***

 鍋はとても美味しかった。薄味の出汁で煮込まれた野菜は柔らかく、餃子は色々な種類があって面白かった。普通の味の他に、海老が入ったものやチーズが入ったものもあった。私たちは二人とも好き嫌いが少ない方らしくて、なんでもよく食べたし、よく飲んだ。

「唯一嫌いなものと言えるのが、内臓系かもしれないです」

「へえ、じゃあ逆に、一番好きな食べ物はなんですか?」

 五木先生は舞茸を咀嚼しながら、箸を箸置きに置いて考え込んだ。ぴたりと固まった身体の中でそこだけ動いている口元を眺めていると、遠い目をして草を食むウサギを思い出した。

「難しいけど、やっぱりお肉ですかね。内臓以外の。一番テンションの上がる外食は焼肉だと思います。北川先生はなんですか?」

「私は本当に好きなものばっかりで、内臓系も大好きだし、これっていうのは難しいんですけど……テンションが上がるっていうので考えると、お寿司かなあ。あっ、魚卵が好きです。いくらもたらこも数の子も。そういえば全部好きですね」

「女性は魚卵が好きな人、多いですよね。僕も結構好きですけど。今言った中だと数の子が好きで、お正月には食べ過ぎて怒られます」

「私も私も。でも一番好きなのはいくらです。いくらと鮭の海鮮親子丼とか、大好きです」

「それ、確かに親子丼ですね。お寿司だったら、回ってないけど一皿が百二十~二百円ぐらいで、美味しいお店がうちの近所にできたんですけど」

「え、行きたいです! なんてお店ですか?」

 完璧なタイミングで運ばれてきた締めのうどんを鍋に投入しながら、私たちはお寿司屋さんに行く話を進めた。今日の予定が終わる前から次の計画の話をする。紗耶香に言ったらまた、「付き合っちゃえよ」なんて言われるだろうなと自分でも思った。一緒にいて楽しいわけじゃない、と言いはしたけれど、少なくとも次の予定ができることを億劫には思わない。私は気の合わない人とも関係を築こうとするほど社交的な人間ではないので、まあ、そうだ、要は気が合うのだろう。この人の言う事を本気でめんどくさいと思う事も多々あるけれど、一日一回ぐらいはあるけれど、自分にはない視点でおもしろいと思うことも多い。失礼なことを言われても、私を傷つけたくて言っているわけではないことはわかるから、九割方は我慢できる。残り一割で喧嘩になったり向こうに平謝りをさせることもあるけれど、しょせん一割だ。逆に付き合っていなくても、彼氏彼女なんて肩書き無しでも、こういう関係でいられるならむしろこの方がいいぐらいかもしれない。期待しなければ傷つかないし、お互い縛られる必要もない。

 仲の良いバイト仲間。それでいいじゃない、と思う。別に世界と彼の架け橋になる気もない。私は彼を開眼させる存在にはなり得そうもないし、彼から何かをして欲しいとも思わない。そもそも五木先生には、全然、ときめかない。恋人になろうなんて、ちゃんちゃらおかしいというものだ。

 うどんを食べ終わって、徳利に残っていたお酒も飲み干して、お会計をした。席に持って来られた伝票を見ると、八千円を超えていた。思ったよりお酒を飲んだし、追加の具材も注文したりしたからだ。コースでもないのにこの額は少し痛かったが、美味しかったし、まあいいかと思って予定通り私が全額持つつもりで財布を開いた。五千円札を取り出した途端、その上から千円札四枚が素早く重ねられた。えっ、と思って隣を見ると、いつの間にか五木先生が財布を取り出している。九千円でお預かりします、と店員さんに持って行かれてしまった。

「ちょ、ちょっと。今日は私がおごるって言ったじゃないですか」

「でも予定よりかかったでしょう。たぶん僕の方が多く食べてるし、全部払ってもらうのは心苦しいです」

「そんなの関係ないです。あなたの方が多く食べるだろうことぐらいわかってました!」

「それでも多く払ってもらってますから。いいじゃないですか」

「よくないです。お礼するつもりで誘ったんですから」

「いりませんよ。五千円も払ってもらってるんだから十分です。大体、ジュースとかならともかくここまでおごってもらうほどの間柄ではないんですから。しまってください」

 五木先生は私が差し出した四千円を、汚いもののように頑なに突っぱねた。間柄ではない、という言葉の方も妙に腹が立って、私は千円札を一枚減らして食い下がった。端数だけ払うなんて女みたいなことできませんよと言われて、ますます腹が立って、それじゃあせめてお釣りだけでも受け取ってくださいと更に食い下がる。五木先生はそれも拒否するので、お釣りを持ってきてくれた店員さんをしばらく困らせてしまった。私がさっさと財布を鞄に入れて、上着を着て靴を履いて身支度を済ませてしまったので、五木先生が嫌々受け取った。彼はそれを財布にしまおうとせず、手に持ったままで店を出てからもしつこく言い合いをした。最後の方はたぶん金額なんてどうでもよかったがお互い引き際がわからなくなって、五木先生が私のポケットに小銭を入れようとするのを、触るなと言ってやめさせたりした。結局コンビニに行って彼がいつも買うコーヒーと私がいつも買うココアを買って(コーヒーよりココアの方が少し高いので、そこでも少しもめた)お釣りは募金箱に入れることで決着がついた。買ったものを飲み干すまでコンビニの駐車場で喋って、私がくしゃみをしたのをきっかけにさようならということになった。店を出てから一時間以上が経っていて、徳利を傾け合いながら飲んだ日本酒の酔いはすっかり醒めてしまっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る