03.ウォルクと夢を持つ者。

 大蛇のモンスター。

 それを斬ると、体内から男がでてきた。

「いやー、まいった、まいった。ほんとうに死ぬかと思いましたよ。流石に今回ばかりは……」

 笑っているが、笑いごとじゃない。

 もしも私が大蛇を倒さなかったら、胃の中で今頃消化されていただろう。というのに、けっこうリラックスしている。

 自分のことなのに、どこか他人事。

 こういうタイプの人間の相手はあまり得意じゃない。ひょうひょうとしていて、自己責任とかの欠片も見出せそうにない。というか、どういう人間性であっても、大蛇から出てきた人間にどんな接し方をすればいいのかなんて分かるはずもない。

「しかも、井戸やこの服までお借りして。ほんとうに至れり尽くせりですよ」

 まあ、あのネチョネチョの体液のまま家にあがらせるわけにはいかなかっただけだ。

 汚れたところは洗い流させ、私の服を貸出したおかげで、今は普通のかっこうになっている。彼の服は洗って干している。

 茶髪の短髪。

 童顔。

 細見で、手足が長い。

 身長は私より少し上といった感じで、男性の中じゃそこまで高くないほう。

 顔はまあまあ整っている。

 そして名前は、名前は――

「ああ、すいません。名乗るのを忘れてしましたね。ウォルク。それが僕の名前です。ありがとうございます。助けてくださって」

 こちらの心を読んだかのように自己紹介してくれる。

 なんだろう。

 私は別に博愛主義者というわけではない。それなのに、身元不明の、どこからどうみても怪しげなこの人間を助けてしまっていた。たまたまだった。だからそれまではいい。だけど、こうして色々と世話をしてしまっているのは何故なのか。

 知り合いですら平気で裏切るこの時代。

 赤の他人なんて、信用に値するわけがない。

 何かあっても、このぐらいの相手、私だったら即座に倒せる。

 そんな確信があるにしても、どうしてここまで――。

 きっと、それは飢えていたから。

 他人というものに。

 人と接するということに。

 こんな殺伐とした世界。

 非力な者達は隠れて生きている。ずっと、そのまま生き続けることができる人を、嘲笑する人もいる。

 だけど、私はそんな人たちを尊敬している。

 だって、私はそんなに強くないから。

 一人で生きていけるほど、私は強くない。

 たとえ、目の前にいる人間が悪党だったとしても、そんなものは今の私には関係なかった。言語の発することができないモンスターではない限り、私はきっと、久しぶりにあった者が誰であってもこんな風に笑顔を隠すのを我慢するのに苦労しただろう。

「私の名前はエリーゼよ」

 わざとそっけなく答える。

 それなのに――

「へぇ。いい名前ですね!」

 と、なんとも明るい声で、人懐っこい顔をしながら笑いかけてくる。

 それが、たまらなく不愉快だった。

 そんな風に接してくれる相手を、ずっと心のどこかで待ち望んでいたはずなのに。それなのに、いざ目の前にこうも都合よく現れてしまうと受け入れがたいものがある。

「……それで? どうしてあなたは蛇の腹の中にいたの?」

「いやー、特に大した理由なんてないんですよ。なんだか森で迷っているうちに襲われたんですよ。パックリ、と。いやー、まいっちゃいますよねー」

 ははは、と陽気に笑っているウォルクは、どこか他人事のように話している。どうやらこの人は大物のようだ。それか、ただの馬鹿か。

 どちらにしても、つかみどころのない人だということは、間違いない。

「まさか、散歩でもしてたわけじゃないわよね? この森がどれだけ危険か、この辺の人は誰だって知っているだろうけど、あなたの装備は旅人のもの。知らなかったから、この森にきたっていうの?」

「まあ、旅の途中ですよ。だけど、別に適当に散歩していたっていうのもあながち的外れってわけじゃないですね。ただ、普通の散歩は目的がないことでしょ? でも、目的があってこの森にきたんですよ、僕は」

「――目的?」

 訊き返した瞬間。

 急にウォルクは眼を眇めた。

 その目つきは、まるで別人のようだった。

 スッ、と周囲の温度も、氷魔法でも使ったように下がったような気がする。

私はそのギャップに動揺してしまった。だけど――


「『深淵の谷底』への近道です」


 その一言で、さらに動揺してしまった。

 本気で言っているとしたら、正気を疑ってしまう。

「は、はあ? もしかして、あなた――『闇の大陸』へ向かうつもりだったのか? 一人で?」

「ええ、そうです。僕の目的地は闇の大陸なんですよ」

 闇の大陸。

 光の一切ない大陸と呼ばれている。私も話に聴いただけで、ちゃんと足を踏み入れたことなどない。

 何故ならそこは、《魔人族》の総本山。

 魑魅魍魎が跳梁跋扈する地獄。

 世界で最も危険な場所といわれている。

 そんなところに足を踏み入れて無事でいられるはずがない。十種族で最もか弱い存在である《人間族》など、闇の大陸に足を踏み入れただけで即座に殺されてしまうだろう。

 そもそも、最果ての地にある闇の大陸。

 ここからそこに至るには、闇の大陸以外――九つの大陸全てを踏破しなければならないことになる。

 こんなところで死にかけている人間が、闇の大陸にいけるはずがない。

 闇の大陸に――その最も奥深い底の底である深淵の谷底に至れる人間なんて、きっと、勇者しかいないのだ。

「――死ににいくようなものよ」

「そうかもしれませんね。でも、それでもいいんです。なにもしないよりかは、絶対に――」

「どうして、あなたは行くの? まさか、闇の大陸に親戚でもいるんじゃないわよね」

「そういうことじゃないんです。――実は僕――」

 フッ、と力なく笑うと、


「あまり、長くないんです」


 くしゃり、と吹けば飛びそうな紙屑のように顔を歪める。

「長くないって……。病気、なの?」

「まあ、それに近いようなものでしょうか。不治の病みたいなもので、誰にも治せないんですよ。残り少ない人生、どうやって過ごそうかずっと悩んでいました。――そして、ようやくその答えをみつけたんです。僕は僕自身の分身をこの世に残そうと……」

「――分、身?」

 言っている意味が分かりづらい。

「質問があります、エリーゼさん。どうして、人は子どもをつくると思いますか?」

「ど、どうしてって。特に理由なんてないんじゃないの? ただつくりたいからつくるんじゃないの?」

「そうですか? 子どもなんてつくる意味どこにもないじゃないですか。メリットなんてほとんどない。年老いた自分の世話をさせるためぐらいしか、ね。――でも、ちゃんとした理由が本当はあるんですよ。――それは、自分の分身をこの世に残す。――そのためです」

「…………」

 急に言われても、はいそうですとは答えづらい。

 あまり考えたことなどなかった。

 子どもをつくるような年齢でもないし、そんな相手もいないし、それになにより、私には家族が、母親が、もういないのだから。

 だからこそ、子どもがどんな意味を持つのかなんて考えたことなどほとんどない。

 だけど。

 この人は、きっと考えぬいているのだろう。

 戦争時。

 たくさんの人間が死ぬその時。

 実は、出生率は跳ね上がるらしい。

 それは、人間の本能なのか。

 自分という分身を、自分の意志を受け継いでくれる人間をこの世に残したいと、そう思うからなのだろうか。

 最後の最後に、人は人を生み出そうとするらしい。

 ウォルクは、きっといつだって死と向き合っている。

 いまでも、たくさんの人が死んでいっている。だから、誰もが向き合っているだろうけど、きっと、死に近いウォルクは誰よりも自分の死について考えているのだろう。

 死んだあとのことを、考えているのだろう。

 それは、どれだけ辛いのだろうか。

 きっと、私には一生分からない。

 私が同じ状況になったとしても、こんな風に笑えるのだろうか。

「人はいつか必ず死にます。ですが、それは本当に怖いことです。ほんとうだったら、不老不死になりたい。だけど、そうもいかない。だから、自分の意志を引き継いでくれる存在を欲するんです。本能で、ですが。だから人は子どもをつくるんです。自分の分身をこの世に残すんです。――でも、残念ながら僕にはそんな縁も、資格もない。だから、僕なりの子ども、分身をつくりたいと思ったんです」

「あなたなりの分身って?」

「これですよ」

 がさがさと、なにやら手持ちの鞄から取り出す。

 それは――

「……本?」

「ええ。僕は冒険作家なんです。駆け出しですけどね。――あっ、ちなみにこれは僕が執筆した本じゃないですよ。僕が尊敬する作家さんの本です。僕が今書いているのは、これです。まだまだ始まったばかりですけど、やっぱり本を書くのは楽しいですよ!」

 彼が先に取り出した分厚い本に比べて、まだ数枚の紙しかない。

 確かに、書き始めたばかりのようだった。

「冒険作家っていうと、あの、自分が体験したことを本として世に発表する作家のことよね?」

「ええ。そうです。もちろん、人によっては完全なる作り話を書いたり、読者が驚くように物語に脚色をいれたりするんですけど……。僕はできるだけありのままの出来事を書いていこうと思っています。――だって、その方が読者の心を揺さぶれると思いますから……」

 本、か。

 剣術や魔法。

 それらは生きるために必要なものだ。

 他には食糧だったり、睡眠だったり。

 生きていくのに必要なものは有意義だったり、やらなければならなかったり、とある。だけど、人が生きていくのに本は別に必要のないものだ。

 ただの娯楽の一つだ。

 確かに、昔の人の考えや知識を吸収するのは、とても大切なことだ。だけど、私は活字というものがあまり好きではなかった。

 教えられるものならば、口伝で十分。

 本など、読んでいて眠くなるばかりだ。

「そんなに本が好きなの? 正直、私にはよく分からないわね。確かに自分の分身を残したいっていうのは本能みたいなところがあるかもしれないけど、もっと穏やかに暮らすことだってできるはずなのに……」

「……ただ、死ぬのを待つ。きっと、それも選択肢の一つですよね。僕も、ある時まではそう思っていました。でも、僕の住んでいた場所は焼け野原にされたんですよ」

「……そう……」

 同情はできるが、別に珍しいことではない。

 魔王は勇者に殺された。

 あの日。

 誰もが幸福で平和な世界が訪れると信じたはずだった。

 それなのに、世界はより混沌へと堕ちた。

 絶対的支配者であった魔王が殺されたことにより、《魔人族》以外の九種族。

《人間族》

《耳長族》

《尖歯族》

《白羽族》

《妖精族》

《小人族》

《猫又族》

《竜帝族》

《虚無族》

 この種族たちの覇権争いが巻き起こってしまった。そして、世界はより争うようになってしまった。まだ小規模な争いが断続的に続いているだけだが、《魔人族》を逃亡したあの世界大戦よりもさらに大きな戦争が近い未来に起きることなど眼に見えている。

 そして、一番犠牲が出るのは、身体的に貧弱で魔力適正の低い《人間族》に決まっている。

 人間から勇者が生まれたのは奇跡。

 突然変異ともいわれている。

 他の種族に蹂躙されるに決まっている。

 大陸を自分達の旗の色にしたい奴らが、この《人間族》の住んでいる大陸に大挙として押し寄せてくるのも時間の問題。

 だが、正直、私には関係がない。というより、興味がない。

《人間族》がどうなろうが、もう――手遅れだ。

 何故なら、抵抗できる唯一の希望。

 勇者は、魔王に殺されてしまったのだから。

「生まれ故郷が燃やされて、僕の考えが変わったんです。僕は運が良くて生き残りました。でも、昨日まで話していた人達が、無残に死んでいった姿を見て思ったんです。僕の命は短い。けれど、それはある意味長かったのかもしれない。少なくとも、僕は彼らよりも長生きしている。僕は、彼らのようにモンスターに明日にでも殺されてしまうかもしれない。だとしたら、何もせずにいるよりも、自分の夢を叶えるために旅をしたいって……」

 ギュッ、と唇を縄のように引き締める。

「夢、ね。私にもあるわ……」

「それって、なんですか?」

 私は、人間らしい生き方をするのは諦めている。

 この深い、深い、人間などほとんど誰も入ってこないような森に引きこもっている私には、何もできない。

 それでも、夢ぐらいはある。

 決して叶わないことだと分かっているけれど、でも、夢は叶わないから夢なのだ。だから、この私の心に渦巻くどす黒い想いは決して間違いなんかじゃない。

「――殺すことよ」

「え?」

「私の夢は――魔王の息子たちを殺すことよ。――一人残らずね」

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