サークルクラッシャーのあの娘、ぼくが既読スルー決めたらどんな顔するだろう 著:秀章

角川スニーカー文庫

プロローグ

 広大な洞窟の最奥──天井に打ち上げられた照明魔法が、地獄のような光景をまざまざと照らす。

 私は今、百はくだらない数のオークに囲まれていた。しかもその中には、確認出来るだけでも十体もの古代級がいる。

 猿と豚と蛙を掛け合わせたような姿は気色悪いが、オーク自体は珍しくもなんともない。けれど、百体規模の群れなんて、話に尾ひれのつく酒場でだって聞いたことがない。

 それに何より古代級は、目にした瞬間、心臓が止まるかと思った。

 オークがせいぜい人間の女子供くらいの背丈なのに比べ、古代級はもはや同じ種族と思えぬほどの巨体。上背は十メートルを超え、その腕も胴も筋肉でパンパンに膨れ上がっている。

 見た通りの怪力で、翼竜の翼を素手で引き千切るという。その上独自の魔術体系まで操るというのだからたまらない。

 軍を擁する都市国家が、たった一体の古代級に一夜にして壊滅させられたのは有名な話。

 そして、その古代級の取り巻きのオークたちによって、その国の姫が慰み物にされたというのも有名な話──。

 

 近くに宝が眠るダンジョンがあると、町の酒場で聞いたのが事の始まり。

 そして偶然にも、まだ誰も足を踏み入れていなそうな隠し通路に気付いてしまったのが運の尽き。

 きっとお宝があるぞと、意気揚々隠し通路を進んだ先は、オークたちの魔窟だった。

 旅団のみんなで必死に逃げたけれど、一人、また一人と姿を消して──気付いたら、私一人になっていた。

 

 この窮地を打破する魔法はない。私は剣士だから。

 そのくせ身を守る剣はない。オークたちの石斧にへし折られたから。

 服も装備もボロボロ。背中もお腹も丸出しで、ひしゃげた胸当てが辛うじて胸を隠している。ブーツも脱げて、素足はズタズタ。

 革のパンツもビリビリに破けて、露わになった太腿がオークたちを喜ばせている。興奮したオークのけたたましさと、おぞましさときたらない。

 私はこれから、彼らの性欲のままに陵辱されるのだ。

 そしてそれが済んだら食欲のままに貪られることになるのだ。

「……ぐすっ、ひっく……いや……死にたくない……っ」

 恐怖で頭が焼き切れそうだ。舌を嚙んで死んでしまおうか。

 そんなことを考えているうち、流れ出した汗と涙が、全身に塗りたくっていた芳香薬を洗い落としてしまう。

 辛うじて私をオークから守っていた頼みの綱──モンスター除けの芳香薬を……。

 ぬっ、と。

 粘膜に覆われた無数の腕が、私の身体に伸びてくる。

「やめて! いや……、いやぁぁああああ!」

 身じろぎし、必死にばたつかせる手足を、オークたちはむんずと摑み、長く太い舌を這わせる。

 胸当ても乱暴に剝ぎ取られ、胸が露わになった。

「あ、あっ、うっ──いやぁ……!」

 そして一体のオークが、私の下腹部に腰を近づけて──、

 

 そのオークの首が──いや、私に群がるオークすべての首が刎ね飛んだ。

 

 享楽的だったオークの鳴き声が、怒りと警戒の雄叫びに変わる。

 呆気にとられていると、声が降ってきた。

「──こんな奥にいたのか。手間掛けさせやがって」

 身体を起こすと、見知らぬ騎士が一人、私に背を向け立っていた。

 燦然と輝く白きマントの裾からは、血を滴らせた剣先が覗く。

 首をひねってこちらを振り向く横顔は、息が止まるほどの美形だった。

 口許に浮かべる勝ち気な笑みには、人を惹きつけてやまない華があった。

 そして、

「……ふっ、人間の女を助けたと思ったのに、間違えてオークのメスを助けちまったか」

 その騎士はとても口が悪かった。

「……いや、人間ですけど」

「へえ、そう。悪い悪い。泣き顔が不細工だし、ボロ纏ってるし。てっきりな」

「…………」

 ありえないくらい口が悪かった。

 けれど、

「みっともないものを俺に見せるな。……これで隠しとけ」

 その騎士は、ほとんど裸にも近い私に、自分のマントを投げて寄越してくれた。

「あ、ありがとう、ございます……」

 私はそのマントを手繰り寄せ、礼を言う。

 そしたらその騎士は、私の顔をまじまじと見て、にっと歯を剝いて笑った。

「……本当だ。泣き止んじゃえば、ちゃんと可愛い女の子じゃん」

 惚れた。

 

 そしてそれから先の光景を、私は一生忘れない。

 すべてが瞬く間に起きた。

 

 仲間をやられて激高し、一斉に襲い掛かってくるオークの群れ……騎士は悠然と歩を進める。

「俺はな、俺以外の男が女を泣かせるのは許せない質なんだ」

 そして長剣を一閃、二閃と疾走らせると、十、二十というオークが、血煙を上げた。

 目を瞠る剣技に、ますます惚れた。

 

「──いやー、君は白のマントより黒のマントのほうが似合うと思うなー! 白だとあの、あれ、色が喧嘩しちゃって……うん、そんな感じだからほら、俺のと交換してあげるよ! ほらほら、遠慮せずに。ね?」

 また新たな声が降る。

 騎士の仲間か、黒魔道士と思わしき装いの男がどこからともなくふらりと現れた。

 そして騎士が私にくれた白いマントを、わざわざ自分の黒いマントと交換しようとしてくるのだが……。

 そのいやらしい目つきと、ぷくりと膨らんだ鼻の穴は、明らかに狙いが私の身体にあることを示していて、私とその黒魔道士はマントの引っ張り合いになった。

 するとその隙を突いて、オークがこちらへ雪崩れてくる。

「今いいとこなんだから邪魔すんな! 煩悩まみれの淫獣どもめ! 恥を知れ!」

 自分のことは棚に上げ、黒魔道士はオークを口汚く罵った。

 するとまるでそれが魔術詠唱であったかのように、足元に展開される魔法陣の光芒。

 その光の圏内に踏み入るやいなや、オークは絶叫を上げながら消し炭となった。

 

「お二人サ〜ン? この先にさらにシークレットなルートがあるみたいデース! お宝のスメルがぷんぷんシマース! いい意味でクサーイ!」

 この地獄のような状況にそぐわない、ひどく吞気な声が、どこからともなく聞こえてきた。

 姿こそ見えないが、この独特な片言はエルフだろうか。

 そう見当をつけた直後、鋭い矢音が洞窟内に反響した。

 とある一体の古代級の周囲に、屑星のような瞬きが煌めいて──。

 次の瞬間、古代級の巨体が、穴あきチーズみたいに無数か所穿たれ、崩れ落ちた。

 

 それを目の当たりにした他の古代級が怒号を上げる。

 人語からは程遠い、耳障りな呪詛を吐いた。

 すると不気味な燐光が古代級から立ち昇り、光の紋様が宙を走る。

 十中八九、突如現れたこの外敵たちを排除するための魔術だろう。

 が、それはあえなく不発に終わることとなる。

「アーハァン? あのビッグオーク、どうやらマジックをぶっ放すつもりのようデース。ボクがば〜っちり援護するので、やっちゃってクダサーイ! シイナ!」

 

「──たわけ。お主の援護が必要だったことなど、これまで一度もないわい」

 一つの影が、古代級の目と鼻の先に躍り上がった。

「オークよ、魔術になど頼るでない。折角の恵体が勿体無いじゃろうが。ここはひとつ、儂と力比べをせんか? なあ」

 しなやかに引き締まりつつ、胸から臀部にかけて美しい起伏を描くボディラインは、女性のそれ。

 ただひとつ、その女の人のシルエットには特異な点がある。

 右腕だけが、異様なまでに大きく、そして角ばっていた。

 よくよく見れば、身体のサイズにあまりに不釣り合いな、馬鹿でかい鋼鉄の装甲を腕にしている。

 文字通りの鉄拳──女の人はそれで、古代級をただ殴った。

 正確に言えば、殴った〝らしい〟。

 私には腕を引く予備動作と、殴り終わった後の残心しか見えなかった。

 それほどの拳速と、そして威力だった。

 女の人が鉄拳を振り抜くと、古代級の岩のような頭部が、木っ端微塵に吹き飛んだ。

 

 たった四人の人間が、このオークの群れを圧倒していた。

 

「…………」

 言葉を失った。目を疑った。こんなに強い人間が世界にはいるのか。

 私を取り囲んでいたオークを事も無げに一掃した騎士は、他の三人に声を張る。

「ケケ、アハト、シイナ! ここはもう俺一人で片付けるから、先行ってお宝だけ回収してきてくれ」

「ケケ、アハト、シイナ……?」

 騎士が口にした名に、息を吞む。それらはどれも覚えのある名だった。

 いや、曲がりなりにも冒険者旅団に身を置く人間で、彼らの名を知らない者はいないはずだ。

「あなた方はもしや、〝軍資に一番近い旅団〟!? ということは、あなたはルシオン・メナード様……!?」

「ああ。もうそう遠くない未来には、俺たちは〝軍資を手に入れた旅団〟って呼ばれてるから、もうそっちで覚えといていいぜ。──それと、あんたのお仲間も全員助けてやったから安心しろ」

 最初はなんて口が悪いのだろうと思ったけれど、それも納得だ。

 憎まれ口や大口を叩くだけの資格が、実力が、この人にはある。

「……あれ? でも、〝軍資に一番近い旅団〟って、確か五人だったはずじゃ……」

 しかし私はふと疑問を覚えて訊ねる。

 自分の記憶が確かなら、もう一人いたはずだ。大陸中の冒険者旅団から、憧憬と羨望と対抗心の眼差しを向けられる、このドリームチームには……。

「ああ。もう一人なら──」

 言ってルシオン様は、地上に思いを馳せるように、遠い目で天井を仰いだ。

 

    ☆

 

 山間の草原に、洞窟がぽっかりと口を開けている。

 その縁を覗き込むようにして、捻れた木が一本生えていた。

 ぼくはその木の幹を背もたれにして、革張りの本を読み耽る。

 著者はカルルク・ノンクル。タイトルは『湖上の星霊歌』。とある王家の栄枯盛衰を主軸に、人間感情の機微を巧みな筆致で書き上げた大河小説の名作だ。

 物語を先へ先へと急かすように、ページを繰る手に爽やかな風が吹く。数刻ほど前にルシオンたちが担ぎ出してきた遭難者たちも、みんなすやすやと寝ているから静かなものだ。

「──……ーい。……おーい、ユーリ」

「──ヘイ、ユーリ! 見てくだサーイ! ゲット・ザ・マネーデスヨー!」

 名を呼ばれ、物語に没頭していた意識を掬い上げられ、顔を上げる。

 古ぼけた木箱を担いだルシオンとアハトが、洞窟から出てきた。きっとその木箱の中身はお値打ちものだろう。

 そのあとに続くのは手ぶらのケケと、見知らぬ女の人を抱いたシイナさん。

 ……よくよく見るとその女の人は、ルシオンのマントを身に纏って、じーっと熱い視線をルシオンに向けている。

 ルシオンにピンチを助けられて惚れちゃったとか、そんなんだろうなぁ……。

 ともあれお宝に遭難者の最後の一人と、お目当ての物は漏れ無く手に入れられたようだ。

 ぼくは本を鞄にしまい、旅団の仲間たちを迎える。

「おかえり」

 ぼくの名前はユーリ。

 この旅団の白魔道士──要は回復補助担当だ。

 と言っても、彼らはモンスターに手こずることもなければ、怪我をすることもそうそう滅多にないわけで……。

「……何が『おかえり』だ、この野郎……! こっちはお前が本読んでデュフデュフ言ってる間、汗水垂らして働いてたんだぞ……! この給料泥棒がっ……!」

「ええ〜……ケケ、めっちゃ機嫌悪いんだけど……。なんかあったの? ていうかぼく、デュフデュフなんて言わないし……」

「心配ご無用デスヨー、ユーリ。いつものルシオンへのやっかみデース」

 アハトはフォローしてくれたけれど、ケケに八つ当たりされてしまうのもまぁ仕方ない。

 なにせ化け物揃いのこの旅団において、ぼくはろくに仕事もない閑職なのだから。

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