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「星野くんはあんまり変わらなさそうだね」
「ですかね。心許してないみたいなわけではないと思うんですけど」
「っていうか、あんまり弱音吐かないし文句も言わないよね。バイトのこととかでも」
「俺は文句言うほど頑張ってないですからね。紗耶香さんは頑張っている分意見が多い」
「悪かったな、文句が多くて」
いや、褒めてるんですよ、と言って星野くんが笑う。そんな褒め方があるか、と思いつつも、バイトの身ながら結構尽くしている自覚があるからこそメニューにまで口出したり、やいやい言っているのも事実なので、反論はしない。星野くんはちゃんと笑うと、眉が極端に下がるんだなと思った。バイト中の会話で真正面から顔を見ることは、ほとんどない。
「じゃあまたすぐ来てくれますかね、都さん」
「うん……」
冷やしトマトを箸でつまんで口に入れる。冷たさが心地良い。私は車の鍵を男の人に渡す都さんを思い出していた。
「なんかね、考えすぎなのかもしれないんだけど」
「はい」
「男の人の方、指輪してたんだよね。左薬指」
ねぎまを口に入れたばかりだった星野くんが動きを止める。一番上を串から引き抜いて咀嚼しながら、なんだかキラキラした目で見つめてくる。
「急にとても楽しそうな顔になったので驚いている」
「楽しくないですか、そういう話。正直わくわくします」
「いや、ペアリングかもしれないけど。都さんがしてないのは、営業職だからなんかアクセサリーは厳禁的なそういうのがあるからかもしれないけど。なんかでもそうかも、って思うといろいろそう見えてきちゃったりして」
男性が結構年上なこと。落ち着いていること。長い関係に見えるのに、都さんにどこかはしゃいだ感じがあったこと。
「そういえば、休みがあんまり合わない的なこと言ってました。同じ職場みたいだったので、どういうことなんだろうなって」
「会えるタイミングが少ない、ってことかな」
「かもしれないですね。そうかあ、社会人って感じですね」
「さすがに大学生だとそうないね、不倫は」
おもしろがるわりにどちらかを責めるわけでもないらしい。この場で正論を並べたってなんの意味もないし、それが正しいんだろう。私は相手に彼女ができたというだけで早々に身を引いてしまうくらいなので、既婚者でもいい、だなんて想像ができなかった。知らないならまだしも、もしあの指輪がそういう指輪なのだとしたら、つけたままということは、そういうことだろうし。勝手な推測を進めてしまうのは気が引けたが、気になるものは気になるのだ。
二杯目も揃ってハイボールを頼んだ。ついでにサイドメニューを数品オーダーする。揚げ物のページをめくっていた時、タコの唐揚げを頼みたいなと思ったけれど、ゲソの唐揚げとどちらがいいかと聞いてみると、ゲソと返ってきたので、そちらに決めた。
「紗耶香さんの失恋の傷は癒えたんですか?」
「そういえばその話聞かれてたね。癒えた癒えた。案外早かった」
「あれ、そういう感じなんですか」
「うん。いつもわりとこうなんだけど。そこまで好きじゃなかったのかなあ」
どんな人だったんですかと聞かれたので、予備校の時代の話を含め、十五分ほど一方的に語らせてもらった。
「まだ三か月も経ってないんだよね。あの時は好きだなと思ってたはずなのに。今はたぶん、もし連絡が来たとしても「あんた彼女は? 何ふらふらしてんの?」ってなっちゃう気がする。なんでだろう」
「そうなれるのは、倫理的だからでしょうね。じゃあ不倫とか許せないタイプですか?」
「例えば都さんなら、まあ言ったら他人だからいいけど、友達だったら全力で止めるかも。でも単純に好きって気持ちの強さがそこを上回れてないだけって気もする。大学の友達にもいるんだよね。ものすごく好きな人がいて、何度も告白してふられてるけど、それでもどうしても好きなんだって言ってる子。悲劇なんだって。あたしは自分から告白したことすらないし、正直羨ましいかもしれない。そこまでどうしてもこの人なんて思えたこと、ないもん」
本屋で見た玲衣と、大学でその時の話をした玲衣。叶わない恋だとしても、そこまで想える人に出会えたことや、きっと自分自身とも向き合いながら様々なことを考えた時間は、価値のあるものなんだろうと思う。辛い思いをしている本人たちに言ったら怒られるかもしれないけれど。
「出会わなければよかったのに、みたいなラブソングとかありますしね。俺もどちらかと言うとわからない派ですが」
「羨ましくならない? そういうの聞くと」
「微妙ですね。全くいいなと思わないかというとそういうわけではないですけど、でも自分が持つ好きの感情が負けてるわけではないと思ってます。あいつの好きには勝てねえな、なんて思ったら、今まで好きになって来た子と、あと、紗耶香さんにも失礼ですし」
「んん? なんでそこであたし?」
「今好きなのが紗耶香さんだからですね」
軽い気持ちで聞き返してから口に含んでいたハイボールを、漫画のように吹き出しそうになった。目を白黒させながらすんでのところで飲み込むと、あろうことか星野くんは体を震わせて笑っていた。
「え、笑う!? そこで? あ、冗談だった?」
「冗談じゃないです。ごめんなさい。いや、このタイミングで笑っちゃったの駄目ですね。反省します。もう一回言いますけど、今俺が好きなのは紗耶香さんです」
「待って、待って。ちょっと待って。本気で言ってんの?」
「はい。じゃなきゃこんな時間にサシ飲み誘わないです」
「いやだって、そんなそぶり、ひとつも」
「そうですか? 俺バイト入った時から紗耶香さんのこといいなって思ってましたよ」
「いいなって、なんかそんな、軽……」
「どこが好きか、ちゃんと言った方がよければ並べましょうか? 紗耶香さんは俺のことどう思ってますか?」
ニコニコしながらそんなことを問い詰めてくる。両手を顎の下で組んで、楽しそうに。な、何がそんなに楽しいんだ。自分に自信があると告白すら楽しめてしまうのだろうか。私はきっと、異星人を警戒するような目で、星野くんを見返していたと思う。
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