第12話 再会の金星

あかりがブロードウェイで日本人ダンサーとして成功をおさめた、という記事が大きくネットのニュースで取り上げられていた。きみ子はじっとそのニュースを見つめて、自分の感情の、もうそこまで波立たないのを確認した。わたしは星ではない。あかりは星。野田さんは?きみ子が最後に野田と会ったのは、大学を卒業してから二回目の夏だった。


             


 一枚の小さな絵はがきがチラシに埋もれて届いたのは七月の終わりだった。きみ子は就職して社会人生活に慣れてきた頃だった。犬の顔が、紙いっぱいに鮮やかな色彩で力強く描かれた絵だった。ひっくり返すと、それは卒業以来連絡をとっていなかった野田からで、長野の美術館で個展を開くので是非きてほしい、という内容だった。


 きみ子は次の土曜日の夕方、尾田との約束をキャンセルして、お気に入りのワンピースを鞄に丁寧にいれて、新幹線に乗って長野へ向かった。きみ子の胸は不安と期待で詰まりそうであった。窓の外を、鮮やかな山の景色が流れていった。東京の灰色に慣れたきみ子の瞳には、そのくっきりとした緑は眩しく映った。


 翌日の日曜日、よく晴れた夏の朝、きみ子は優しい水色の生地のワンピースに身を包み、化粧を一時間かけて丁寧にあつらえて、バスに乗って、その美術館へ向かった。それは広い自然公園の中にある大きな美術館で、きみ子は仰天した。いつのまにこんなに出世したのかと思った。しかし、野田の名前は受付でもらったパンフレットには見あたらず、スタッフに尋ねると、どうやら別館の小さな展示室に彼の絵があるらしい。


 噴き出す汗をハンカチで拭いながら外へ出て、緑の小道を一分ほど歩いたところに、その小さな展示室があった。白い球体の建物で、新しいつくりのようだ。期間限定の展示用の別館らしい。


 ガラスの戸を押して中へ入ると、ひとりの受付の女性が頭を下げた。ほかには誰もいない。中は小学校の教室ふたつぶんくらいの広さで、四角い長方形のつくりをしている。チケットを女性にみせて、中へ進む。大きな天井のガラス窓から、木漏れ日がさしこんで部屋を照らしている。ほかに照明はなくて、音もなく静かだ。きみ子の足音だけが響く。冷房の風が心地よい。


 全部で二十点ほどの絵が飾られていて、絵はがきにあったような犬の絵が、部屋の中央に大きく飾られていた。同じタッチで花の絵や果物の絵などの静物画が数多く飾られていた。きみ子は野田の絵をみるのははじめてだった。ひとつひとつをみる度に、野田の考えや心の奥深い部分を見るような気もした。しかし目の前にある絵と昔話していた野田とは、全く別物のような気もした。


 しかし絵の具が自由に飛び散るのも気にせずに描かれた全ての絵は、やはり野田のダイナミックな部分をよく表しているようで、きみ子は心の中で少し笑った。


 きみ子は一枚の絵の前で足を止めた。それは一番小さなサイズのもので、一瞬ひまわりのようとも見えたが、よく見るとライオンなのだった。ライオンが、宇宙の片隅の惑星で一匹で吠えている。きみ子はそれを食い入るように見つめた。ライオンの顔はよくみえないが、なんだか少し悲しそうである。


 「似ているだろ。おまえに。」


 ハッとして振り向くと、少しふっくらとした様子の野田が立っていた。きみ子は心臓がとびあがるくらい驚いて、言葉を失ってしばらく野田を見つめた。白いYシャツに、紺色のチノパンを履いている。なんだか昔よりもすっきりとまとまった印象だ。いらないものがそげ落ちていく途中のような。


 「わたしはこんなじゃないです」


 「そうかな」


 野田は少し恥ずかしそうに鼻の頭をかいた。


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