【ダイジェスト版!】第三章 裏ですごいことが起こってるとも知らずに…… より

 気まずい沈黙が下りてきて、それがまた申し訳なくてなんとか言葉を絞り出そうとすると、クリスティーナが先に口を開いた。明るく、気を取り直した声で。

「でも、あの、こんなこといったら、能天気すぎるって叱られちゃうかもしれないですけど……最初は記憶を取り戻すためでしたが、結局お話自体にすっかり夢中になっちゃって」

「……え?」

 ぼくは呆気にとられる。

「本って、面白いですね」

 その一言に、つい前のめりになった。

「え……ほんとに? 面白かった?」

「はい。ヒロインのセレーナがとても健気で……。ウェインの絵をインチキ商人から守るところなんてうるっと来ちゃいました。セレーナ、すごくひもじい思いをしてるのに……」

 ちゃんと読んでる──クリスティーナの漏らした感想に、ぼくはそう直感した。これは社交辞令的な感想なんかではなさそうで、ぼくはおそるおそる、さらに内容に踏み込む。

「……ウェインがセレーナのために土下座するシーンとかすごい良くなかった……?」

 すると、

「! 良かったです! プライドを捨ててインチキ商人に頭を下げるんですよね!?」

 クリスティーナはぱっと笑顔を咲かせて、きゅっと握った拳を興奮気味に上下に振る。

 それを見てぼくはすっかり舞い上がって、口のタガが外れてしまう。

「そうそう! いやー、わかる!? あのカッコ良さ! やっぱり絵描きとかの表現者っていうのはさ、どっかでナルシストっていうか、プライドを強く持ってるべきだと思うんだよね! それをさ、かなぐり捨ててでもセレーナを守りたいんだと。絵描きとしての自分と、男としての自分を天秤にかけて、男の方を選ぶ……土下座させられる……でも、ラストではそれをも絵描きとしての糧にする!」

「はい! そういう強かさというか、逞しさというか、何でも創作に繫げてやろうっていう心意気にまた胸を打たれて!」

「そうなんだよ! 熱いんだよ!」

 クリスティーナに無神経なことを言ってしまった罪悪感は、すっかりぼくの頭から消えていた。

 クリスティーナと二人きりで話しているというのに、緊張感もまるで湧かなかった。

 それがいいことなのか悪いことなのかはわからないけれど、ぼくは夢中になってクリスティーナと本の感想を言い合った。

 あの台詞が良かったね。このシーンは悲しかったね。あの文章には唸らされたね。その登場人物は憎たらしくてしょうがなかったね……。

 てっきり、クリスティーナは記憶探しのためだけに読書をして、本の内容自体にはさして興味を惹かれていないものとばかり思っていた。

 けれど、本人も言っているけど、そうではないらしい。

 読んでいる内に、その魅力に気付いたようだ。

 そしてそれを、ぼくにぶつけてくれる。ぼくもぶつけ返す。

 共通して好きなものについて語らいあう。

 こんなに嬉しくて、楽しいことはない。

「それで、同じ作者の小説なんだけど──」

 ここぞとばかりに噴出して、とめどなく溢れる本への思い、薀蓄──クリスティーナも楽しそうに、目を輝かせてそれを聞いてくれる。

 けれどそんな至福なひとときに横槍を入れたのは、ペコンペコンという鳴き声だった。

 コネクテルの着信音──はっと我に返ったように、クリスティーナはポケットからコネクテルを取り出した。

「ケケ様から文字列が……すみません、そろそろ戻りますね」

 ああ、そうか、元々クリスティーナは、わざわざ酒盛りを抜け出してぼくのところに来てくれたのだろう。

 しかもその酒盛りの主役はクリスティーナだ。席を外してなかなか帰ってこなかったら、ケケでなくても心配して探しに来るなりするだろう。

 クリスティーナの表情が、急速に萎んでしまったような気がした。

「……うん。それじゃ」

 ぼくはまたそれ以上に萎んで、発散し切れなかった本への思いを持て余す。

 と、

「──あ、本、忘れてました」

 はにかみながら、クリスティーナが踵を返す。おしゃべりに夢中で、お互いに本を渡しそびれていた。

 クリスティーナはせかせかと、早足で歩み寄ってくる。すると、

「あっ」

 お酒が入っていたせいもあろうか、クリスティーナは足をもつれさせた。

 たたらを踏み、転んだ先にいたのはベッドに腰掛けているこのぼく。

「うわ!?」

 柔らかな衝撃が、胸に飛び込んでくる。クリスティーナの華奢な身体くらい、ぼくにだって抱き留められもする。けれど女の子への免疫のない男の悲しき性か、ぼくは逃げるように上体を倒した。

 結果、ベッドが軋み、マットレスが波打つ。

 ぼくはクリスティーナに押し倒される形で、覆い被さられることになった。

 さらさらの髪が、ぼくの顔にかかって流れる。甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 少し首を捻ればそこに、クリスティーナの小さな耳が見える。

 またクリスティーナは完全に体重をぼくに預けてしまっているようで、ぼくの胸と彼女の胸が、融け合ってしまいそうなほどに密着していた。互いに服越しだというのに、その肉感ときたらなんとみだらで蠱惑的なことか。

 息が止まり、体が強張る。

 突沸した心臓の鼓動は、もしかしたらクリスティーナに伝わってしまったんじゃないだろうか。

「あっ、あっ、ご、ごめんなさい! 私今、ご飯食べたばかりだから、きっと重かったですよね!? ああもう、ドジ、私……!」

 クリスティーナは慌ててぼくの上からどいて、心底申し訳無さそうに平謝り。

「全然大丈夫だよ」

 本当は心臓バクバクだけれど、ぼくは努めて平静を装って笑顔を作る。

「ほ、本当ですか? でも、ユーリ様のこと、思いっきり潰しちゃって……」

「うん。へっちゃらへっちゃら」

 潰れたのはぼくじゃなくて君だから。君のたわわなアレのほうだから。むぎゅーって。

「それより、はいこれ、本」

「すみません……」

 改めて、互いに本を受け渡し。恐縮しつつぼくから本を受け取ったクリスティーナは、それを大事そうに胸に抱えると、遠慮がちに言った。

「あの、この本も多分、すぐに読みます。そしたらまた、本について話して下さいますか?」

 そんなのは訳もない。こちらからお願いしたいくらいだ。

「うん! もちろん! 約束!」

「よかった……。それじゃあ、おやすみなさい」

 ぼくが食い気味に頷くと、クリスティーナはようやくほっとしたように相好を崩し、静かに扉の向こうへ消えていった。

「……………」

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