第3話 眩しい太陽

ーお父さん、私、世界一有名なスターになって、歌を歌って、かっこよく踊って、世界中をまわるのよ。私のステージは大人気で、ネボスケのお父さんが買いにくる頃には、チケットはもう売り切れちゃっているだろうから、この特別チケットを出すのよ。ねえ、わかった?


ーうんわかったよ。きっといい席にしてくれよ。


             *


 二日酔いのひどく痛む頭を抱えながら出社すると、オフィスの床に、コピーに失敗した膨大な資料が足の踏み場もないほどに散乱していた。オフィス中央の席で、イスを二つ並べた上に窮屈そうに体を折り曲げながらいびきをかいて眠っている渡辺の姿が目に入る。どうやら夜通し、クライアントへ持ってゆくプレゼン資料を作っていたらしい。きみ子はそっと起こさないように散らばった紙を拾い上げてゆく。ふと、その紙に印刷された、一枚の粒子の粗い写真に引き込まれる。ほの暗い灯りの差し込む小さな部屋の中、一人佇む、凛とした表情の女性。きみ子は息を止める。その下に記された彼女の名前を見て確信する。


  柊あかり。ダンサー。二十四歳。


 きみ子は我を忘れて渡辺を揺り起こす。渡辺はびっくりして椅子から勢いよくだるまのように転がり落ちる。頭を打ったのか、少し瞳を潤ませながらきみ子を迷惑そうに見上げる。


 「なんなんすかもー…なんだきみ子さんか」


 「ねえ、これなんの仕事」


 渡辺は腫れぼったいまぶたの下からのぞく充血した瞳できみ子の手中にあるしわだらけの紙を見やり、「ああ、ファーマーズ製薬のプレゼンですよ、その人が出るのは決まってるんですけど、いい案がなかなかなくて…」


 渡辺はぶつぶつ答え、きみ子はへえ、そうなんだ、とひとりごちて紙を見つめ、ハッと我に返る。ごめん起こしちゃって。取り繕うように慌てて立ち上がり、訝しげな渡辺の視線から逃げるように、きみ子は席へ早足で戻り、真っ黒なディスプレイに映る自分の頭の形をしばらくの間、ぼんやり見つめていた。


             *


「柊あかりです。よろしくお願いします」


 新入生歓迎会の席で、彼女が立ち上がってそう挨拶すると、空気が一変したのをきみ子は感じ取った。それまでざわついていた講堂がしんと静まりかえって、その小さな女の子に一斉に注目が集まった。彼女の声は特段大きいわけでもないのに、澄み渡るようなよく通る声で、愛らしい見た目とは少し趣の違った、少し低めの声だった。短く切りそろえられたやわらかな黒髪が、講堂にふきこむ風に揺れて、すらっと延びた長い手足を少し緊張気味にこわばらせながら、あかりは背筋をまっすぐにのばして、凛とした瞳で前を見つめていた。その瞳の奥に宿る強い意志が、彼女の存在感を確かなものにしていた。その時きみ子はこれから起こり得る未来が、自分にとって不都合な方向へ転がってゆくことを予感した。その予感は見事に的中し、彼女はその小さな演劇サークルでの地位を、瞬く間に確固たるものに築き上げていった。皆が彼女に嫉妬し、羨望し、憧れ、恋をした。彼女が舞台に立っているだけで、たちまち物語は色づき、生命力を持ち、輝きはじめるのだった。能力の近しい者同士の争いは常に確執やねたみを生むが、周りと比べものにならないほど、一方が才能を持っていたら、そこに生まれるのはひたすら感嘆のため息のみであることを、きみ子は身をもって実感した。だからきみ子は自分がやりたかった劇の主役にあかりが次から次へと抜擢されてゆくのを見ても、憎しみや苦しみの感情を強く抱いたりはしなかった。むしろきみ子をはじめとするサークルの皆が抱いていたのはただの疑問だった。どうしてこんなしがないサークルに、あかりは現れたのだろう?

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