第6話 冷たい天王星
あかりが打ち上げでこっそり、きみ子さんて野田さんとつき合ってるんですか、と耳元で囁いた時、きみ子はきたか、と覚悟を決めた。いや、ゼミが一緒なだけだよと、興味のない振りをして答えると、あかりは要領を得ないような顔になって黙り込んだ。彼女は邪気のない、いい子であった。自分の美貌や才能にあぐらをかくような子ではなかった。その純粋さがよりいっそう彼女の魅力を引き立てていた。ねえあかりちゃんもしかして…きみ子は何かに背中を押されるように口を開いた。野田さんのこと好き?あかりは顔を赤らめて、逃げ場のないような顔になって、観念したように小さく頷いた。二人はその時皆の輪から少し離れた隅っこにいて、誰も会話を聞いているものはいないようだった。そうかそれならば、ときみ子は密かに決意をした。奪われる前に与えてしまおう。その方がどれほどよいだろうと。
しかし二人はどうともならなかった。飲み会を用意し、連絡先も目の前で交換させて、何度か二人ででかけたこともあったようだったのに、何か小さな、しかし大切な歯車が噛み合わないようだった。きみ子は度々あかりの相談にのった。どうしてだろう、あかりちゃんみたいなかわいい子に振り向かないなんて、あの人やっぱり少し変わってるもんね…きみ子はそんな風にあかりに答えながら、心の中でかすかな安堵感と優越感を覚えずにはいられないのだった。もしかしたら、野田は、あかりのようなまぶしい女より、自分のような日陰の女が好きなのではないかという独りよがりの思念が膨らんでゆくのだった。
「ねえ野田さん」
きみ子は一度、暮れゆく夏の薄闇の中、冷たいアイスバーをかじりながら、野田に尋ねてみたことがある。それは夏の終わりの、ジェンガの中からすっと抜いたようななんともない一日の出来事だったが、きみ子は鮮明に覚えている。川縁のコンクリートの道を、小学生達が笑いながら自転車を漕いで駆け抜けてゆき、ゆらゆらと反射した夕日のかけらの光の玉が、水面を虚ろに踊っていた。
「あかりちゃんのことどう思ってますか」
野田はきみ子の数歩先をゆきながら、振り返ることもなく答えた。
「どうってふつうさ」
きみ子は野田の表情を見極めたくて、足を早めるが、どうにもうまく追いつけないのだった。
「じゃあわたしのことは。」
きみ子はその言葉を投げつけるように乱暴に口から吐き出した後、冷たい大きな氷の塊を歯の間でかみ砕いた。
「ライオンを夢見る猫」
野田は優しく、低い声で、きみ子をなだめるように答えた。
「なにそれ」
きみ子はその瞬間絶望していた。見当違いな質問をしてしまったような気さえする。きみ子は足を動かす気さえなくなって、立ち止まりそうになる。
「かわいいさ、すごく。がんばれよ、おまえ。」
野田はうたうように言って、足を止めて振り返る。きみ子がのろのろと歩きながら追いつくと、慈しむように見下ろしていた。きみ子はどうしても届かないものがあることを受け入れなければいけない胸の苦しみを、その時ほど感じたことはなかった。野田は遠い宇宙の遙か頭上で輝く一番星のようだと感じられて仕方がなかった。私はいつまでも、地球の重力に逆らうこともせず、輝く星の光を買い物帰りに見つめて生きてゆくんだ。全て抱いた夢は今や遙か遠くに、到底手の届きそうにない代物なのだと、きみ子は冷静に理解できるほどには大人なつもりだった。過ぎ去ってゆく毎秒を、両の手からこぼれ落ちる砂のように、ただじっと悲しんでいるだけだった。
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