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「だからさっき、漫画を手にした途端にあなたに声をかけられて、心臓が飛び出るかと思いました。…………っていう説明です。長くなってすみませんでした。別に、何も言ってくれなくていいですよ。この手の話が苦手なのは承知していますから」

 五木先生は私が話している間一度たりとも口を挟まなかった。コンビニのガラスの壁に寄りかかり、左手で空のコップを、右手でポケットの中の小銭を、もてあそびながら黙って地面を見つめていた。

「その手の話が苦手というか、それは、僕にそういう経験が無いので気の利いたことも何も言えないし、話し甲斐がないですよってだけです。聞く分には何も問題はありません」

「そうですか。別に気の利いた言葉なんて一ミリも期待してないので大丈夫です。一年近く前のことで、なんとか消化しつつあるので、いきなり泣き出したりもしませんから安心してください。何も言わなくてもいいし、言ってもいいです」

「じゃあ、ちょっと思ったことを」

 五木先生は壁から身体を離し、コップを捨てに行った。戻ってくると、少しだけ逡巡した様子を見せてから、また隣で壁にもたれた。

「……映画が好きな方が大人っぽいんですかね?」

「…………はっ?」

「文学部だから映画好きかも、はまだわかりますよ。でも漫画好きより映画好きの方が大人なんですか? 僕の友達で同じ映画を十回観に行くやつがいますけど、全然大人っぽくなんかないし、あんまりそういうイメージがないんですけど」

「そっ、そこですか? 私が言うのも変ですけどその部分は一応わかりましたよ。彼が映画好きなことは私ももちろん知ってたし、趣味が映画鑑賞なんて、漫画集めに比べたらかっこいいでしょ。っていうか私だって普通に映画は好きなんですけど」

「じゃあまあそうだとして、そいつは何様なんですか? 大人っぽい人間が正しいんですか? なんかそのあたり変な感じですよね。たぶんあなたの趣味がどうとか、別に関係ないんですよ。そのクズはあなたのことを傷付けられればなんでもよかったんでしょ。そしてあなたはまんまと傷付いたんですよね」

「おっしゃる通りですけど、まんまとって言い方は酷いですね」

「さっき会った時のあなた、本当に怯えた顔してましたよ。その理由を聞いてなんだか今、名状し難い気持ちになっています。僕も同じだと思われたのかと思うと腹立たしくさえ思えます」

「……私が変だったの、気付いてたんですか」

「だからこんなところまでのこのこついてきたんでしょう。用事もないのに。ついでに言うとそのドクズの言う事はほとんど口からでまかせなんじゃないかと思いました。彼女に飽きて別の子のところにいく、そっちが本命になる、まではよくある話ですけど、それで別れた後、元の彼女にぎゃんぎゃん文句をつけてくるのは変じゃないですか。僕が思うにあなたはずっと本命だったんですよ。浮気の方が浮気だった。けど引っ込みがつかなくなって、捨て台詞的に嘘を言った。まあクズ中のクズが考えることなんてわからないですけど、少なくともそっちの方が理屈は通ってると思いますね」

「……あなたはこんな時にも理屈なんですね」

 憤慨した感じの横顔を見る。話し甲斐、あるじゃないですか。心の機微がわからなくても、矛盾を探して理屈に沿うように考えてみれば見つかる答えもあるんだろうか。先輩が本当のところどう思っていたのかなんて知りようもないし、今更知りたくもないけれど、あの後先輩と一回生の女の子が付き合いに至ることはなかったらしいことは確かだ。というか、あの酔っぱらった電話の日に、先輩の方がこっぴどくふられていたらしいという噂さえあった。真実なんかどうでもいいけど、ただ「辛かったんだね」なんて半端に同情をされるよりはよっぽど、真剣に私の話を聞いてくれていたんだなと実感できた。

「理由があったってどうかと思うのに、人を傷付けるために嘘をつくようなやつは最低ですね。地獄に落ちればいいです。というか落ちます。大叫喚地獄です。一応言っときますけど僕は嘘はつきませんからね。僕の言う事は全部ノンフィクションですから」

 真面目に言ってくれていることはわかっていたのだけれど、ノンフィクションという言い回しがツボにはまってしばらく笑っていた。あんな話をした直後にこんな笑い方ができるなんて驚きだ。五木先生は延々と笑い続ける私を、うっすらと涙まで浮かべて笑い転げる私を、じっと見ていた。私が元の私に戻るまで、我慢強く待ってくれていた。

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