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「今日はありがとう。びっくりさせられっぱなしだったけど、全部楽しかったよ」

 人生で初めて乗ったオープンカーから降りて、家の下まで送ってくれたちとせちゃんに手をふる。

「でしょー。あたしも楽しかった! なんてったってあたしがしたいことしただけだし!」

 ご満悦だ。他人の誕生日をこんなに謳歌できるのもこの人ぐらいだろう。

 車は、明日持ち主に会って返すらしい。反射的に「お友達?」と聞いたら、やっぱり教えてくれなかった。

 夜の闇に真っ赤な車体が溶け込んでいくのを見送る。しばらく原付の後ろ姿を見ていないなあと思いながら、マンションの階段をのぼる。六階の角の部屋。かばんの中で鍵を探しながら近づくと、ドアの取っ手に何かがぶらさがっていた。茶色の紙袋。確信があった。ガサッと大きな音を立てて中身をのぞきこむ。カラフルなチェック柄の包みと、クリーム色の封筒が入っていた。たぶん私は、封筒を開ける前から、泣いていたと思う。



北川寧々さん

  誕生日、おめでとうございます。二十一歳ですか。別に二十歳と、何も変わらないでしょうね。きっとそうやって年を重ねて、気付いたらアラサーとか言われる年齢になっているんです。気を付けてください。

  これを渡すかどうか悩みました。なんかラインも変な終わり方してますし。でも誕生日は誕生日だし、次は一年後にしかないですもんね。

  それからひとつ、お知らせがあります。本当は塾の帰りとかに言おうと思ってたんですが、あなたが目を合わせてくれないのでやめました。(この件については腹が立っています。)前に言っていた、少女漫画誌のことです。あなたは同年代でこういったものを読んでいる人が少ないので恥ずかしい、というようなことを言っていましたが、調べたところ、あの雑誌の発行部数はおよそ二十万部だそうです。そしてあの雑誌の読者のうち、大体一割ぐらいは大学生だそうですよ。ということで二万人です。どんな統計だかわかりませんが、恥ずかしいとかそういう風潮があるなら、個人的にはもう少し多いのではないかと推定しています。大学生の女子の人数は、二百八十万の四十五%ってことで大体百三十万人ぐらいですね。そうすると単純計算で、大学生の読者は六十五人に一人ということになります。マイノリティであることは否めませんけど、これってそんな引け目に感じるほどの数字ですかね。

まあ僕が言いたかったのは、そのぐらい仲間はいるんですよってことです。長くなりました。それでは。 

                 五木秀也



「……ほんとに長いわ!」

 焦ってスマホを取り出すと、さっきはなかったラインが来ていた。

《お疲れ様です。家のドアの外、見てください。ギリでした》

 十分前ぐらいだった。私はラインの通話を選択して耳に当てながら、階段をかけおりる。とりあえずやつがいつも帰って行く方向へ走った。人影は見えない。耳元で通じる音がした。

『気づくの早かったですね』

「今どこ!」

『は?』

「今! どこ!」

『どこって帰り道ですけど、今から友達の家で麻雀するんで、もうすぐ駅に』

 そこまで聞いてぶち切りして、私は別の相手に電話をかけた。

『寧々ちゃん、どうした』

「ちとせちゃん! さすが! ねえお願い! もうちょっとだけつきあって!」

 赤い看板のコンビニで待ち合わせる。息を上がらせて到着すると、薄明りに照らされた車体が、頼もしい厳つさで鎮座していた。

「なんと、たまたまコンビニに寄っていたから電話を取れました。どこ向かえばいいの」

 最寄り駅の名前を告げて、車に乗り込んだ。紙袋を持って髪を振り乱す私を、ちとせちゃんは愉快そうに横目で見る。

「こんな全速力で走ったのっ、久しぶりで、あのねっ、これ、五木先生が」

「はいはい。裸足になって両手に靴持って走ったりした? なんか映画みたいね?」

「裸足にはなってないけどっ、思わないでもなかった!」

「あたしはこのために車を借りてたのかもね」

 さっきは叫び声をかき消してくれた風が、額の上の汗を散らしていく。ばくばく言う心臓をしばらく抑えてから、ラインを確認した。《切れましたけど》《何なんですか?》《散々無視とかしといて勝手すぎませんか》《おいこら》等々、短文の文句が十五件ほどあった。確かに随分勝手だ。衝動に任せたらこうなった。追いかけたりして、久しぶりに顔を合わせて、一体何を言うつもりなんだろう。頭は興奮しっぱなしで全然落ち着かなかったけれど、顔には自然と笑顔が浮かんで来た。馬鹿みたい。こんな馬鹿みたいなこと、私また、できるようになってたんだ。履歴にあったスタンプを適当に爆撃しながら、私はかっこ悪い自分を、愛せるような気がし始めていた。

 


 だけど結局その日、五木先生とは会えなかった。

『スタンプ送ってる暇あったらちゃんと説明してくださいよ! 馬鹿じゃないんですか⁉』

「馬鹿ですけど⁉ ってゆーかなんで今日に限ってそっちから乗るわけ⁉」

 五木先生が向かっていたのは、一つ前の駅だった。彼の家の最寄りの方だ。うちに寄ってからだから、こっちの最寄りに向かったものだと思っていたのに。

『そっちに行くのと逆方向に向かうんです。料金が違いますから』

「数十円の違いでしょうが。ケチ」

『あなたもたまにやってるでしょ。自分本位な罵りはやめてください』

 私がこんなに息を切らして必死になっているというのに、相手はあくまで冷静で、しかも言っていることに筋が通っているものだから余計腹が立った。けれど、今日ばっかりは。

「……あの、ありがとうございます。手紙読みました。くそ長かったけど、全部。読みました。なんてあなたらしいフォローなんだろうと思いました。数字はほとんど読み飛ばしましたけど、言いたいことは伝わったので。ものすごく変わったやり方ではあるけど、あれがあなたの方法なんだなって思いました。そして私は救われています。だから……」

 言葉が詰まった。紙袋をぎゅっと握る。素直な私。素直な気持ち。今、思っていること。

『あの、もうすぐ、電車が来ます』

「だからっ…………これからもよろしくお願いします!」

 だあっ、と叫んで通話を終了する。後ろでちとせちゃんが手を叩いて笑った。

「それが限界?」

「違うもん! これが本当の正直な気持ち!」

「そっかそっか」

 馬鹿にしたふうではなく、結果を祝福するような笑顔とセットだったので、私はエネルギーの持って行き場を失った。手の甲で鼻の頭の汗を拭った時、ラインの通知音が鳴った。

《こちらこそ》

 忘れられない、二十一歳の誕生日が、終わろうとしていた。

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