自身そのものだったはずなのに、少し離れて頭に浮かべてみただけで本当にそこにあったのかどうかさえ疑わしくなってくる。恋する自分、を作り上げていただけなんじゃないか。感傷に浸るため、そこにあったことにしてるだけなんじゃないか。本当に悲しかったのだろうか。本当に嬉しかったのだろうか。

「あたし、ポーカーフェイスが得意なんだよね。感情を即座に表に出すのが苦手。なんていうか、フィルターを通り抜けたものだけ表出させてるっていうか」

「確かに紗耶香は隙を見せるのが苦手そうだよね。たぶん、それに見合った色んなものをなまじ持っちゃってるし、努力することもできる人だから、幸か不幸かそれが成り立っちゃうんだろうけど」

「よく言われるよ、隙がないって。そうやって、自分の理性が認めたものだけを露わにするくせがついちゃったからか、本当は自分が何を感じて、何を考えてるのか、わかんなくなってきちゃった気がしてる」

「なるほど。それは……厄介ですね」

 そう言って寧々も口を閉じ、テーブルに沈黙が下りる。遠くの方で笑い声が聞こえて、なんだか急にお通夜みたいな雰囲気になってしまった。

「……まあ、無理に付き合う必要はないよね。従姉妹にちとせちゃんっていう年上のお姉さんがいて仲良いんだけど。その人がね、お付き合いをするのは、お付き合いをしないと知れないものを知りたいと、もらえないものを欲しいと思った時でしょ、って。それはかなりなるほどって思ったんだよね」

 付き合わないと得られないもの、か。確かに、少なくとも今私にとってのそういうものがないから、迷うことになっているのかもしれない。

「そうだね。相手も、待ってくれてるみたいだし。考えながら接してたらそのうち「もっと」って思うようになるかもね」

「なんでだろう、玲衣が言うと妙な色気あるんだけど。わたしと何かが違う」

 ぼんやり感じたことを寧々が言葉にしたので笑ってしまった。気づけば次の授業までもうすぐだ。

 実は持ってきていたプレゼントのアイスワインを寧々に渡す。かなり喜んでくれて、代わりにとさっき買ってきたお菓子の残りを全部くれるらしい。珍しいワイン。きっと寧々の脳裏には、一緒に飲む相手として、同僚の姿が浮かんでるんじゃないだろうか。付き合っちゃえよ、と他人にはあんなに偉そうに言っておいて自分はどうだ。贅沢な悩みではあるのだろうけれど、やっぱりなるべくなら傷付きたくないし、傷付けたくない。そう思っている時点で相手のことが大切なんだと考えることもできるかもしれない。

 二人と分かれて講義室に向かいながら考えた。星野くんを傷付けたくない、笑っていて欲しい、喜ばせたい、という気持ちは確かにある。だけどそれって、寧々に誕生日プレゼントを贈った気持ちとは何が違うのだろう。

 みんな何をもって自分の気持ちに確信を持っているのだろう。

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