10.志願者たちの狂騒。

 地面が砕かれている。それだけじゃなく、私の腰は砕けて、心も砕けている。どうしようもない。悪が、悪を倒しただけのこと。悪がのさばるこの状況下、彼のことは、ウォルクのことはなんといえばいい。ただの悪ではない。――巨悪だ。

 強いなんてもんじゃない。

 こんなのが、あと九人もいるのか。彼が序列的に何番目かは分からないけれど、魔王の子どもが同じぐらいの領域にいることぐらいは私にも理解できる。私なんかじゃ手も足もでなかった相手を、ねじ伏せた。あの《竜帝族》の偽者は手も足も出せていなかった。

 怖すぎる。どうなったのだろうか。あの、村人は。私に助けを求めながら、私を罵倒したあの村人は、生きているのだろうか。死んでいないだろうか。もっといえば――――殺されていないだろうか。

 思い出す。

 ウォルクは返り血を浴びていなかった。どこにも血など付着していなかったように思える。だが、それがなんだ。ウォルクは近距離攻撃しか持っていないわけではない。遠距離攻撃もできる。それは、私が知っている。

 よりにもよって魔王の子どもに助けられた私は知っている。

 彼が本性を剥き出しにして登場した時に、かなり距離が離れているのに偽シエラを吹き飛ばした。あれは、拳の圧力。もしくは溢れ出る己の魔力を塊にして、それを銃弾のように打ち出したといったところか。あまりにも速すぎて私には知覚することさえできなかった。偽シエラに首を絞められていたせいで、視界の範囲が狭まってはいたけれど、仮に視界が全開だったとしても、見極められなかっただろう。

 何故なら、見えないのだから。

 無色透明の不可視の力。

 私でさえどうにもできないのだ。魔法のまの字も知らないような村人がどうにかできるような代物じゃない。遠くからまるで蟻でも潰すように殺せたはずだ。笑いながら殺せたはずだ。そして、それはきっと、私も同じ。彼にとっては、魔法が使えない村人と、魔法が使える勇者の子どもである私も同じ下等生物に違いない。弱い奴としか思えないかもしれない。

「さて、と……」

「――――っ!」

 自然と、距離を取る。まだ傷は完全に癒えたわけではないが、さっきよりは大分よくなっている。動ける。正直、動いたところで、距離を取ったところで、何の意味はない。むしろ、私の武器の剣が届かない位置に移動することによって不利になっていると分かっていても、どうしようもなかった。

 ただの本能だった。

 まるで小さいモンスターが自分よりも上位のモンスターに怯える時のように、眼前の敵が小さな挙動を起こしただけなのに、大げさに動いてしまう。動いて、動けなくなってしまう。萎縮してしまっている。飛びのいた後、身体が思うように動かない。本当だったら、もっと身体が動くように、相手の攻撃に即座に反応できるように準備しなければならないのに、それができない。

「なんだよ、傷つくな、その反応。どっちかって言ったら、俺の方が怯えていると思うよ、あんたにはな」

「どういうこと?」

「どういうこともなにも、俺の親を袋叩きした子どもなんだから、警戒したっておかしくないだろ?」

「ま、魔王の方がよっぽど怖いでしょっ!! だから、みんなで協力して倒したんじゃないっ!!」

「……その結果、世界はどうなった?」

「それは――」

「魔王が統治していた方がよっぽど争いは少なかった。お前らが魔王を殺したから、世界は混沌へと堕ちていった! 違うか!?」

「そんなの、ただの結果論でしょ!! 恐怖で縛られていたのは事実だよ!!」

「恐怖じゃなきゃ、どうしようもないだろ? どうやってみんなを縛る。決まり事をたくさん作って、悪人が跋扈しないような体制でも作るしかない。だけど、それには時間がかかる。それまでは誰かが悪にならなければならない。誰かが汚れ役を買ってでなきゃいけないっ!! 俺の父親はそれをしていたんだっ!! 誰もがやりたくないことを、誰もが匙を投げたことを、オヤジはやってくれていたんだっ!!」

 狂気に近いような叫びを受けてゾっとする。こいつはどうしようもない。やはりさきほど感じた予感は的中していた。こいつは巨悪だ。どうしようもない。言葉など通じない。

 確かに言っていることは正しいけれど、人間にとって魔王は悪なのだ。それ以外の何物でもない。それ以外形容しようがない。私の親は魔王によって殺されてしまったのだ。それ以外にも大勢の人が殺されたのだ。人だけでなく、他の種族も、みんな。そうだ。そんな風に私は色んな人から教わったのだ。魔王は悪だと。そして、その子ども達も悪だと。そうだ。そうに違いない。そうでなければ、一体、私は何を恨んできたのというか。いまさら全てをひっくり返されても、どうすればいいのか分からない。

 私の夢が潰えてしまったら、どうすればいいのか。私に残っているのは命しかない。どうしもなく価値のない、この命を捨てることぐらいしかない。

「……それで、あなたは、あなたの目的は魔王になることなの?」

「いいや、違う。俺は魔王になんかなりたくないからな……」

「じゃあ、一体何、何が目的なの?」

 怖い。怖いけれど、何も知らない怖さよりも、何かを知った時の怖さの方がよっぽどましだと思った。だから、質問した。質問してしまった。

 言ってから、言った後から私は後悔してしまった。彼の狂った思想を聴いてしまった直後に――。


「俺の目的は――――自殺することだ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る