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 寒風の吹き荒ぶ中で湯気を立てながら食べる豚まんはコンビニに置いてある食べ物で一番美味しいと思っていたけれど、夜でも半袖で平気になってきた季節に食べる、アイスの美味しさもなかなかのものだった。他人に奢ってもらったものだとなおさら。

「なんで女子ってのは太る太ると言いながら甘いものが好きなんでしょうねえ」

 いつも通りにコーヒーを飲む五木先生の横には美香ちゃん、そして私。私たち女子は五木先生に買ってもらったアイスを半分こして食べていた。勤務を終えた帰り道、三人でちょっとしたゲームをして、五木先生が負けたのだ。いつもは手前で曲がる美香ちゃんもコンビニまで来てもらって、敗者に財布を開かせた。別に一つずつで構いませんけど、と言われたが、時間帯とカロリーを気にしつつ新発売のフレーバーに心を奪われていた私たちは、ひとつを分け合うという形でそれぞれに自分を納得させたのだ。

「なんでと言われても好きなんですよう。五木先生は甘い物、嫌いな人ですか?」

「別にそんなことはないです。チョコレートはあまり好きじゃないですけど」

「そんなことはないどころか結構好きな方じゃないですか。チョコ以外ならなんでも食べるくせに。何だったっけ、一番がモンブラン?」

「だからモンブランは三番です」

「一番はなんなんですか?」

「アップルパイです」

 即答できるぐらいはっきりランキングができてる時点でかなり甘党だと思います、と美香ちゃんが笑う。いやでもコーヒーはブラック一択だしスイーツの類も見境がないわけではなくて云々と言い訳めいた五木先生の説明が続いた。大変どうでもよい。大きくかじったひとくちの中で三種のベリーソースの味を探している間に話題は別に移っていて、また二番を聞きそびれたなと思った。

「ブラックコーヒーが飲めるのってなんかかっこいいですよね。私、砂糖もミルクも入れなきゃ飲めないです」

「砂糖もミルクも入れても飲めない二十歳がお隣にいますよ」

「うるっさいなあ。別にいいじゃないですか」

「北川先生も五木先生も二十歳なんですねえ。私も早く合法的にお酒が飲めるようになりたいなあ」

「美香ちゃんはお酒強いの?」

「飲み会とかで軽く飲むぐらいだからわからないですけど、たぶんそんなに強くはないです。北川先生はわりと強そうですね」

 うわばみです、と五木先生が答えて、含まれた嫌味を感じ取って私が怒る。美香ちゃんと三人でいる時こいつはだいたいこうだった。受け答えは端的で、めんどくさい話をしつこく持ち出して来たりにやにやしたりすることが少ない。クールキャラでも気取っているのだろうか。

 真ん中で屈託なく笑っていた美香ちゃんは、アイスの最後の一口を食べ終わり、袋をてのひらで挟んで丸めながら言った。

「北川先生と五木先生は、本当に仲が良いですねえ」

 ぐっ、と喉の奥で変な音が鳴ったような気がした。一秒、二秒、私もやつも何も答えない。ただの空白が沈黙になってしまう直前で、私の方が口を開いた。

「関わる機会が多いってだけだってー。絶対気合わないもん。中学とか高校で同じクラスにいても、絶対友達にはなってないタイプ」

 無意識のうち、即座に言い返されることを期待していたんだと思う。だから、その次の空白が今度は明らかに沈黙に変わってしまったと感じた時、私はどうしていいかわからなかった。

「……こっちだって、願い下げですね。まあ僕は中高と男子校なんで、同じクラスの女子という存在自体、関わったことありませんけどね」

 へえ、男子校だったんですか、と話題の方向を変えてくれた美香ちゃんの声が少し上ずっていたように聞こえたのは気のせいだろうか。五木先生がひとしきり男子校の愚痴を言い終わったところで、そろそろ失礼しますと美香ちゃんは帰るそぶりを見せた。塾に続く道路側の出口へ向かう姿に向かって、五木先生は当たり前のように手を振っている。美香ちゃんは一度前を向いたが、急に振り返って言った。

「あっ、アイスごちそうさまでしたー!」

「へいへい。気を付けて」

 なおもひらひらと手を動かす五木先生の隣で、私はたまらない思いだった。

どうしてこうも、私は、この人は。

「……送ってあげた方がいいんじゃないですか」

「はっ?」

「美香ちゃん。いつもより遅い時間だし、遠回りさせちゃったし」

「まあ、それは確かに……」

 そう言いつつ五木先生は動こうとしない。美香ちゃんはもうすぐ、道路に出てしまう。

「じゃあこうしましょう。北川先生も遠回りして、一緒に送って行きましょう」

「はあ? 遠回りってレベルじゃないですよね? いやまあ、送っていくのに文句はありませんけど、でもなんでわざわざ私も?」

「今この空気のまま、あなたと別れるのは、なんか嫌です」

「……何それ。この空気って、どういう」

 どういうこと? 今この空気ってなんのこと? 聞こうと思って、気が付いた。さっきおかしな空気になったことに私はちゃんと気付いている。なのに今、私、気が付いていないふりをしようとした。どうして? もしかして、認めないってこういうこと? 本当はわかっているのに、わかっていないふりを。自分でも気づかないうちに、無意識に。私は私に嘘をつく。

 言葉を詰まらせてうつむいた。五木先生の顔が見られなかった。心の機微がわからないという彼に、思考回路を読み取られてしまうのが怖かった。恥ずかしいと思った。

「……どうかしましたか」

「いや、なんでも」

「ちょっと雨宮さんを呼び止めて来ていいですか」

「いいから。送ってってください。あなた一人で」

「だから、僕は」

「いいから! これは私の問題で、あなたには関係ありませんから!」

 自分から出て来た声の大きさと語気の強さにびっくりして顔をあげる。その時目にした五木先生の表情を、私はしばらくの間、忘れることができなかった。

「…………あなたは僕に対して」

 言葉は淀みなく流れて出てきた。容量がいっぱいになったので力を込めて蛇口をひねったら、思いがけない激しさで止まらなくなってしまった、というように。

「卑屈すぎるとか他人と関わるのを恐れすぎだとかコミュニティを広げた方がいいとか、いろんなことを言ってくれます。嫌味っぽかったり上から目線だったりして腹が立つことはあっても、それは真面目にありがたいと思ってます。僕も自分が殻にこもりがちだということは自覚していますから。あなたの言っていることはきっと正しいんです。

 だけど僕たち二人の間でのことに限って言えば。言わせてもらいますけどね、僕は、僕は、あなたよりよっぽど心開いてますよ。正直ですよ。別に何もかも言えとか言ってんじゃないんですけど……うまく言えないですけどね……とにかく、そういうことですから」

 そして五木先生は、美香ちゃんの方へ猛ダッシュして行った。今まで見た中で一番の走りっぷりだ。原付を置いて行っていたので、ここで待っていればすぐに顔を合わせられると思ったが、私はそうしなかった。自分で送って行けと言い出しておきながら、置いて行かれた寂しさにうちのめされていた。そんな勝手さに泣き出しそうになりつつ、私は一人で家路を辿った。


 今日こそは帰ったら自分から連絡を入れようと思っていた。帰り道の間はそう思っていたのだ。だけど家に着いてしまうとやっぱりできなくて、いつも通り先にお風呂に入った。こころもち急いで出てスマホを見たら、新着のお知らせはひとつもなくて、ほっとしたのか気落ちしたのか自分でもわからなかった。いや、本当の本当はわかっていたのかもしれないけれど、「わからない」と思うほかなかった。トークを開いたはいいが、どんなテンションで何を言えばいいのかわからなかった。何か伝えなければいけないことだけ、わかっていた。

 その時、五木先生からラインが来た。長い文章だ。その場で既読が付いてしまい、焦って読む。

《お疲れ様です。家には無事に着きましたか? 帰り際、一方的に喋ってしまってすみませんでした。勢いだったので、実は何を言ったかあんまり覚えていません。

 ただあなたに「私の問題だからあなたには関係ない」と言われたことだけはしっかり覚えています。あなたが覚えているかどうかわかりませんが、僕は以前にも同じことを言われました。

 確かにあなたの問題はあなたの問題で、僕に関与する権利はないです。

 だけど、

 あなたがしんどい状態でいるのを、僕はイヤだなと思います。

 自分のイヤな気持ちを取り除きたいために、あなたに元気になって欲しいとか、あなたの問題を解決したいとか、そういうふうに思うのは、エゴなんでしょうか?》

 そんなわけがあるか。と思う。そのまま返信する。言葉足らずなのはわかっていた。だけどそれが、その時の私の精一杯だった。

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