07.シエラと奴の子ども。

「魔王の娘? お前が、お前がっ!!」

 私は我を忘れて地面を蹴るが、眼前のシエラが口から火球をだして迎撃してきた。

「――うっ!」

 走る速度を緩めることなどできない。足のつま先に力を入れてなんとか急停止すると、倒れこむようにして転がる。チリッ、と後ろ髪が焼かれるが、全身が炎に包まれるようなことにはならずに済んだ。

「どうしたの? お得意の『魔法剣』とやらは使わないの?」

「――っ、言われなくてもっ!!」

 余裕綽々と言った様子で見降ろしてくるシエラの安い挑発に乗ってやる。魔法で構築する剣でシエラの身体を突き刺す。相手が誰であろうと関係ない。いくらシエラが《竜帝族》で、固い鱗によって皮膚を守っていても容易く貫く。

 ただの剣ではないのだ。

 鉄すらも切断することができる代物で、仮に相手が炎を吐いてきたとしても両断してやる自信がある。相手だって観ただけである程度の魔力が凝縮されているか分かるはずだ。それなのに、先ほどから一歩も退かずににんまりとした不愉快な笑みを絶やそうとしない。その油断、命取りだ。

「えっ!!」

 口から驚きの声が零れ落ちる。

 絶対的自信を打ち砕かれたのは私の方だった。相手は一歩も動いていない。それなのに、刃は相手の皮膚に傷一つつけることすらできていなかった。

 ……どういうことだ。

 分かっていたはずだ。私が殺そうとしていた連中の強さなど。一騎当千の力以上かもしれないほどの猛者たちであることぐらい。世界を支配しきっていた親の子どもだということぐらい。十二分に知っていはずだ。心にとめていたはずだった。相手は、最強であるということぐらい。

 だが、これほどなのか? どんなものだって真っ二つにしてきた私の剣が、まるで効いていない。どうして、いったい、どうして?

「……うっ」

 よくよく見ると、光を集束させて創造した『光の剣』が、黒い影のようなものに纏わりつかれている。一度消失させ、新しく造りだしてもすぐに黒いものがとぐろを巻く。どういうことだ。こんなこと初めての経験だった。

 これ以上安易に試すことはできない。無駄に魔力を消費することになるからだ。

「私の眷属である蛇の呪い。その剣、もう魔法付与の効果はあまり期待しないことね。それに、太陽の加護もない。あなたができることは、逃げることだけだった。それなのに、無謀なのよ。あなたがやっていることは……。そんなに、村人によくしてもらったの?」

「そんなわけ、ないでしょ」

 光を集めた剣といっても、轟々と燃えている周りの炎の灯から光をもらうわけにはいかない。自然の太陽の光でないとちゃんとした『光の剣』を構築することはできない。だから、もう、どうしようもない。呪いをかけられたこの剣のままで戦うしかない。

 便利な呪いだが、永続的に続くわけではないはずだ。強力な魔法ほど、その持続性は低いはず。効力は一日も持たないはず。それか、目の前のシエラを斬り殺してしまえば解除される可能性が高い。

「――ただ、あなた達を殺すことだけが生きがいなだけ」

「親の敵討ちってわけ?」

「それしかやることがないからね」

「――思ったよりもつまらないなー。どうしてもっと激昂してこないの? 親子の絆の力を見せてくれると思ったのに、がっかり」

「そっちだって、私に恨みがあるからきたんじゃないの?」

 シエラは少女に似つかわしくない、残忍な笑みを浮かべる。


「ううん、暇つぶし」


 嘘や適当な言葉を並び立てているわけではない。本心から出た言葉なのは表情を見れば分かる。これだけの建物を燃やし、人間を殺し、村を滅ぼしたというのに、出てきた言葉がそれか。考え方が根本的に違う。これが、たくさんの人間を殺しても、蟻を踏みつぶしたぐらいにしか思わない存在の考え方か。

「宣伝っていう表向きの理由もあるけど、一番は暇つぶしかな。まさか、本当に勇者の子どもがいるとは思わなかったからね。勇者と魔王は相打ちで死んだ後、勇者の遺族は全員殺されたと思っていたから。まさか、親戚を殺して子どもを殺さずに残しておいたなんて。掃討戦に参加した私の部下は皆殺しにしなくちゃ。失態だよねー」

「…………」

「どうしたの? 私の残虐さに萎縮したのかしら?」

「胸糞が悪くなっただけだ」

 付き合いきれないとばかりに吐き捨てると、シエラの背後に一瞬で移動する。

「なっ――」

 転移系の魔法を使えるわけではない。ただ超速度で動いただけだ。何も、切れ味の鋭い剣を生み出すだけが、私の魔法の全てではない。全身の身体能力の向上などはできないが、魔力を一瞬だけ一点に集中させて向上さシエラことはできる。今回は足の裏に魔力を集中させて、爆発的な脚力で相手の死角に回ったのだ。そのことによってまるで消えたように、シエラは見えただろう。私の姿は未だに見失ったままだ。もらった。その首、もらいうける。

「くっ!」

 だが、止められてしまった。金属と金属が激突するような音が響く。シエラはこちらを見向きもせずに、尾だけで私の剣を止めてしまっていた。炎にゆらめく影によって、私の居場所を察知したらしい。なんて冷静で、咄嗟の判断力のある奴だろうか。これが、戦闘経験の差というやつなのか。経験値だけならば、私はこいつの足元にも及ばない。

「速度が段違いに上がったからびっくりしたけど、背後からの攻撃はいただけないね。そっちは私の尾があるんだから」

 ブゥン、と尾を振るわれただけで、私の身体は吹き飛ばされる。足を地面に擦りつけてなんとか速度を落とそうとしても落とし切れない。私は、そのまま壁に背中を強打する。

「うっ、ぐっ!」

「貧弱な《人間族》とは生まれたから差があるんだ。勇者なんてとんでもない異物が生まれ落ちたせいで、人間は淡い希望を持つ。私達に抗おうとする。――そのせいで、たくさんの人が死んでいるっていうのにね……。全部、あなたの親のせいだよ」

 つ、強い……。歯が立たない。こんなにも強いのか。立ち上がることすらできない。もう、剣を握ることさえも。

 そんな私に慈悲を与えるわけもなく、首を絞められる。巻きついてきた尾の鱗が逆立ち、刃のようになっている。そのせいで、首を絞められているだけで、血が滲む。切り刻まれるように、傷跡が刻印される。もがけばもがくほどに傷つく。


「うううっ!」

「死んで詫びなきゃね」

「……ぐっ!」

 拳で叩くが、こちらが傷つくだけだった。怯みもしない。そこらに転がっている剣が消えてしまう。もう、魔力を固定することもできない。目が霞んできた。血液が手にいっていないせいか、感覚がなくなってきた。もう、何も考えられない。感じるのは命の終焉。足をばたつかせながら、涙を流す。

「無駄、無駄。だから今すぐ死になさい」

 死ぬのは怖くない――はずだ。それなのに、どうして涙を流すんだろう。そんな風にしょうもないことを疑問にしながら確実に死んでいく。意識が闇に落ちていく。


 ドガァ!! と、首を絞めていた尾が爆散する。


 私じゃない。私は何もやっていない。ここには生存者なんていないはずなのに、シエラの立派な尾からは、大量の血が冗談みたいに噴射される。私がどれだけ傷つけようとも無傷だったものを、完全に粉砕している。何も見えなかった。だけど、破壊された跡や、破壊音によって分かることは、ただの一撃。何度も何度も攻撃を重ねてようやく破壊したわけではない。ただの一撃で、《竜帝族》の頂点に君臨する者の尾を壊したのだ。

 そんなこと、ただの人間にできるはずがない。どうしようもなく隠しようのないほどに、化け物だ。

「――――なっ!」

 ヒュンッ、と挙動を感じさせずに、シエラに接敵する影があった。視界の端で捉えたが、私よりもさらに早い動きだった。とんでもない力ととんでもない速度。遠距離から攻撃したことから考えても、魔法を使ったことを彷彿される。……ますます、この村の生き残りとは思えない。こんなことができるのはきっと、同類。人間じゃないのならば、《竜帝族》のお仲間ぐらいなものだ。その同類は、握った拳をシエラにぶつけ、ブッ飛ばす。

 私が転がった時よりも転がったシエラは、頭から血を流しながら顔だけ上げる。

「げほっ、がはっ!! だ、誰っ!?」

 こんなことができるのは人間なんかじゃない。そう思っていたのは間違いだったのかもしれない。いくら私に才能がないとはいっても、勇者の子どもなのだ。その血統は魔力量を絶対なるものにした。他の人よりかは確実に強いと言う自負はあった。他の種族の王に比べればごみ同然だというのを除けば、私はそこそこ戦えるはずだった。人間という範疇においては。

 だから、私は目の前にいるそいつの存在が信じられない。私を助けてくれたそいつは、ただの人間にしか見えなかったのだから。

「やれやれ。まさかこんなところで《竜帝族》に会うことになるなんてな」

「に、人間!? たかが人間ごときに、私の尾がっ!! 貴様ッ!! 何者だっ!!」

 そいつのことを、私は知っている。知っているはずなのに、知らなかった。こんな姿は見たことがない。まるで別人だった。人が変わったかのように形相が違い、まるで、何人も平気で人間を殺してきた殺戮者のようだった。


「俺の名前はウォルク。十人いる魔王の子どもの一人だよ」


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