06.敵討ち。

 木の隙間を縫うようにして疾駆する。風のような速度で到達した村で一番最初に目撃したのは、炎。村は燃え上がっていた。叫び声が聴こえる。赤ちゃんの泣き声が聴こえて、そして止んだ。今、死んだのだ。建造物のことごとくが倒壊し、死人の山ができあがっている。阿鼻叫喚。破壊の爪痕が拡散していっている。

 手遅れだ。

 もう、この村はどうしようもなく死で溢れかっている。残酷なまでに弱肉強食のこの世界の体現。終焉を迎えている。

 私は、あまりにも無力だ。

「くっ!」

 走る。どこかにまだ生きている人がいないか、まだ、私に助けられる人はいないか。それを邪魔してくるのは、蛇。小さい蛇が束になって襲い掛かってくるが、そんなものはものの数ではない。速度を落とすことなく、屍にしていく。剣が返り血で装飾されていく。

「タスケ、タスケテ」

 声が聴こえた。瓦礫の奥から漏れ出るようなその声に気がついた私は、光を剣に集める。太陽は沈みかけだが、まだ余力はある。フン、と横なぎにすると、瓦礫の山は真っ二つになって上半分が消滅する。

「だいじょ――」

 人の死には慣れたはずだった。いつだって人間の死を目撃してきたはずなのに、思わず口を覆ってしまった。生きている。生きているけれど、それだけだ。こんなこと思ってしまってはいけない。私がそんなこと思ってしまった人間のクズでしかない。それは、分かっているけれど、死んでしまった方が幾分かましな気がする。楽になって欲しい。

 ヒュー、ヒュー、と器官が壊れたような呼吸音が口から吐き出される。全身はまるで炭のように真っ黒で、胸の膨らみで男性であるということは分かるが、それだけだ。どんな顔をしていたとか分からない。しかも、下半身が瓦礫で潰されてしまっていた。どうあがいても助けることができない上に、このままでは苦しませるだけだ。砂時計のように命が削られる間に、瓦礫の重みが乗りかかっている。

 苦しんでいる。だから助けてあげよう! と短絡的に瓦礫を身体から取り除いたとしたら、それこそ終わりだ。瓦礫が蓋代わりになっている。もしも瓦礫がとれたら、血液が大量に溢れる。そうしたら、完全に死んでしまう。その瞬間、絶命してしまう。

「私は、何もできない。してあげられない」

 私は戦うことしかできない。死にかけの人間を治療できる魔法や、死体を操る魔法だってこの世界には存在するらしいけれど、私が持っているのは敵を傷つけるための魔法であって、弱い人を助けるための魔法はないのだ。できることといえば、できることといえばたった一つしかない。

 ガタガタ、と抜身の剣が震える。手が、言うことを聴いてくれない。ボロボロと瞳から涙が流れ出している。なにを、なにをいまさらになって怖がっているのだ。呻いている。もう、人間の原型をなくしてしまった人が、今も苦しんでいるのだ。それに比べたら、私の心の傷みなんてちっぽけなものだ。この涙は、自分が可愛いくて流している涙なのだ。ふざけるな。我が身かわいさの同情心なんて、何の役にも立たない。

「私が、私がやらなきゃ、この人を――――殺してあげなきゃ」

 死は救いを与えることだってある。ほんの少し、あと少し。苦しもうが生きていればきっとその人は幸せなんだよ、とかそんな訳知り顔で言う人は、きっと死の淵に立たされたことがないのだ。ほんとうに死にそうな目に合った時は、誰だって死にたいと思ってしまうものだ。少なくとも、私はそうだ。自分の身の丈をまだ知らずに、実力無き時に、私はそれを思い知った。殺してやりたい奴の一人と邂逅した時に、大いに痛手を負った。あれからかもしれない。私が、自分の死を考えるようになったのは。この世界の不条理はいつだって死と隣り合わせだということに。

「あああああああああああっ!!」

 叫びながら、心臓へ剣を突き刺す。この感触、忘れない。忘れてはいけない。私が殺してしまった人間の命が散ってしまうこの感触を。

 モンスターや他の種族を殺したことはあっても、同じ種族の人間を殺したのは初めてだった。こんなことが一回で終わるとは思えない。他にも死に体の人がいるのならば、その度に、私は死神の鎌を振るわなければならない。命を終わらせるための執行者。そんな資格、私にあるのか?

「うあっ、あああああっ!」

 膝から崩れ落ちる。ここまで自分が取り乱すとは思わなかった。今も、世界中でたくさんの人間が死んでいる。人間だけでなく、他の種族だって。この一瞬で、何人もの人が死んでいる。それなのに、目の前でたった一人が死んだだけで、こんな狼狽せずともいいはずだ。私は、そうなることを選んだはずだった。無力だったから。どうしようもないからと諦観することを決めたはずだった。

 でも、やっぱり目の前でこんな惨劇をみせられたら、狂いもする。もっと、私が早く駆けつけていれば、もっとこの村付近の家に住むことを決意していたなら、犠牲をゼロにすることは不可能だったかもしれないが、抑えることはできたはずだ。

 どれだけ死者を見ても俯瞰でいれると思っていた。そういう立場じゃなきゃ、あの人の子どもとは言えない。親だっていくらでも犠牲を眼にしていたはずなのだ。それなのに、やっぱり私はあの人の子ども失格だ。


「……へぇ。あんたが勇者の娘?」


 ねっとりとした口調は、まるで獲物を前にした舐めずりする余裕があるからか。明らかに敵意の感じる殺気を放つ少女に剣を向ける。

「……誰? 私のことをどうして知っているの?」

「んー? その辺に転がっている消し炭に訊いたんだけど? まさか、噂は本当だったんだね。あんたみたいな奴がこんなところでひっそり生きているなんて思いもしなかった。どうせ、あの大戦で死んだものだと思っていたから」

「…………」

 彼女は人間ではないことは明らかだった。尻から長い尾が伸び、逆立つ鱗が肌に生えているところから、彼女が《竜帝族》であることは間違いなかった。……どうやら、私の早合点だったらしい。ウォルクはこの事件の黒幕ではない。黒幕は、眼前にいる少女だ。《竜帝族》の上位に位置する者は、竜や蛇を操ることができる者がいると耳にしたことがある。選ばれたものの能力。しかも、あれだけ多くの蛇を操って人々を襲ったのだ。かなりの実力者であることは手を合わさずとも窺い知れる。

 油断はまったくといっていいほどできない。《人間族》は他の種族よりも手先が器用で、高性能の武器を作ることができるけれど、他の種族は身体能力が高い。

 だから、素で強い。

 生まれた時から運動能力に差があるので、基本的に《人間族》が虐殺されることが多いのだ。魔法適性だって他の種族の方が上ということが多い。人間は基本的に負けてしまう。たまに、世界を救う勇者なんていうありえない人間がでてくるが、あれは本当に奇跡みたいなものだ。あんなのがゴロゴロいるわけがない。

 私の親は私が小さい頃から、世界で活躍していた。

 誰からも尊敬されていて、誰からも認められていた。でもその光に満ちた影に、私はいた。いつだって親と比較された。偉大なる親の前じゃ、私は平凡だった。――平凡だったら、よかったのに。家族さえ平凡だったら、私はこんなに苦しまなかった。自分に劣等感を覚えずに生きていられた。息苦しさで死にそうな想いをせずにすんだ。でも、生まれたものはしかたがない。頑張るしかない。

 頑張って、頑張って努力して、その結果は伴わない。平凡な家庭に生まれた人間は頑張れば褒められるのかもしれない。頑張りさえすれば、自分がどれだけ平凡でも自己満足できるのかもしれない。

 でも、私は違った。

 周りがそれを赦してくれなかったのだ。

 少しでもミスを、いや、ミスをせずとも雲霞の如く人々が押し寄せてきた。そんなこともできないのか。お前はどうして親のように有能ではないのか。そんな、戦争中に何もしないで暇そうにしている連中に、よく努力の邪魔をされた。

 他人の粗を見つけられる人間はきっと、自分の粗を見つけることを放棄している人間だ。自分自身の弱さと向き合いたくないから、誰かを責め続ける。人間ぐらいなものだ。こんなにも陰険なのは。他の種族は、互いが協力して生きようと必死なのに、人間だけは仲間内で争い続ける。だからきっと、一番弱い種族なのだろう。

 私の親が健在の時だけは一致団結していた。

 だけど、私の親が死んだその後は、誰が責任者なのかを探ることだった。

 私は、別に親のことが好きではない。

 むしろ、幼い私を置いて、魔王を倒すために仲間集めの旅に出かけた親だ。世界ではどれだけ立派な救世主かはしらないが、好きになることはない。むしろ、憎んでもおかしくない。私よりも、世界の平和を選んだのだ。それはきっと正しいことなのかもしれないけど、当事者たる私からすれば、心なき人だ。冷徹で計算高い人間だ。

 ――それでも、それでも、私は自分の親に同情を禁じ得なかった。

 

だって、世界を救ったはずの勇者が、袋叩きの標的になったのだから。


 人間が辛くなった時にすることは、みんな共通の敵を作ること。でも、それにはいくつか条件がある。それは、巨悪でなくてはならないということだ。お金を持つ者、権力を持つ者、力の強い者。とにかく、誰もが羨み、妬むことができる、それなりの地位にいるものをやり玉に挙げる。なんでもいいから標的としてでっちあげる。そうすれば、雪だるま式にみんなの悪意は増大していく。

 だから、私の親は都合が良かったのだ。

 たとえ、世界を救ったとしても、世界に恨まれるのだ。ほんとうだったら、魔王の息子たちを恨むべきだった。息子たちが今の世界を支配しているのだから。どうしてそれをしないのか? だって、怖いから。だって、勝てないから。みんな、分かっているのだ。叩いていい相手と、叩いてはいけない相手を。そんなことしたら、一族みんな殺されてしまう。子孫が残せなくってしまう。ああ、だから、仲間であるはずの人間を叩こう。そうだ、そうだ。自分達の無能さを棚に上げて、たくさんの人達を救ってきたはずの、世界を救った筈の勇者のせいにすればいいんだ! そんな思想が拡散した。そして、それは現実のものとなった。

 誰もが勇者を叩いた。死んだ人間だ。弁解なんてできるわけもない。何もかも、家庭すらも捨てた人間は死んだ後に、全ての責をとらされた。

 勇者が、抑止力である魔王を殺したせいで、世界は戦乱の絶えない暗黒の時代になってしまったと、言われ続けた。そして、勇者の娘である私も、批難の対象の中にキッチリと含まれていた。お前がしっかりしなきゃいけない。お前が世界を救わなきゃいけないんだよ、と、モンスターと一度も戦ったことすらない人たちに後押しされた。責任をなすりつけられた。

 もしも、正義の味方になって世界を救ったとしても、親と同じ結末を迎えてしまうかもしれない。どれだけ命を張っても、全ては無意味になる。助けた人間達に裏切られる。裏切った罪悪感も覚えずにのうのうと生き残る。そういう悪態をつくやつほど、しぶとく生き残るように世界はできている。

 こんな世界、守ったところで何の意味があるというのか。力なき私には、親がやったことの意味が分からなかった。憐みしかない。

「……よかった、本物みたいね。偽物だったら、その名をもっと騙るだろうから」

「目的は――やっぱり私?」

「当たり前じゃない。――まさか、勇者の子どもがまともな人生を送れると思った? あなたは今やこの世界の敵なのよ」

「そんなの知っている……」

 親もおらず、中途半端な力を持った勇者の子どもは、村人たちと一緒に暮らすことになった。――けれど、輪に入れてもらうことはできなかった。全ての責人がまるで私にあるかのように――自分達が勇者に魔王討伐をけしかしたことをきっと思い出さないために、私を責め続けた。

 そんな、村人たちさえ私の敵なのだ。他の種族だって、私が勇者の血を引いているから危険視している。どれだけ力がなくとも、もしかしたらいつの日か覚醒するかもしれない。脆弱なはずの《人間族》からあれほどの異物が生まれたのだ。化け物じみた勇者の、その子どもも殺さなくてはならない。

 村人たちが近くに住むのを許可したのが不思議なくらい、私は世界から狙われていた。私の敵は昔から世界そのものだった。でも、だからといって村人たちに感謝しているわけではない。昔は訳が分からなかったが、ある程度年齢を重ねて分かったことがある。村人たちは善意で、私に居場所をくれたわけではない。私が傍にいてもいいと暗黙の了解をとったのは――――いざという時、私に守護者になって欲しいからだった。

 村人たちは魔法が使えなかった。貧窮していて、用心棒を雇う金がない。そもそも、こんなちっぽけな村のために、わざわざ都から騎士殿が来るはずもない。村を離れる度胸もない。だから、私に白羽の矢を立てた。あいつなら、金は要らない。いざという時に、守ってもらおう。私達は何もできないしやりたくもない。傷つくなら、あいつだけでいい。そんな風な思惑があったのだ。だから、私は生かされた。私は居場所を与えられた。利用価値があるから、ここにいられたのだ。そう、この世界に、私の味方になってくれる者などどこにも存在しない。

「――それじゃあ、あなたは私の敵の一人ってこと?」

「敵も敵。あなたは私の親を殺した人間の娘なんだから」

「…………やっぱり、そうなのね……」

 私は殺してしまいたかった。親の仇の魔王を。でも、死んでしまった。正直、顔すらまともに憶えていない、あの親のことを私がどれだけ想っているのか、そんなの量ることなどできないけれど。それでも、私は誰かに八つ当たりせざるを得なかった。

 私だって、村人たちを責めることなんてできない。だって、私だって同じなのだ。私だって、この悲しみの根源を突き止めたかった。誰のせいで、一体誰のせいで私はこんな酷い目に合っているのかを知りたかった。やっぱり、それは魔王だ。この世界を支配していた魔王だ。

 あいつが全ての原因で、そしてそいつが死んだ今、贖いの機会は祖先に託されたのだ。


「私は魔王の娘。――《竜帝族》のシエラ。十分割された世界の一つを統べる王よ」


 さあ。

 親の仇同士の殺し合いの始まりだ。

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