第一章 この時はまだ上手くいってたんだけどね 1-2

 例えばケケは女の人にモテたくて七氏族軍資を追い求めているように、旅団のみんなにもそれぞれ七氏族軍資を探す理由がある。

 ぼくは何かというと、富でも名声でもない。ましてや伝説の武具や防具、不思議な魔道具といったものでもない。

 ぼくは、七氏族軍資に紛れていると噂される、とある物語を狙っている。

 その物語というのはハイウェザー戦役に従軍した戯曲家によって書き下ろされた戦記物語なのだが、七氏族軍資とともに完成原稿が消えてしまったのだと著者本人が死没間際に漏らし、今では幻の遺作として読書家や蒐集家たちの間で語り草となっている。

 タイトルは『ガーネッシュ戦記』。

 著者はカルルク・ノンクル。

 つまり『ガーネッシュ戦記』とは、ぼくがもっとも敬愛する作家の、誰も読んだことのない遺作なのだ。

 それを手に入れるのが夢で、ぼくは七氏族軍資を探しているというわけなのだが……カルルク・ノンクルの著作に限らず、ぼくは本に目がない。

 本こそが生き甲斐だと胸を張って言える。

 なので──、

「──うは〜! すごい! 知らない作家さんばっかりだ!」

「ほっほ。ええ、この店は私の道楽でやっとるもんでしてな。せっかくの道楽ならばと、品揃えを趣味に振り切っとるんです。おかげで来るお客は皆、好きモンですわ」

「へえ〜……じゃあこの棚の本全部ください」

「!? ……ご、豪気……っ!」

 町の一角でひっそりと営業する古書店。

 そのカウンターに、見る見る積み上がっていく本の塔──お買い上げ決定の戦利品たち。

 休日、シイナさんが鍛錬に明け暮れるように、ケケが色街に繰り出すように、ぼくにもまた決まってこれという趣味がある。

 本屋巡りだ。

 

    ☆

 

 古書店で借りた荷車を曳いて、町の目抜き通りをえっちらおっちらと行く。

 荷車に積まれているのはもちろん本の山。量が量だけに重いけれど、まったく苦ではない。むしろこの重さにこそ愉悦を覚えるというものだ。

 とはいえ、これだけの本を持ち歩いて旅をするわけにはいかない。いくら本が好きだといっても、せいぜい長旅のお供に出来るのは二、三冊が限度。

 では旅先で買ったこれら大量の本はどうするのかというと、ぼくは故郷の町にそれ専用の倉庫を借りており、郵便馬車でそこへ送るのだ。

 今ぼくが向かっているのも、この町の郵便馬車の駅。

 七氏族軍資を見つける旅が終わったら、倉庫に詰め込まれた何百冊という本を朝から晩まで読み漁って過ごすことがぼくの将来設計だ。

 本の海に溺れる自分を想像してニヤニヤしながら、ぼくは懐を探る。そして、手のひらサイズの板状に加工された水晶を取り出した。

 コネクテル──所有者間の音声や文字の通信を可能にする魔道具だ。

 音声や文字は魔力波に変換され、魔力波を吸収、放射する性質を持つ石〝トランスミストーン〟を経由して送られるため、トランスミストーンが設置されている町や街道であれば、どれだけ距離が離れていようと通信可能だ。

 自前の魔力で遠距離にいる相手に思念を伝導する魔法は、当然のことながら習得のための手間暇と素質が必要となるが、このコネクテルは魔力の素養が一切ない者にでも使用が可能という点で、非常に利便性が高い。欠点といえば、便利なだけあって一般庶民にはそうそう手が出せないほどに高価であることくらいか。

 ぼくは荷車を曳きながら、コネクテルを指先で撫でる。すると、コネクテルの表面に知り合いの名前がずらりと浮かび上がる。

 その内の一人の名前を指で押して、コネクテルを耳に当てた。

 聞こえてくるのはキュイキュイという呼び出し音……そのまましばらく待つ。

『──もしもし』

 呼び出し音がぱったりと止み、代わりに女の子の声が聞こえてきた。

 声を聞くのは十日ぶりくらいだろうか。ぼくの故郷の幼馴染み、エマだ。

「もしもし? エマ? 今平気?」

『平気だよ。なに?』

 時間からしてエマは今、夜の仕事前の小休止……あるいは準備中といったところだろうか。エマは昼は果物や花の振り売り、夜は酒場の給仕として働いている。

 あまり時間を取らせるのも申し訳ない。手短に用件を伝えよう。

「またちょっとまとめて本送るから、よろしく」

 いつものことなので、ぼくは気軽に言う。

 すると、エマは難色を示すような沈黙を挟んで尋ね返してきた。

『……何冊?』

「五十冊くらい」

『無理』

 はっきりと断られ、ぼくは面食らう。

「……いやいや、え、なに? 職務放棄?」

『うわー、失礼。むしろ真っ当に倉庫番やってるからこその受け取り拒否なんだけど。物理的に無理なんだって。もうパンパン。前に送るって言ってたやつだって届くのこれからだし、追加で五十冊なんてもう無理だよ』

「えー!? 噓ぉ!? ……管理するのがめんどくさくて噓ついてる?」

 聞き分け悪くぼくが言うと、エマからは呆れ半分、笑い半分のため息が返ってきた。

 故郷にある蒐集物専用の倉庫の管理を、ぼくはエマにお願いしている。もちろん相応のお給料を払って。

『ちょっとは買い控えなって』

「無理無理。エマも読めばいいのに」

『あんまり本って好きじゃないもん私』

「つれないなー……なんでみんな本の素晴らしさがわからないかなー」

 これはエマだけでなく旅団のみんなに……いや、世間全体に向けた言葉だ。

 ぼくは乱読だが、とりわけ愛好しているのは小説──作り話だ。

 想像力の限りを尽くして生み出された物語の数々は、興奮や感動や悲哀や憤怒や笑いでぼくの心を揺さぶり、虜にする。

 金銀財宝や強力な武具、珍しい魔道具にも後れを取らない価値がそこにはある。

 なのに、世間ではどういうわけか、小説は低俗なものと軽んじられる傾向にある。

 知識をもたらしてくれる専門書や実用的な魔道書などはともかく、他人の空想を書き散らかした書物など、何の役にも立たないというのだ。

 そんな世間の風潮がぼくにはもどかしくて、寂しくて、肩身が狭い。

「最近読んだ本でも、大の酒好き男の台詞でこんなのがあったよ。『酒のせいで何を話したのかも覚えていない。けれど楽しかったことは覚えてる。ならそれでいいではないか』。いや、まったくぼくも同感でさ。これってつまり本でも言えることだと思うんだけど──」

『……ユーリ? その話長くなる?』

「えぇぇ……そんな露骨にめんどくさがらなくても……話聞いてよ〜」

『知らない物語の話されてもねぇ……。それ聞いたからって多分読む気にもならないし。ていうかユーリって、人に物を勧めるの下手なんだよね。ユーリが読書仲間増やそうとすると、多分逆効果だよ? 押し付けがましいだけで逆に読みたくなくなる』

「辛辣ぅー……」

 幼馴染みにすらこの言われようなのだから、孤独な趣味だ。しかもこれがなかなか的を射ているっぽいのがまた辛い。一時、まったく本を読まない旅団のみんなに読書の素晴らしさを啓蒙しようとしたところ、とても困った顔をされた。

 ケケから「他の連中を代表して言うけど、お前、イタイぞ」って言われたのは効いたなぁ……。しかも、どうせケケ個人の意見なんでしょ? とか高をくくっていたら、本当にみんな迷惑してたっぽくて死にたくなった。

 以来ぼくは旅団のみんなを自分の趣味に引きこもうとすることをやめた。

 ……ああ、なんかその時のこと思い出してたら気持ちがクサクサしてきた。

 なのでそろそろコネクテルを切ろうとしたところ、ぽつりとエマが言う。

『あーでも、』

「?」

『お裁縫の本、送ってくれたじゃん? 図がいっぱい載ってるやつ』

 言われて、はたと思い出す。そういえばちょっと前に、世界中の刺繡や断裁を図解付きで紹介している本を見つけ、エマ個人宛てとして送ったのだった。

『あれは普通に嬉しかった。ありがと』

 その声音からは、微笑むエマの姿が想像できた。

「お、そう。よかった。いや、たまたま見つけたんだけど、絶対エマこういうの好きだろうなーって思って」

 不貞腐れかけてた気持ちが、ほっこりと温かくなる。

『うん。……あと私、料理も好きだよ』

「なにそれ催促? エマちゃん現金〜」

『あはは。──追加で賃料ちゃんと送ってくれるなら、また新しく倉庫借りといてあげるよ。今から送るっていう五十冊の本からは、そっちの新倉庫に保管しとく』

「うん。そうしてくれる? ありがと。悪いね、色々やらせちゃって」

 ぼくが礼を言うと、エマは『仕事だから』とまた笑い、最後にこう続けた。

『それじゃあ、気をつけてね。たまには近況報告とか、旅先で見た珍しいものとか、そういうのでも連絡してよ』

「うん。わかった。それじゃ」

 ここより遥か遠くにいる、幼馴染みに思いを馳せながら、コネクテルを切る。

 料理の本か……さっきの古書店にあったっけ。ちょっと引き返して見てこよう。

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