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「それ、顔っていうのは純粋に顔だけなんですか? 背丈とか髪型とかは含まず? それから性格っていうのは内面全てを指しているということでいいんですか?」

 まずは定義付けから入るその姿勢に辟易しつつ、私はハンバーグにナイフを入れる。ある金曜日の夜遅く、私は五木先生とファミリーレストランに来ていた。

「知りませんけど、要は容姿VS内面ってことでいいんじゃないですか。身長とかも全部含めて。そんな厳密に決める必要あります?」

 両方の注文した料理が揃った時、私はこの間の凛咲ちゃんの授業の時の話をした。五木先生は両手に持ったナイフとフォークを宙に浮かせたまま、思いの外真剣に考えていた。

「僕なら、容姿1対内面9と答えますね。そもそも僕は人の容姿をどうこう言って条件を付けられるだけの顔も何も持ってませんし。それが恋人に対する条件なんだとしたら、やっぱり内面を圧倒的に重要視するべきでしょう。まあ、僕なんかを選んでくれる人がいるんだとすれば、それだけで内面の条件はクリアできそうですけどね」

 この人はいつもそうだ。恋愛の話になると、できる限りの言い方で自分のことを卑下する。自信があるとかないとかそういう次元の話ではなく、まるでそうするのが義務であるかのように。指摘をすれば「中高と男子校だったので」という理由が返ってくるが、男子校出身の男の子の全員が全員そういうわけじゃないだろう。ただ世間の認識としてそういう傾向がある、ということを、彼は最後の砦にしている。

「じゃあ、あなたは自分のことを好きになってくれれば誰でもいいわけですか」

「そんなことは言ってないです。クリアできそう、と言っただけで、それが十分条件だとは言ってません」

「っていうか、五木先生って彼女欲しいとか思うんですか?」

「思いますよ。ずっと思ってますけど?」

 ナイフの上にフォークを重ねて置いてしまって、カーンと音を立てた。ひとけの少ない店内でその音は、プロレスの始まりを告げるゴングさながらに響いた。

「今、度肝を抜かれていました」

「その言い回しを口語で聞いたのは初めてなんですけど、どういうことですか。僕はいつも、学部の女子率の低さを嘆いてるじゃないですか」

「そうだけど、それは、なんというか、そういう風潮に乗っかってるのかなって思ってました」

「それは文学部で言う、眼鏡男子は黒髪でいるべきだとかそういうことですか」

 いまいち、というか全然同意できなかったので、返事をしないで水を飲んだ。

「そうですか。彼女、欲しかったんですか。合コンとかしないんですか?」

「そんな高度なことを言わないでください。僕の伝手では限界があります」

 合コンを高度と言われてしまうと次は何を聞けばいいのだろうか。学部の女子に話しかけたりしないんですか? そっちの方がむしろ高度だろうか。

「大体、合コンに来るような女性と付き合いたいとは正直思わないですね」

「それは予想の範疇の答えでした。なるほど。彼女は欲しいけど努力はしたくないっていう典型的な非モテ男子ですね」

 「うるせぇ」と呟いたきり五木先生は黙々と付け合わせのジャガイモを口に放り込んでいく。図星過ぎて何も言えないんだな、と了解し、私は別の話題を提供して差し上げる。

「昨日でテストが終わったので、私もやっと春休みです。レポートは残ってるけど」

「ああそうですか。十五日で終わるって言ってましたね。そうですか。もう二月も終わりますね」

「それはちょっと気が早すぎませんか」

「三月の頭ぐらいから、新しい生徒が増えたりし始めるんですかね。今中三の子はみんな辞めてしまうんでしょうか」

「そうですね。高校に行ってからもうちの塾に残る子はほとんどいないです。五木先生もせっかく仲良くなってきたのにね」

「そうですよ。僕がどれだけ苦労してきたか。そもそも自分でもよくこんなアルバイトを選んだなと思いますよ。はじめの方は本当に修羅の道だと思っていました」

「塾に入る前は研究室の事務を手伝っていたんでしたっけ。よくわからないけどコミュ力が要らなさそうな仕事ですね」

「そうですよ。北川先生は別に明るいわけでもないのにコミュニケーション能力はある方ですよね。生徒ともすぐ仲良くなるし」

「明るいわけでもないってなんですか。そんなこと思ってたんですか?」

「僕の言う明るい人ってのは必ずしも良い意味ではないんです。要は中学校のクラスでカーストが上だったような雰囲気でもないのにってことです」

 あんたの中での定義付けなど知るか、と口に出しかけてぎりぎりのところで留める。

「明るくないって言われて喜ぶ人はいないので、そういう言い方はしない方がいいと思います」

「別にいいじゃないですか。暗いと言ったら失礼かもしれないけど」

「あたりまえです。あと別に私は自分のこと、コミュ力高い方だとは思ってないです。私だって塾講師を始めた頃は毎回慌てまくりだったし」

「だけど僕とは違います。なんとか慣れてきたとは言っても、北川先生ほど塾の生徒からの人望はありません」

 僕とは違う。何度となく彼の口から聞いた言葉だった。私は唐突に会話をするのがめんどくさくなって、返事をするのをやめた。しばらく沈黙が続いた後、五木先生は空気を察したのかどうかは知らないけれどお手洗いに立った。聞き取れるかどうか、という大きさの声で、そう宣言して。もし彼がそのまま帰ってしまったとしても、私はそれほど失望しなかったと思う。

 ふと店内を見渡してみれば、お客さんは私たちの他に三組だけだった。壮年の男性が一人と、カップルらしき若い男女連れが二組。ファミリーのいないファミリーレストラン、と思ったけれど、男女連れが実はファミリーだという可能性があった。空いたテーブルのメニューを回収し始めている無表情の店員を見て、彼は私たちの関係性をどう思っただろうか、と一瞬考える。ほんの一瞬だ。それが非常にくだらない、何の意味もない思考だと思って、やめる。視線を落とすと五木先生が食べた後の食器が目に入った。ライスの皿には米粒ひとつ残っておらず、白い蛍光灯の光をむやみやたらと反射させていた。

 私はハンバーグの最後の一口を食べて、彼が戻ってきた時になにげなく切り出す話題を探した。

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