魔王は勇者に殺されましたが、世界は平和になりませんでした。

魔桜

1

01.魔王と勇者の時代は終わりを告げました。

 町が燃えている。

 生まれ故郷だったこの町は、決して他の種族に襲わることがない平和な町だった。

 十種族最弱の《人間族》しか住まないというのに、生まれた時からずっと。

 それが、いかに不自然なことだったのかを知った。

 きっと、守られていたのだ。

 俺は、俺がこの世で一番憎んでいる父親に。

 ずっと、守られていたということを今更になって思い知ってしまった。

「最後に殺すのは君だって決めてたんだよねぇ。できれば、もっと必死になって逃げて欲しいんだけどなあ……。こんなんじゃ、一番殺したかった君をいたぶって殺そうっていう私の計画が台無しじゃん」

 残酷な笑みをたたえる《竜帝族》の少女。

 鱗のような肌。

 鋭利な爪を持っていて、長い尾が地面を這っている。

 ギョロリ、と切れ長の眼を光らせる。

 いくら口から火を吐くことができる《竜帝族》とはいえ、町が壊滅させられたなんて信じられない。

 だって、この町をこんな焼け野原にしてしまったのは、眼前の、たった一人の少女なのだから。

《人間族》が抵抗しなかったわけではない。

 大人だっていた。

 武装して、彼女に立ち向かっていた。

 多対一で追い込んで、罠にはめたりもした。

 だが、いかなる攻撃も、彼女の鋼鉄のように硬い肌に弾かれた。

 完全なる無傷。

 数百人の命はまるで、そこらの雑草のように摘み取られた。

 いつものような日常が続くと思っていたのに。

 どうして、いったい、どうして、みんな死んでしまったんだ。

「なんで、みんなを……」

「んん? だって、そうした方が、君を絶望の底に叩き込むことができるでしょ? だからさ、殺したんだよ。君のせいでみんなが死んだって理解してから殺した方がいいでしょ?」

「そんな、ことのために……?」

 俺は、生まれて数十年。

 これといって際立った行動を起こしたことなどない。

 ただの子どもだ。

 朝起きて、顔を洗って、仕事をして。

 金を稼いで、その金で飯を喰って、ベッドで寝る。

 ただ、それだけを繰り返してきた。

 何か深い考えを持っていたわけでもない。

 漫然と、その日、その日を、消費してきた。

 父親が家に帰ってこなくとも、寂しくなかった。

 母親と一緒に過ごすことができていれば、それだけで幸せだった。

 そんな、ありきたりな人間だった。

 特別な力を持つわけでもない、ちっぽけな人間。

 なのに、どうして、ここまで俺は彼女に恨まれているのだろう。

「そんなことのために? 君の父親が一体何をしたか知らないの? 私の一族は、君の父親のせいでたくさん殺されたようなものなんだから。だったら、君だって同罪のはずでしょ?」

「そうか……。やっぱり、お前の父親は――」

 いきなり襲ってきた少女は初対面。

 だが、どこか少女は奴に面影がある。

 圧倒的戦闘能力を持つ彼女ならば、奴の関係者だと思っていた。

 だが、まさか奴の娘だとは思わなかった。

 しかし。

 互いに面倒な父親を持ったところで、親近感の一つでも湧くわけでもなく。


 ザグンッッッ!! と、右腕を根元から斬られた。


 剣ではない。

 ただの爪で、人間の腕一本が宙を舞っていた。

 あまりにも非現実的なことに心が追いつかなかった。

 だが、急激に傾く身体と、溢れ出る鮮血。

 そして、いままで想像だにしなかった衝撃的なまでの傷みによって、ようやく現実に引き戻される。

「ああああああああああああああああああああああああっ!!」

 無残にも転がった右腕。

 傷口を接合することは恐らく不可能だが、それでも希望を捨てきれない。

 縋るように左腕を伸ばす。

 あまりの傷みに、涙どころか鼻水を垂らして、土まみれになって伸ばした。

 それなのに――右腕を焼かれる。

 ボッ!! と、いっそ滑稽にしか思えないほど呆気ない少女の吐いた炎によって、腕が燃え上がってしまった。

 これで、完全に希望は潰えてしまった。

「あー、あ。ムカついたから、ついついやっちゃったよ」

「ああ、あああああああああああああああああああ!!」

「うるさいなー。どうせ今から死ぬんだから、そんなに悲鳴あげないでくれる? うるさすぎて、いますぐ止めてあげたくなっちゃうから」

 本気だ。

 もう、泣き叫ぶことすらできない。

 悲鳴を上げることで、少しでも現実逃避できるというのに。

 できることといえば、いやいや、と首を振ることしかできない。

「やめろ、やめてくれ……」

 唇を震わせながら、顔面をくしゃくしゃにする。

 尻を地面に擦って、少しでも距離を離そうとするが、あちらもゆっくりと歩いてくる。

 まるで、蛇が獲物をゆっくりと丸呑みするような、緩慢な動き。

 もう、丸呑みされたようなものなのに、逃げようとするのは、ただの本能か。

 無駄だと分かっていても、必死になって退く。

「だーめ。なんだか、つまんないな。もっと抵抗して欲しいのに。やっぱり、圧倒的な力の差の前じゃ、戦うことも、逃げることもできないの? まあ、もう、どうでもいいか。飽きちゃったよ、君をいたぶるのも」

 大きく口を開く。

 建物すら一瞬で燃やし尽くす炎を出すつもりだ。

 本気で殺すつもりだ。

 こちらは、何の武器も持っていない。

 丸腰で、腕に覚えがある訳でもない。

 戦闘意欲すらない。

 だから、少女の吐き出す劫火に抵抗することすらなかった。

「私のためにさっさと死んで」

 燃え盛る炎は、俺の身体をグズグズに焦がす――はずだった。


 ブシュッ!! と少女の左眼が潰れた。


 葡萄を握りつぶしたように簡単に潰れた瞳。

 溢れ出した血が、まるで涙のように頬を伝う。

「――えっ」

 驚きの声はどちらから出た言葉か。

 もしかたら、二人とも同時に発したのかもしれない。

 俺は、何もしていない。

 手を触れてすらいない。

 勝手に少女の瞳が潰れてしまった、という表現が正しい。

 魔力を溜めすぎて、それが暴発して自爆した。

 なんてことが、あるわけがない。

 不測の事態が起きたのだ。

 お互いに。

「いやああああああああああああああああああああああっ!!」

 絶叫が虚空に響く。

 一体、誰がこんなことをしたのか。

 周りには人影などない。

 誰かが助太刀にきたとか、そんな都合のいいことなど起こるはずがない。

「どうして……どうして、私の右眼が、いきなり潰れて……ま、まさか、私の父親が……この瞬間に――」

 彼女の独り言によって、ようやく答えを導き出すことができた。

 そもそも、どうして今まで守られ続けられてきたこの町が、たった一人の少女によって凌辱されたのか。

 それは、守護者たる俺の父親が、配下の人間を派遣できないほどに追い詰められていたからだ。

 少女の瞳が潰れたこの現象。

 恐らく、無関係ではない。

 その裏付けとして、斬られた右腕の付け根が疼いてきた。

「――殺されたみたいだな、お互いの父親が」

 斬られたはずの腕が元通りに復元される。

 痛みを全く感じない。

 むしろ、心地よさを感じる。

 傷跡すらない。

 燃えてしまった自分の腕が元通りになった。

 指を動かしてみるが、違和感なんてない。

 確かにこれは、俺の腕だ。

 体中の魔力が溢れて、外に勝手に放出されている。

 それなのに、枯渇する予兆がまるでない。

 俺の持っている貧弱な魔力なはずがない。

 これはきっと、受け継いだもの。

 死んだ父親が死に間際に、子どもである俺に託してくれたものだろう。

 ずっと、恨んでいた。

 母親を残して、戦場へと赴いた父親のことを。

 だが、最後の最後に、こんな贈り物をするなんて。

 恨みが完全に霧消したわけではない。

 だが、結果的に命を救われたことには変わりない。

 少しばかりあいつに対する憎しみは薄らいだ。

「腕が生えて――まずい――恐れていた事態が……」

 少女の顔面が蒼白になる。

 彼女の魔力を一気に逆転したのだ。

 チラチラと、少女が後ろを気にする。

 どうやら、逃げる算段を脳内で必死にしているらしい。

 だが、逃がすつもりはない。

 ここで殺すしかない。

 逃がしてしまったら、自分の命が危うい。

 なにより、こいつは町のみんなの仇だ。

 他の誰でもない自分の手で始末してやりたい。

 急激な力を手に入れたために、精神が高揚しすぎて冷静な判断力を失くしているのは分かっている。

 いつもの俺なら、敵討ちなんて考えもしないってことも。

 借り物の力に酔っているということも。

 だが、右腕に集束する膨大な魔力を抑えきれなった。


「消え失せろ」


 全魔力を込めた右腕は、たったの一振りでその場の地形を変えた。

 この日。

 今思い返しれ見れば、全ての分岐点だったかもしれない。

 もしも、少女が俺を殺しにこなければ。

 もしも、俺が右腕の力を抑えることができていれば。

 もしも、俺が斬られたのが、右腕じゃなかったとしたら。

 全ては、変わっていただろう。

 勇者と魔王が死んだこの日を境に、世界は一変してしまった。

 永遠に続くと思われていた勇者と魔王の時代は終わりを告げた。


 そして。

 世代は勇者と魔王の子ども達へと移り変わりゆく。

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