第13話 かすれた太陽

 展示室を出て、少し歩こうという野田についてゆく。ヒールが柔らかい土にめりこむ。せっかくおしゃれをしてきたのに、と思うが、なんだか野田らしいなと、きみ子は心の中で微笑む。木々の隙間から光がさして、二人の顔の上でゆらめいた。野田は昨日まで会っていたかのような気さくさで話した。自分の絵がニューヨークの小さな雑誌の編集長に気に入られて、そこから仕事がくるようになったこと、この個展が終わったら、海外を旅して、色々なものを描いて回りたいと思っていること。きみ子は話を聞きながら、野田はやはり遠い星のようだと思った。しかし野田はきみ子がしがないOLをやっていることを、責めたり見下したりしなかった。きみ子は汗をかいたアイスティーのカップを握りながら、遠くへはいかないでほしい、そう言おうとしている自分に気がついた。なんて図々しい、浅はかな台詞だと思った。


 「でもさ、こんなこと、くだらないよなってどっかで思ってるんだよな」


 野田がふと自虐的につぶやいた。


 「絵を描いたところで、世界をまわったところで、なんの意味もないし、自己満足だよな」


 きみ子はああ、自分はこの人のこういうところが好きだと思った。自分のしていることはどこかで虚しいことだと思い続けてしまうようなところ。自分のしていることが世界を救うとか誰かを幸せにするだなんて、とても傲慢だと思っているところ。結局みんな自分がかわいくって仕方がないだけなのだ。


 きみ子は野田を止められないと思った。自分をかわいがる力さえない自分には、だめなのだ。そして野田はそのまま異国の地へ消えた。誰とも連絡がつかなくなったので、きっと死んだのだ、と皆が噂した。きみ子は野田とだったら、あの暖かな家庭の灯りをともせただろうか。と何度も考えた。いくら考えてみても、わからなかった。


                *


 きみ子が踊るのを、気づかないうちに、誰かが撮っていたらしい。動画はいつの間にかネットにアップされて、再生回数は二万回を越えていた。きみ子はそこに書き込まれた言葉の数々を見て愕然とした。「痛々しい」「お涙頂戴もの」「ガリガリでこわい、ぶす」「かんちがい」「同情と金目当て」


 きみ子はその足で406号室へ向かった。迷わず花のベッドへ歩いてゆくと、いがみあう声が閉めきられたカーテン越しに聞こえてきた。


 「返してちょうだい」と弱々しい花の声。


 「だめよ、お母さん。ねえどうして目のみえないのに絵なんて描こうとするの。みんな心配してるのよ、お母さんがぼけたんだって。もうあの屋上にもいかないで」娘の声はとげとげしく、しかしひどく疲れ切っていた。きみ子は青ざめて、くるりと背を向けて、病室を飛び出した。自分はなんてことをしてしまったのだろう。下手に同情ごっこでもしていたつもりなのか。きみ子は廊下を足早に歩きながら、すれ違う人々が皆自分をあざ笑っているかのように感じた。痛々しい女、哀れな女。花にみせたきりで、終わらせておけばよかった。調子にのっていたんだ。顔から火が出るようだった。今の私が何をしようと、死期の近いガン患者の悪足掻きでしかないのに。

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