第一章 この時はまだ上手くいってたんだけどね 1-1

「はいはい皆さん、行き渡りマシタカ〜!? それでは乾杯の音頭ゥを、ボクがとらせてもらいマース!」

 まだ宵の口ではあるものの、すでに酒場は赤ら顔の男たちで埋め尽くされて、大いに賑わっていた。その雑多で猥雑な活気に負けないように、アハトが意気揚々と声を張る。

 手に持つのは、麦酒がなみなみと注がれたコップ。

 目の前のテーブルの中央には、こんがりと焼かれた子豚が丸一頭寝そべって、それを囲むように、豪勢な料理が食べきれないほど並んでいる。

「今回モ〜ゥ、我らがミスフルボッコ、シイナa.k.a女神のグーパンによってェ〜、オークファミリーは離散というか四散というか爆散してゴートゥーヘルしマシタ〜! お宝を無事ゲット出来たのもォ、ひとえにシイナのおかげデ〜ス!」

 お宝を手に入れた時は、こうしてみんなで豪勢な食事を囲み、酒宴を開く。

 ちなみにオークの巣の奥で見つけたお宝は、オークが溜め込んでいた魔鉱石。

 街の商館に持ち込んだところ、五等分しても二、三か月は遊んで暮らせるくらいの額にはなった。まずまずといったところだろう。

「もしもシイナがいなかったらァ、ボクたちはもっとも〜っと苦戦していたことでショウ。ですのでェ、ここはひとつ乾杯の前に一人ひとりィ、シイナの強さと美貌を称える詩歌を1ヴァースずつ即興で──」

「……のう、アハトや」

「ア〜ハァン? なぁに? シイナ」

「儂の麦酒の泡がこれ以上減るようなら、その分貴様に泡を吹いてもらおうと思うのじゃが、構わぬな?」

「!? なんでヨー!? ボクはただ純粋に、シイナを褒めちぎっていい気分になってほしかっただけなのニ……。一体いつになったらシイナは心を開いてくれるノ……? オーウフ……オーウフ……」

 咽び泣くアハトと、つれないシイナさん。

 こんなやり取りもいつものことなので、ルシオンが乾杯の続きを引き取った。

「それじゃ、七氏族軍資の前の、行き掛けの駄賃を祝して乾杯」

 

 およそ二十年前、七つの氏族の連合と、とある魔族との間で大戦争が起きた。連合側の盟主の家名にちなんで、ハイウェザー戦役と呼ばれている。

 このハイウェザー戦役において、七つの氏族は連合の共同軍資としてそれぞれが兵站を提供した。これが七氏族軍資だ。

 七氏族軍資には莫大な軍資金はもちろんのこと、特殊な効能を発揮する兵糧や、伝説級の武器に防具、この世に二つとない不思議な魔道具や、特殊技能や特異体質を持った人材に至るまでが含まれていた。

 ……が、終戦と同時に、七氏族軍資はその多くを消費し切らぬまま、そっくりそのまま忽然と消えた。

 連合の各氏族は血眼になってその行方を追った。

 そして、ハイウェザー戦役とは何ら無関係の冒険者たちも後に続いた。遺失物となった莫大な財宝を横取りするために。

 かくして冒険者時代が幕を開け、はや二十年……ぼくらの旅団が結成された。

 

「──いやだからさ、一言相談欲しかったなーって話。あの女を助けるの、俺でも良かったじゃん? 次からは多数決で決めよ? そうしよ!」

「多数決だと確実にお主は負けるがの」

「まだそのこと根に持ってるのかよ、ケケ……。仕方ないだろ。お前より先に俺があの子を見つけちまったんだから」

「うんうん。いやね、百歩譲ってルシオンが先に見つけたのはいいとしても、マントなんて貸す? マントってあれ、思ってる以上に不衛生だからね? それを裸の女性に渡すだなんてデリカシーに欠けるでしょ? ああいう時はハンカチーフを渡すのが正解だと思うんだよね、真のイケメンなら。それが出来ない奴は雰囲気イケメンだよ。うん」

「ハンカチだと、頭隠せても尻はフラッシュ! ──じゃないデスカ〜?」

「ケケはどうあっても女子の生身を拝みたいようじゃな。虫酸が走るわ、この下衆め」

「うぐっ……。や、やだなぁ下衆じゃないよ? ……雰囲気下衆だよ?」

「HAHAHAぁ〜! 下衆であることを否定できてないデスネー」

「そもそも雰囲気イケメンってわりと褒め言葉だしな。ありがとよ、ケケ」

 

 会話を聞く限りではとても信じられないかもしれないが、ルシオンもケケもアハトもシイナさんも、それぞれがそれぞれの職種で最高峰の実力者として名の知れた猛者たちだ。

〝閃刃の剣聖〟こと、騎士ルシオン・メナード。

〝闇の寵児〟こと、黒魔道士ケケ。

〝落涙を射る剛弓〟こと、狩人アハト・ヘム・クーファー。

〝鉄腕無双〟こと、武道家シイナ・リュウゼンイン。

 そして、〝なんともない白魔道士〟こと、ぼくユーリ……。

 過去、七氏族軍資を狙って結成された冒険者旅団は数あれど、こんな有名人ばかりで編制された旅団はなかったのではないだろうか。

 だからぼくらは巷で〝軍資に一番近い旅団〟と呼ばれ、この冒険者時代に終止符を打つだろうと噂されている。

 ……正直、手前味噌ながら、それはぼく自身もそう思う。

 これだけの面子で見つけられないお宝なら、多分他の旅団にも見つけられない。

 

「──あはは。それじゃ、ぼくはそろそろ休もうかな」

 食事が済み、みんなのお酒も進み、場が盛り上がってきたのを見計らって、ぼくは席を立つ。

「! ……え〜!? ちょ、みんな、そんなことよりユーリに注目! こいつもう休むとか言ってる! どう思うー!? ノリ悪くな〜い!?」

「……ケケ、自分の風向きが悪いからって、ぼくに矛先向けようとするのやめてくれる?」

 元々ケケはこういう性格だけれど、今はお酒も入っているから面倒くささは倍増だ。

 旅団のみんなとのおしゃべりは嫌いじゃない。

 けれど、お酒が入るとやっぱり会話の波長というか温度に齟齬が出始めて、楽しさよりも気疲れが勝ってしまう。というのも、ぼくはお酒に弱くて一口も飲めない。乾杯もぼくだけは葡萄ジュースだった。

 だからぼくはこういう時、腹拵えが済んだらさっさと引き上げることにしている。

 そしてそのことはみんなも理解してくれている。

「グッナイデース、ユーリ」

「お疲れ」

「うん、おやすみ」

 アハトとルシオンに挨拶を返し、視線だけ寄越すシイナさんには会釈を返し、ぼくは酒場の上階──宿部屋へと上がっていく。

 自分の部屋に入ると、法衣を脱いで、寝間着に着替える。

 そして月明かりが差す窓際のベッドに上がり、枕元のバッグを漁った。

 中から取り出したのは一冊の本──愛読書、カルルク・ノンクルの『湖上の星霊歌』。

 胡座をかいて、膝の上にそれを広げる。

 遠巻きに聞こえる酒場の喧騒が、遠のく。

 ぼくは一人、物語の世界へと没入して、夜を過ごす。

 

    ☆

 

 一夜明けると、酒場は落ち着いた雰囲気の食堂と化し、宿泊客に昼食を振る舞う。

 ぼくもスープをすすっていると、食堂の扉がギギイと鳴いた。

 肩まである烏羽色の髪を搔き上げながら、一人の女の人が入ってくる。それも、とびきりの美人。

 ただしその美しさは可憐な花や、優雅な蝶に喩えられる類のものではない。

 言うなれば、狼。周囲を射竦めるような鋭い目つきや、引き結ばれた唇は、近寄りがたい雰囲気を醸す。

 事実、宿泊客たちもその美貌に目を奪われながら、ちらちらと盗み見するに留めていた。

 かくいうぼくも盗み見みたいな感じだったのだけれど、その美人──シイナさんとしっかり目が合った。

 シイナさんはカウンターでパンとスープを受け取ると、当たり前のようにぼくの向かいに腰掛けて、黙々と食事を始める。

 装備の鉄腕を外し、髪も濡れているのは、水浴びをして汗を流してきたからだろう。

「…………」

「…………」

 会話のない食事……シイナさんは平然としているけれど、ああ気まずい。

 ふと見ると、パンを口に運ぶシイナさんの手に、擦り傷や切り傷がいくつもついていた。

 会話の糸口をようやく見つけて、ぼくは話し掛ける。

「……鍛錬してきたんですか?」

「うむ」

 シイナさんは空き時間のほとんどを自己鍛錬に充てている。

 ダンジョンの攻略明けということで、旅団としては今日は休日。天気もいいし、シイナさんとしては絶好の鍛錬日和なのだろう。

「……手。……えと、その手の傷、治します?」

「この程度は傷とは言わん。唾をつけるのすら勿体無いくらいじゃ」

「あ、そう、ですよね。すみません……」

 やっぱり差し出がましかったか。まぁ、常人なら死んでるような怪我を負ってもケロッとしてるような人だしね……。

「いや、気遣い痛み入る」

 ぼくが謝ると、シイナさんは言葉短ながら軽く目礼を返してくれた。ただやっぱりどこか素っ気なく、ぼくとしては恐縮してしまう。悪い人じゃないんだけどなぁ……。

 シイナさんのこの物腰は、性格というより武道家としての心構えに由来しているらしい。

 武道家たるもの感情に囚われることなく常に冷静沈着で平常心を失わず……とか何とか。

 実際、シイナさんが狼狽えたりしてるところを、ぼくは見たことがない。

 身も心も武道に捧げ、ただひたすら強さを追求するそのストイックさとクールさには、本当に感心する。……もっとも、それが近寄りがたさの原因でもあるのだけれど……。

 しかしシイナさんとの緊張のツーショットも、そう長くは続かなかった。

「グッモーニン、ユーリ! エーンド、マイスイートハニー、シイナ〜! さっきボクの夢に会いに来てくれたの、嬉しかったヨー!」

 救いの声が飛んでくる。夜更けまで飲んでいただけあって、今この時間の起床らしい。

 見ればアハトが宿部屋のほうから階段を下りてくるのだった。

「おはようアハト。もうお昼だけどね」

「……眠ったまま二度と起きてこなければよかったのにのう……」

「!? 起きるヨー! 何度デモー! 七転びヤツアタリの精神ダヨー!」

「……〝八起き〟じゃ、たわけ。転ぶ度に八つ当たりされたらたまったもんじゃないわい。やはりお主、一生寝とれ」

「Oh……人語、ムツカシィ……そのくせシイナの辛辣な言葉は全部わかっちゃう不思議……」

 シイナさんの痛烈な返しに、アハトは眦に涙を光らせ、尖った耳をしおれさせた。

 耳の形状と独特な片言からもわかる通り、アハトはエルフ族だ。エルフは人間とは異なる言語体系を母語としているため、人語で話すと大抵こんな感じの訛りや言い間違いが出たりする。

 そのうえ人柄が人柄だし、この長身瘦軀だ。今ひとつ頼りなげに見えるが、これでも超一流の狩人で、弓の腕は冠絶を誇るのだから人は見かけによらない。

 そしてそんなアハトが心底惚れ込み、猛アプローチを掛ける相手がシイナさんというのもまた面白い話だ。それこそ七転び八起きの精神で、いつかその気持ちが報われるといいけど……傍から見てる感じでは望みは薄そうだ。

「ユーリは今日もいつものか?」

 シイナさんはアハトを捨て置き、ふと訊ねてきたので、ぼくは答える。

「はい。いい感じのお店がいくつかあるみたいなんで、回ってみようかなぁと」

「そうか。儂には今ひとつ理解できんが、ユーリのそれもまた求道のひとつなのじゃろう……。よい一日をな。儂ももう行く」

 言ってシイナさんは席を立つ。アハトも飼い犬のようにそれに続いた。

「鍛錬? シイナ鍛錬!? ボクもお供するヨー!」

「……ふむ。まぁよかろう。儂は自己を高めようとする同志のことは拒みはせん。切磋琢磨は強者への近道じゃ」

「イェスイェース! でもちょっとタンマデス! ランチ食べさせてクダサーイ!」

「無用じゃよ。どうせすぐ吐くことになる」

「Oh……ハードな鍛錬の予感……プリーズ手加減、ストップかわいがり……OK?」

 そうして二人は連れ立って、酒場を出て行った。

 その背中を目で追っていると、さっきまでシイナさんが座っていたぼくの向かいに、どかりと誰かが腰を下ろした。

「おっす」

 先ほどシイナさんが姿を現した時には、男性客が水面下でざわついた。けれど今ぼくの目の前に座った男は、調理場のご婦人や給仕の娘さんたちを色めき立たせた。

 街を歩けば女の子は誰もが振り返るほどのイケメン。

 常に絶やさぬ不敵な笑みは、自信の表れなのだろう。

 整えられた髪や街歩きに適した軽装を見るに、これから出かけるつもりなのか。

 ルシオンがぼくの向かいに腰を下ろしたのだった。

「おはよう」

「ああ、昨日は大変だったぜ。ユーリとシイナが部屋戻ってから、ケケにスイッチ入ってな。服脱ぎ出すわ給仕の子にセクハラかますわ吐くわで大荒れ」

「あー、鬱憤溜まってたからねぇ」

 ルシオンの話に相槌を打ちつつ、ぼくの意識は別に向いていた。

 視界の端で、何やら給仕の娘さんたちが集まってジャンケンをしている。そして勝った子がきゃっきゃとはしゃいで、ルシオンの前にある空の食器を下げに来た。シイナさんが残していったものだ。

 そのついでに、給仕の子がルシオンに声を掛ける。

「あのぉ、お食事はいかがですか? すぐにご用意できますよ?」

「いや、平気」

 素っ気ないルシオンに、給仕の子はちょっと残念そうにしながらも、一言言葉を交わせただけでも嬉しいのか、浮かれた様子で戻っていく。

「……お昼食べないの? おいしいよ」

 給仕の子へのアシストの気持ちもちょっとあり、ぼくが勧めると、ルシオンは肩を竦めて頭を振った。

「食いたいんだけどな、今日はこれから昼飯に招かれちまってて」

「? 誰に?」

 ぼくは訊ね返したが、ルシオンから答えを告げられるより早く、そのお相手は姿を現した。酒場の玄関が開かれて、一人の女の人が顔を覗かせる。

 その人はきょろきょろと酒場を見渡し、ルシオンを見つけるやいなや、赤面してもじもじし始めた。それは昨日のダンジョンでルシオンが助けた、例の冒険者さんだった。

「断ったんだけどな、どうしても礼がしたいってうるさいから、ちょっとご馳走されてやってくるわ。あーあ、めんどくせ」

 ケケが聞いたらよくて発狂、最悪憤死するんじゃないかというこんな台詞も、違和感なく様になっているのだからほんとすごい。

 ルシオンは軽いため息とともに席を立ち、女の人と出て行った。

 ……ま、あれだけ容姿端麗で、当世一の剣士の呼び声すらあり、おまけに身分もある男だ。女の人が放っておくはずがない。

 そう、ルシオンはとある地方都市の領主の息子──いわば王子様でもあるのだ。

 そして故郷に美人の許嫁がいるらしいというのも有名な話。

 そのためかルシオンは意外にも身持ちが固く、このモテっぷりにして醜聞を聞かない。

 むしろ、ルシオンにまったく相手にしてもらえず、指一本触れてもらえないままあしらわれたという報告を多数耳にするくらいだ。

 ま、もちろんルシオンの行動を逐一把握しているわけでもないので、ぼくらの目が届かないところでよろしくやっているのだろうけど。

「──……ーリぃ〜……。……ユーリぃ〜……。……おぉい……た、すけ、て……」

 ふと、ぼくの名を呼ぶ、か細い声に気付いた。

 声のする方──テーブルの下を覗き込む。

 するとぼくの脚の間から、死人のように血色の悪いケケが、ぼくを見上げていた。

「うおぅ!? ビックリしたー! 何してんの!?」

 ぎょっとして飛び退くと、ケケはずりずりと這うようにしてテーブルの下から出てくる。

「き、気持ち悪い……うっぷ……頭、割れそう……くそっ、世界が、憎い……! 俺が何をした……!」

「……何したってお酒飲み過ぎたんでしょ。自業自得だから世界を憎まないであげて」

 何事かと思えば、ただの二日酔いか。

 ぼくは呆れつつケケの手を摑み、ちょっと力を込め、ぐいっと引いてやる。

 すると、

「──ふー……いやー、この旅団はユーリ君でもってるようなもんだよ。これからもよろしく頼むよ?」

 ケケはすくっと立ち上がり、すっかり元気になってぼくの肩を揉み始めた。昨日はぼくのこと給料泥棒とか言ってたのに、ほんと調子いいなこの人……。

 白けた視線を向けると、ご機嫌取りがまだ足りないと見たか、がしっと肩を組んでくる。

「よし! それじゃあ今日はいつもお世話になってる礼に、ユーリ君を綺麗なおねえちゃんがいるとこに連れてってあげようかな! さ、行こう!」

 決まったとばかりにぼくを引っ張っていくケケ。

 ぼくはぎょっとして、その腕を振りほどく。

「い、行かない行かない! っていうかこれから!? 今真昼だけど!?」

「ふふ、いや、それがさ? 思った以上にこの町の色街栄えてて、昼間から営業してるお店なんかもあったりして。しかも結構女のレベルも高いのよ。……昨晩俺が飲み過ぎたのもそのせいだからね!? 名誉のために言っとくけど!」

「名誉回復になってるかなぁそれ……。ぼくはいいって。ケケ一人で行けばいいじゃん」

「えー? なんでー? ねえちゃんがいる店って言ってもあれよ? 接待だけしてくれるやつよ? それだったらユーリでも行けるでしょ? 別に酒飲まなくたっていいんだし」

「……いいってば。ぼくはそういうの興味ないから」

「バッキャロウ! 女に興味ない男なんていない! いいかユーリ! 俺には噓をついてもいい……けど、自分にだけは噓をつくな!」

 なんか、給仕の女の子たちの方をちらちら見ながらキメ顔で言ってるけど、全然かっこよくないです。

 ともあれケケがしつこいので、ぼくはため息をつきつつ答えた。

「……わかったよ。噓つかない。本音を言えば、女の人に興味ある」

「でしょー!?」

「でも苦手なんだよ。何話していいかわかんないし、緊張するし、気を遣うし、楽しめないから」

 少し気恥ずかしいけど、それは本当。

 生まれ育ちが女人禁制の教会だったせいか、ぼくはとことん女の人に免疫がない。

 それこそぼくの生涯で、気兼ねなく話せる女の人といったら故郷の幼馴染みくらいのもの。

 実はシイナさんに緊張するのも、シイナさんが女性だからというのも多分にある。

「……そうか」

「うん」

 トーンダウンするケケ……これでわかってくれたかな? と思いきや、ケケは偉そうにふんぞり返り、ニヤニヤ笑ってぼくの肩を叩き始めた。

「そうかそうかぁ〜。ユーリ君は女が苦手かね。うぅん? まぁ仕方ないなぁ。ユーリ君は童貞だもんなぁ? 童貞だと、本番はおろかおしゃべりすらハードルが高いかぁ〜。いや〜、無茶言って童貞なさい。──あ、間違えた。ごめんなさい」

「…………」

 わざわざ『童貞』という言葉にアクセントを置き、さも自分が格上であるかのようなこの物言い……それはもう見事なマウンティングだった。

 はー……殴りたい……。

「それじゃ、俺一人で行ってくるから!」

 ケケは上機嫌で酒場を出て行ったが、ぼくの胸はモヤモヤしたままだ。

 別にぼくだって好きで童貞なわけじゃない。やむにやまれぬ事情がある。

 そもそも童貞だから女の子が苦手なんじゃなくて、女の子が苦手だから童貞だというケースだってあるはずだ!

 女の子が苦手というのは生来の資質、もしくは持病みたいなものであって、不可抗力なのだから、人に笑われる謂れはないはずだ!

 ……って、不毛な自己弁護はやめよう。

 ケケは富と名声を手に入れて女の人にモテたいという理由だけで七氏族軍資を探し求めているような、筋金入りの女好き。ぼくとは価値観が根本的に違う。別にケケの価値観を否定するつもりもないけれど、そんな人の言葉で腐るのもあほらしい。

 ケケの生き甲斐が女性にあるのなら、ぼくはぼくの生き甲斐を全うしよう──。

 残りのスープを飲み干して、席を立つ。するとすぐに給仕の子たちが食器を下げに来た。

 すれ違いざまに、給仕の子たちがヒソヒソと話しているのが漏れ聞こえてくる。

「──ルシオン様、噂通りに超イケメンだったけど、あのケケっていう黒魔道士も噂通りでキモかったね〜。なんか色街でもやらかして、何店か出禁になったらしいよ」

「え〜、キモい〜! あたしああいう男、生理的に無理〜!」

「ね〜? いくら有名人でもあれはないよね〜。視界に入れるのも、入れられるのも嫌〜」

 自分だってこんなに女の子からの印象悪いのに、よくもあんな上から目線になれたものだ。

 けど……ああ、なんでだろう……。

 ケケの悪口を聞いてると、溜飲が下がるどころか無性に胸が痛いです……。

 

    ☆

 

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