02.エリーゼと旅人。
チチチ、と鳥が鳴いている。
家の窓に差し込んでくる朝の光が、まだ寝ていたい顔にちょうど降り注ぐ。
「ん、んんん」
ギシギシと調子の悪いベッドを軋ませながら、膝立ちする。
欠伸を噛み殺しながら、窓を開く。
「うっ!」
開いた窓からは、清澄な空気が一気に流れる。
ちょっとした埃が巻き上がり、塞がれた目蓋がベリベリと剥がされる。
眼前に広がったのは、森。
町のはずれの森の一軒家。
お世辞にも綺麗とはいえない家だが、住んでいればそこまで悪くない。
ガラスに顔が映る。
パッチリ二重。
ボロ布を適当に縫った服。
寝相が悪かったせいでベッドの縁に顔が当たっていたのか、頬が赤くなっている。
女にしては短い髪。
手入れするのが面倒なので、たまに自分で切っている。
髪を切る専門の店もあるのだが、そういうのは利用したことがない。というより、他人と話すこと自体がここ数年ない。
人と話していないとどうなるか。
言葉を発せなくなる。
喉が張り付いたみたいに、あ、あああ、と肝心な時に何もしゃべれなくなってしまう。
もしかしたら、一生人間とは会えないかもしれないけど、まだ希望は捨てていない。
いつか、この森から抜けられるようになったら、他の人間と話せる。
だから、今日も無駄に独り言を言ってみる。
「あー、今日はどうしようかなー」
どうしようかなんて、決まりきっている。
何もしない。
やることといえば、まあ、その、生きることだ。
もしも、他人がいれば、助け合うことができる。
助け合って、一人一人の負担をへらして、それなりに充実した生活を送ることができるだろう。自分の好きなことを好きなだけやれるだろう。
確かに、人間関係のしがらみがあるかもしれない。
だけど、他人がいればいるほど、自由が手に入る。
そのことを、昔のエリーゼは分かっていなかった。
一人でいることこそが自由で、楽なことだと。
だけど、一人でいると寂しいし、そして、やることが多い。
一日中、生きるために何かをやらなければならない。
これはこれで充実しているといえるのだけれど、やっぱりどこか虚しい。
「さて、と」
寝間着を着替えてやることといえば、とりあえず顔を洗うことだ。
まだまだ完全覚醒とはいえない。
家を出ると、そこには鶏が二匹と、豚が一匹いる。
野生ではなく、飼っているのだ。
鶏からは卵を、そして豚からはお肉をいただく予定だ。
雄の豚しかいなくて、もしも雌の豚がいれば子どもを産ませたいところだが、そう簡単に手に入らない。
森には外敵がいるからだ。
魔物。
魔力を持った生物のことで、モンスターとも呼ばれる。
人間ならば、どんな者であろうと魔力を持っている。
が、生物全てが魔力を持っている訳ではない。先天的に魔力を得たモンスターは、魔力を持たない生物とは比較にならないほど強い。
普通、飼育などできない。
飼いならす者もいるらしいが、少なくともエリーゼには無理だった。
きっと、才能とか適正とかそういうものが必要となってくる。
「うんしょ、うんしょ」
家の近くにある井戸。
そこから水を汲むためには、滑車の綱を引き上げなければならない。
たっぷりと水の入った桶を井戸の縁に一端かけて固定し、そして顔を直接水面に当てる。
「ぶあああああああああ」
ブクブクと空気の泡を放出する。
何の意味もない。
両手で水をすくって顔を洗えばいいだけなのだが、それでは生活に潤いがない。たまには変化をつけなければ飽きてしまう。
だから、無意味なことに意味を見出してしまう。
それは、かなり虚しい。
「はあー、今日もいい朝だー!」
元気を出せば出すほど、後から反動で気分が沈んでしまう。
そんなこと、分かりきっている。
だけど、そうせざるを得ない。
それほどまでに、独り暮らしはしんどい。
「ご飯、とりにいかないとなー」
考えたくない。
何もかも。
あまり、外に出るのは好きな方ではないけれど、家にずっといても憂鬱になるだけだ。とにかく身体を動かしたい。何かに没頭していれば、何も考えなくていい。
「まだ木の実とか、モンスターの肉とか余裕はあるけど、やっぱり、何が起こるか分からないし、ご飯になるものを探しに行こうかな」
怪我や病気になって数日動けない状態になったらまずい。
氷属性の魔法はお世辞にも得意とはいえない。
天然の氷や近くの川を使って肉を保存するのにも限界がある。冷凍保存が難しいとなると、燻製にするのが一番。だが、そうなると、同じ味付けになってしまう。
やっぱり、なるべくなら毎日新鮮な肉を調達して、腐らないよう、その日の内に調理しておいしくいただきますをした方がいい。
そんなこんなで森の中を適当に散策していると、
バキバキッと木の枝を折りながら移動してきた大蛇と、正面から対峙してしまう。
「あ、あー、ああああああ」
ガクーン、と顎が外れたみたいに大口を開ける。
本当ならば出会いがしらに、はい、決闘始めましょう! と正々堂々戦うのはナンセンスだ。騎士じゃあるまいし、相手はモンスターならなおさら。
木々の影に潜伏しながら、ひたすら慎重に獲物が通るのを待ち続ける。
なんなら、一日中その場にいて、何も得ることがないこともある。
モンスターの足跡や食べ物の喰いカスなどを探して、その場所を張っていたとしてもだ。
それが、狩りとはそういうものだ。
あまりにも非効率。
暇があれば罠を作って設置することで、なんとか効率を上げようとしているがそれでも大変な回り道。
なのに、どうして、こんな正面からモンスターに会わなければならないのか。
あの大きさ、ただの蛇ではない、魔力のあるモンスターだろう。
運が悪いってレベルじゃない。
「や、やばいっ!!」
大蛇の、今見えているだけの大きさはその辺の木々の数倍。
全長は分からないが、相当のものだろう。
今まで出会ったことがないのが不思議なほど成長している。
ゆったりとした動きで、大蛇は後ろに首をそらすと、
一気に噛みついてくる。
「うわっ!」
バクンッ!! と木々ごと噛み砕く一撃。
なんとか上空へ跳躍して逃げられたが、ほんとうにタイミング的には紙一重。
もう少しで喰われているところだった。
あれは、恐らくかすっただけでも相当の傷を負ってしまう。
出し惜しみする余裕はない。
魔法を使って一撃で狩る。
「『光よ! 我が手に集まり破壊の形を成せ! この世の悪を滅ぼす剣。魑魅魍魎の跋扈を許さず輝きを見せよ! 共鳴せし我が聖なる剣の名は《極光聖剣》ッッッ!!』」
唱えるのは、魔法の詠唱。
詠唱を唱えなくても魔法を使えるが、魔法と唱えた方が威力は増す。より魔力を込められる。
手には、光を集束させて作った剣が、いつの間にか握られている。
氷魔法は苦手だが、光魔法は得意中の得意。
月のない夜や、完全なる闇の中では生み出すことができない剣だが、今のように光溢れる朝にはもってこいの魔法だ。
昼が一番威力上がるが、そこまで贅沢は言っていられない。
跳躍したのは、大きな蛇の影から逃れるためのもの。
魔力を全力で込めた剣を振り下ろすと、大蛇の首は簡単に真っ二つになった。
「ふぅ……。久々にこんなに魔力を消費した、かな?」
綺麗に着地すると、光の剣に鮮血がつく。
この血の汚れで、威力が減ってしまうので一撃で倒せてよかった。
拭えばいいだけの話だが、キレ味が良すぎるのが問題。触れるだけでスパッと指が切れてしまう可能性がある。
それに、一度光の剣を消せば、また同等の魔力を消費することになる。
繊細過ぎる光魔法は、威力はあるが扱いづらい。
そのせいで、世界的にも使い手が少ないので有名だ。
「――えっ、なに、これ?」
と、気がつく。
大蛇の死体から、何かが蠢いている。
出てきたのは、生物。
唾液、消化液塗れのその汚い生物は、這いずって大蛇の体内から出てくると、力尽きたように倒れる。
そして、動かなくなる。
そして、それは、
「……人?」
人間だった。
どう見てもそれはエリーゼと同じ『人間族』だった。
近寄ってみると、
「うわっ!」
「きゃああああああああっ!」
いきなり、ガバッと起き上がった。
(い、生きてた……?)
人間の男。
身なりからして、どうやら町の人間じゃない。装備は整っているし、どうやら旅の人間のようだった。
「お、お、お? ああ、よかったああああ! なんか知らないけど、あなたが僕を助けてくれたんですか?」
「い、生きてる? あ、あなたは?」
「ああ、怪しい者じゃないですよ。蛇に喰われていただけの、通りすがりのただの旅人です」
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