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 三月半ばのある日、私は駅前の時計台の下で、ちとせちゃんの豪快な笑い声を聞いていた。

『寧々ちゃん、それっ、めっちゃ矛盾してるじゃん!』

「ちとせちゃん笑いすぎ……矛盾って?」

『えー、だってさあ。寧々ちゃんが腹立ったのって、そんな間柄じゃないって言われたからでしょ? 楽しく喋ってたのに急に距離取られたから、腹立たしかったんでしょ?』

 待ち合わせにだいぶ早く着いてしまったと思ったら、ちとせちゃんから電話がかかってきたのでびっくりした。ちとせちゃんも人と待ち合わせているところで、相手が遅れているから暇なのだという。いつも唐突なわりに、私にとっても都合のいいタイミングでかかってくることが多いので、ちとせちゃんは不思議な人だなあと思う。

「確かにその言葉に腹は立ったけど、別にそういうわけじゃないし。なんか他人行儀なのが、妙に鼻についたの。おごるって言ってんだからおごられてりゃいいのにさ。頑固なんだから」

『何それ。頑固者同士でちょうどいいじゃん。仲の良いバイト仲間でいいや、って寧々ちゃんが思っても、そういう間柄のままじゃ遠慮されちゃうようなことがあるってこと。遠慮されないためには違う関係にならなきゃいけないんだよねえ』

「腹立ったのとそれは別! っていうか紗耶香にも言われたけど、私ってそんなに頑固?」

『自覚してないあたり、救いようがない』

 酷い一言を最後に、待ち合わせ相手が来たからと言ってちとせちゃんは電話を切った。私は憮然としてスマホを操作し、ホーム画面に戻る。時間は待ち合わせの二分前になっていた。

 駅前は混雑していた。土曜日だし、今の時期学生はみんな春休みだ。同じく待ち合わせふうに隣で立っていた女性のところに、男性が駆け足でやってきた。二人はどちらからともなく自然に手を繋いで、人混みの中に消えていく。そういえば五木先生に返信をしていなかったな、と思ってラインの画面を開いた時、ちょうど紗耶香と玲衣がやってきた。三人で時間を確認してから、映画館のあるビルの方へ歩いて行く。今日は映画を観てから紗耶香のアルバイト先でごはんを食べる予定だった。チケットは紗耶香が予約しておいてくれたのでスムーズに入場できて、スクリーンの真正面の席で、紗耶香、私、玲衣、の順番に座り、上着と荷物を置く。ラインを開いて返信をして、ついでに〈今から友達と映画を観てお酒を飲みます〉と自慢をして、電源を落とす。今日彼は塾で授業があるはずだ。ラインの画面が見えたのか、紗耶香に「なんとか先生?」と聞かれた。

「もしかして、常にラインしてるの?」

「常にって言ったら言い過ぎだけど、最近は結構頻繁に。業務連絡ついでとか」

「相手もマメだね」

「ラインでやり取りするのが面倒くさくなってくると、電話かかってくることも多いけど」

「……何喋んの?」

「何って言うほどのことじゃないけど。夜中に電話してるとさ、前の喧嘩蒸し返したりして、余計めんどうになるよね」

「よく、言ってるけど、喧嘩ってどんな? つきあってなくても喧嘩になるの?」

「しょーもないよ。全部しょーもない。この間もお釣りのことで喧嘩してすっごい腹立って、また後で話すけど……あれっ、玲衣、今日はいつものピアスしてないの?」

 耳元で輝く石榴色。小さな石だけれどとても美しく光っていて、色味もさることながらその存在感が妙に玲衣に似合っていたのだが、前に屈んだ時に見えた玲衣の耳には、何もついていなかった。

「してるよ。ほら。私、片方しか開けてないの」

 身体をひねって左の耳を見せる。確かに、そちらにはいつもの色が輝いていた。

「ほんとだ! えっ、左だけだったんだ。気付かなかった」

「あたしも! 普段、半分ぐらい髪で隠れてるもんね。普通に両方してると思ってたわ」

 なんで片方だけなんだろう、と思ったけれど、その時スクリーンが明るくなって、映画の予告映像が始まった。まだ小声で話している人もいたし聞いてもよかったけれど、玲衣の声が紗耶香まで聞こえるかわからなかったので、尋ねるのはやめておいた。

 この三人で遊ぶのは、まだ三回目ぐらいだ。大学に入ってからは二年が経とうとしているけれど、私たちは入学当初からの仲というわけではない。玲衣の片耳しか開いていないピアスのことを知らなければ、紗耶香の好きな人がどこの誰かも、全く知らない。そして二人は、一年前の今頃私に彼氏がいたことを聞いたら、きっと驚くだろう。

 全米をどうにかしたとかいうアクション映画の予告が終わって、画面が急に華やかになったと思ったら、見覚えのある少女漫画が原作になった実写映画の予告が始まった。

「あ、私この原作持ってる」

 玲衣が私の顔をちらりと見た。紗耶香が私に顔を寄せて小声で言う。

「……あー、そういえばキャスト豪華だなって思ってた」

「しかも結構合ってるよ。当て馬の男の子の役とかそのまんまって感じ」

「私も、読んだことある。ヒロインの背が高いところとかがぴったり」

 結局やいやい喋っているうちに映画は始まった。明かりが完全に落ちて、スクリーンも真っ暗なままで、バンドの演奏みたいな音がぼんやりと聞こえてくる。

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